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2020.05.24
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​いつも私のとのりにさんの記事「実は、話し上手なお母様 原理原本の神髄が、独生女によって現れた! 《史吉子先生》」からです。
書籍『心を打つ50の証し 真のお母様、感謝します』から史吉子先生の一文を取り上げたものでした。実は、私の過去記事にてもU-ONE TVでの映像を紹介していました。
ところが、よくも調べもしない心無い方が「​​お母様を通して現れた原理原本 ? ? ? 原理講論の改ざんへ​」などと批判をされています。
原理原本には「天の父母様」と書かれていました。このことは、5月8日の特別集会での上映映像「真の父母様聖婚60周年 - 新たな出発、新たな希望の始まり​」にもあった通りです。


史吉子先生の証し引用:
​ お母様はその後、全世界を巡回講演されるようになりました。1996年お母様が講演された「救援摂理史の原理観」というみ言で、イエス様の血統が明らかにされました。私はこのみ言を聞いて、「ああ、お父様は、お母様を通して『原理原本』の一部を、少しずつ出しておられるのだ」と悟った瞬間がありました。​

 『原理講論」は、お父様からのご指示で、私の夫(劉孝元)が、「原理原本」を体系化したものです。『原理原本」は霊的な内容なので非常に難解で、ただ読んだだけでは理解できません。それで、万人が分かるように体系化する必要があったのです。

 「原理原本」においては、イエス様の母であるマリヤの問題が一番深刻でした。それで、私はその内容が明らかになる日を今か今かと待っていたのです。

​ その後もお父様は、「真の家庭と私」「宇宙の根本を探して」「真の愛を中心とした真のなる家庭と真なる宇宙」などのみ言を発表され、心と体の問題、良心の問題などを明らかにしていかれました。このようにして、お父様の『原理原本』は、お母様を通して、地上に現れてきたのです。​
とありました。であれば、お母様が講演されたみ言がどういうものであったかを先ずは調べられてからではないでしょうか?


韓鶴子総裁御言選集 2 - 2 - 4. 救援摂理史の原理観

4. 救援摂理史の原理観 その1

'このみ言は、1996年2月26日に文鮮明総裁が中南米宗教指導者特別研修で語られたもので、その後、韓鶴子総裁が7月20日から10月29日まで開催された「真の父母と真の家庭」アメリカ12ヶ都市巡回講演、「世界平和家庭連合」創設世界大会、「世界平和家庭連合」185ヵ国結成大会などで宣布なさった。


尊敬する内外の貴賓、高名な紳士淑女の皆様。今日、歴史的大変革時代を迎え、皆様と出会うことができ、神様に心から感謝を捧げる次第です。

宗教と救援摂理の目的

神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのみ旨も同じです。もし人間始祖アダムとエバが神様の愛で一体になっていれば、万事が完全、完成です。しかし、人間始祖であるアダムとエバは、堕落して、無知と混沌に陥りました。個人的な無知と混沌から、家庭、国家、世界的な無知と混沌に陥るようになりました。この堕落圏を抜け出すためのものが宗教と救援摂理の努力なのです。「終わりの日」にメシヤが来て、神側から見る絶対、唯一、不変、永遠の原因と方向と結果をはっきりと教えてあげ、無知と混沌の世界を清算し、本然の神様の懐に帰ることが神様のみ旨の完成です。

そのようにならなければ、「終わりの日」に、すべての宗教、主義、思想や国家も、みな滅びるようになるのです。今や人類は、わずか数年のちには21世紀を迎え、2000年代の新しい歴史時代に差し掛かります。このような重大な時点において、私は、「救援摂理史の原理観」と題するみ言を通して、新しい時代を準備する私たちの心を確認しようと思います。

創造主と人間との真の愛を中心とした完全、完成を願う神様は、人間と一体となる条件が必要でした。それで神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。 人間が成長期間を上がってい<未完成段階にいたことを御存じの神様が、子女である人間に最も貴い真の愛を相続させてあげるための条件として与えてくださったのが戒めでした。

本来、真の愛は経験を通して、体恤を通して分かるようになっていました。真の愛は、言葉や文字、あるいは一般教育を通して体得できるものではありません。生活を通してのみ、完全に体得するのです。赤ん坊として造られたアダムとエバは、成長しながら段階的に生活を通して経験し、真の子女の心情、真の兄弟の心情、真の夫婦の心情、真の父母の心情を体恤することによって完成するようになっていたのです。神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。

人は、自分の愛する相対が、自分より何千万倍の無限大の価値ある存在として現れることを願います。このように神様も、御自身が愛する相対である人間が、無限の価値ある存在になることを願われるのです。人間は、完成すると神性をもち、天の父が完全であられるように完全で、神様のような価値をもつのです。

神様は絶対者であられますが、真の愛の理想は独りでは達成されません。愛の理想は必ず相対を求めるからです。私たちはここで、神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が、互いにいかなる関連をもっているのかを知らなければなりません。

もし神様が、真の愛の絶対的な対象体として人間を立てずに、他の方法を通して御自身の真の愛の出発と完成を達成しようとされたとすれば、どのようになるでしょうか。神様と人間の真の愛を中心とした理想は、各々動機が異なるようになり、二つの愛の方向と目的も異ならざるを得なくなります。そのようになれば、神様の愛の理想は、人間よりも上位に、他の愛の対象を立てて達成しなければならず、一方で、人間の愛の理想は神様と直接的な関係をもてなくなってしまいます。

真の夫婦は神様の絶対的愛の理想を完成する

真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成されるのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから人間は、創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象なのです。無形の神様のみ前に、見える体として生まれました。

人間は完成すれば神様の聖殿になります。神様が自由に、また安らかに、いつでも入ってきて暮らすことのできる有形の実体です。神様の絶対的な真の愛の全体的な理想は、人間を通して、父母と子女の縦的関係で実現し、完成します。

神様は、御自身の体としてアダムを先に造りました。アダムは神様の息子であると同時に、体をもった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバを造り、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。

アダムとエバが完成し、神様の祝福のもとで結婚して初愛を結んだとすれば、その場は、神様が実体の新婦を迎える場だったのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参(一緒に参加すること)することによって、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点で結実、完成するようになっていたのです。

神様の創造は必然でした。目的のない創造は想像することができません。神様にとって創造が必要だった理由は、ただ一つ、真の愛の理想のためでした。最も簡単で低級な被造物から人間に至るまで、各々主体と対象、陽性と陰性の相対関係で展開された理由も、愛の理想のもとで相対関係を形成するためなのです。

創造物の愛の理想と神様の究極的な愛の理想は、別個のものではありません。人間世界の男性と女性の愛の完成を通して、神様の絶対愛が完成するようにされたのが創造原理です。太初に人間をアダムとエバ、一男一女として創造された理由もここにあります。

神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守って、真の人として完成することでした。さらには神様の真の愛で一つになった真の夫婦になることでした。また、彼らがその真の愛の中で息子、娘をもち、幸福で豊かに暮らすことのできる真の父母になることでした。アダムとエバが真の愛で完成していれば、それは実体を身にまとう神様の願いが成就することだったのです。そして、彼らが真の夫婦として完成していれば、それは神様の絶対的な愛の理想の完成を意味しました。

それから、アダムとエバが善の子女をもって真の父母になっていれば、それは永存する父母の位置を実体的に確定し、人間の血統を通して子々孫々を繁栄させることによって、天上天国の市民を無限にもつことを望まれた神様の理想が成就されるようになっていたのです。

ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンの園から追われるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が、追い出したアダムとエバをエデンの園の外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。ですから全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の子孫なのです。

​人間の完成は愛に対する責任をもつときに可能​

満場の内外の貴賓の皆様。人類の堕落が、木の実を取って食べた結果でしょうか。アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪でした。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間で堕落してしまいました。蛇で表示された天使長に誘われ、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って、時ならぬ時に善悪の実を取って食べる肉的な堕落をしてしまったのです。

本然の園で神様と対話しながら、楽しく遊び回って暮らしていたアダムとエパが、死ぬことまでも顧みずに犯す可能性のある犯罪は、誤った愛の犯罪しかありません。本来、人類の先祖の初愛を中心とした結合は、神様御自身の愛の完成でもあったので、当然、神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歴史を通して歓喜と祝福の中で酔いしれる幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が、人間の中で出発するとともに、定着する幸福な儀式でなければならなかったのです。

ところが、彼らは下半身を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった不倫の関係を結んだからです。堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれながらにして原罪をもつようになりました。人類が個体の中に心と体の衝突を矛盾として感じるのも、堕落に根源があり、愛の秩序が乱れた社会の中で、本心の願わない人生を生きていくのも、すべてここに由来しているのです。

愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界の愛の関係は、すべて繁殖を前提としてのみ行われます。しかし、人間だけはその例外です。人間は、夫婦の愛の関係において自由を享受します。それが万物の霊長たる特権です。神様は、息子、娘である人間が無限の愛の喜びをもつように祝福したのです。

神様が許してくださった真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張して実践すれば、どれほど大きな混乱と破局がもたらされるでしょうか。至高な愛の理想を達成する人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。

その責任性とは、次の三つを考えることができます。第1に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理により、自由な真の愛の主体となる責任です。人における愛の責任性は、法や世間体のために守られるものではなく、神様との生きた縦的な関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるものです。

第2に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対からの愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子女の縦的な愛の関係とは異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間では絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人には、絶対に自分の相対のために生きる愛の責任性があるのです。

第3に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生きた要素を提供することです。家庭が貴い理由はそのためです。生活的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外に、いかなる所でも得ることはできません。

メシヤは新しい生命の種を連結してくださる真の人

アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦となれば、神様は理想どおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになるのです。さらには、アダムとエバは、神様の実体をまとった真の父母になって、善の愛、善の生命、善の血統の始原となったでしよう。

ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類はみな、この根に根源を置いているので、生まれたときからみな神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫になり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

親愛なる紳士淑女の皆様。人類始祖の堕落によって真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦痛はどれほど大きかったでしようか。神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母である御自身のことが分からず、サタンに仕えているにもかかわらず,神様は救援摂理をしてこられたのです。また、絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援摂理をされるしかありませんでした。神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。

このような点で、復帰摂理の根本は、いかにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだせるかにあります。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母を、いかにして誕生させるかということです。

人間始祖が自分の責任分担を完遂できず、不倫な血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て原状回復させることができないのです。神様は、悪の天使長側に回った人類を、条件なしに善の立場から取ることも、打つこともできないのです。神様は、善の天使長的中心人物を立て、先に打たれながら蕩減条件を立てさせて取り戻してくる作戦をしてこられました。しかし、サタンは先に打ち、奪われる立場になりました。第一次、第二次、第三次世界大戦はその例になります。先に打ったほうが滅びました。

復帰摂理を概観すると、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のときも、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバの代わりに責任を果たす母を立て、次子に母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立させるための摂理が行われてきたからです。​

神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は、善の側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪の側を代表する長子を屈服させることで、善の血統を復帰してこられました。アダムの家庭で、神様は、次子アベルを立てて長子カインを屈服させようという摂理をされたのです。堕落したエバによって、兄弟を一つにしようとする努力があったかもしれませんが、結局、カインがアベルを殺害することによって、救援摂理は終結することができず、そこから延長が始まったのです。

ノアの時も、母子協助の基準はありましたが、本格的な母子協助の基準は、リベカとヤコブの時からです。人間の堕落はアダム、エバ、天使長の三つの存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘って霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘って肉的堕落をすることによって、神様を裏切ったのです。堕落した天使長がサタンになりました。救援摂理は復帰摂理であり、復帰は180度反対の道を通して行われるのが原則です。

真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。神様が人間を創造するとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。

メシヤは、サタンの主管下にいる堕落した血統をもった人間たちの生命を否定し、新しい生命の種を連結してあげるために来られる真の人です。根は神様に置いているのですが、後のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたものを清算しなければならないのが、メシヤの使命です。神様が能力だけで役事する超人を、メシヤとして送ることはできない事情がここにあるのです。

タマルを中心とした血統復帰摂理

この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のためには、先に母親がいなければなりません。母親が息子を生むにしても、ただ単に生むのではありません。必ず復帰の公式を通して生まなければならないのです。復帰摂理の中に現れた母子協助はみな、天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。

母子共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してこられたのです。

神様の摂理歴史を記録した聖書の中には、理解のできない記録がたくさんあります。リベカが夫のイサクと長子のエサウをだまし、次子ヤコブを助け、彼に祝福を受けさせました。神様は一見不当に見える方法を用いた、この母子の側に立たれて、彼らに祝福を与え続けられました。

アダムの家庭では、カインとアベルの兄弟が母胎の外で争い、次子のアベルが殺害されました。ヤコブは、アベル以後、善の側に立った多くの人の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。結果的にヤコブは、ヤボク川で天使を屈服させる霊的勝利を収め、実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることによって、歴史始まって以来、初めて「勝利した」という意味の「イスラエル」という祝福を受けるようになりました。しかし、その時は既に歳が40代でした。

サタンの偽りの愛の種が、エバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入って分別しなければ、天の息子が胎中から誕生することができないのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、依然として分別されていない妊娠から40代までの期間も、サタンが分立されなければなりません。結果的にこの責任を担った偉大な母がタマルでした。タマルは、ユダの長男のエルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなかったので早く死んでしまいました。

当時の慣例に従い、ユダは次子のオナンをタマルに与え、子女を生むようにしましたが、オナンは生まれる子女が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいます。タマルは、ユダの3番目の息子のシラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした。タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで家系が途絶えることを心配したからです。

タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦を装って、舅であるユダを迎えて双子を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれるとき、先に手を突き出して出ようとした長子が再び胎に戻り、弟になるべき次子が先に生まれたのですが、それがペレヅです。タマルの胎中で長子と次子が争い、サタンが分立される胎中復帰が成就したのです。

このような条件の上に選民の血族を得て、その2000年後に、ローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的な土台の上にメシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの護訴のない立場を得ることができる国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場したのです。



​4. 救援摂理史の原理観 その2​

神様の初愛を独占できるイエス様

ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという天使長ガブリエルの驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1:38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めました。

マリヤは、親族であり、尊敬される祭司ザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その妻のエリザベツが、神様のみ旨によって妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしよう」(ルカI:42、43)とイエス様の懐胎を証しました。

このように神様は、マリヤとザカリヤとエリサべツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家に泊まらせました。

エリザベツとマリヤは、母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(力ィン)と妹(ァベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリザベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子の一体化を果たせなかったことを、国家的基準でザカリヤの家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。

歴史始まって以来初めて、神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになりました。

当時の法によっては容認されるはずもない、また、常識でも考えられないことを、マリヤは成し遂げなければなりませんでした。3人が共に霊的に感動したのであり、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ、従わなければならなかったからなのです。

神様の息子は、たとえ着地はしたとしても、サタン世界の中で無事に育ち、み旨を成し遂げるためには、保護してくれる囲いが必要でした。神様はザカリヤの家庭の3人に、その基盤になってくれることを期待されました。3人が神様の息子を保護し、彼に侍ることにいかに専念し、どれだけ長い間一つになっていたかについては、考えるべき点がたくさんあります。

​聖書には、「マリヤは、エリザベツのところに3か月ほど滞在してから、家に帰った」(ルカI:56)と記録されています。その後、聖書には、マリヤとエリサベツとザカリヤが互いに行き来した記録はありません。ここから、マリヤとイエス様の困難が始まったのです。ザカリヤの家庭は、最後までイエス様の囲いにならなければなりませんでした。​

しばらくして、ヨセフは、マリヤが妊娠した事実を知るようになります。この時、彼の衝撃はどれほど大きかったでしようか。愛する婚約者のマリヤが、自分とは何の関係ももたない状態で、3力月間どこかに行って戻ってきた時には妊娠していたというのですから、ヨセフがマリヤに、誰の赤ん坊を身ごもっているのかと追及するのは当然のことでした。​その時、もしマリヤが正直に話してしまっていれば、どんなことが起こっていたでしようか。もし明らかにした場合には、一族が滅亡するのです。ですから、マリヤはただ「聖霊によって懐胎した」とだけ話したのです。​

​マリヤのおなかが大きくなってきて、周囲の人たちも妊娠していることが分かるようになりました。その時、ヨセフが「自分は関係をもたなかった」と言っていれば、どうなっていたでしようか。しかし、ヨセフは神様の啓示を信じ、妊娠は自分の責任であると擁護した義人でした。これによってマリヤは、婚約期に妊娠したという嘲笑は浴びたとしても、石を投げられて死ぬことはなかったのです。​

マリヤを愛したヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には悩みがたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見つめるヨセフは、その父親に対する疑問がつのり、心中に苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が成長するとともに、ヨセフとの心情的な関係において距離が生じるようになり、このことによって、家庭に頻繁に争いが起こったことは間違いない事実です。​こうしてイエス様は、私生児の立場で、ザカリヤの家庭の保護も受けられず,またヨセフとの関係も厳しい状況下で、心情的に、言うに言えないほど寂しい立場で育ちました。​

イエス様の寂しい3年路程

メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、自分の孤独な事情が、神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の新婦を迎えなければなりません。天使長が、アダムと兄妹のように育ったエバを偽りの愛で堕落させたので、イエス様はそれを根本的に復帰しなければならなかったのです。

したがって、アダムに代わって神様の息子として来られたイエス様は、天使長の立場に立った人物の妹を妻として迎えなければなりませんでした。その女性が正にザカリヤの娘であり、洗礼ヨハネの妹だったのです。

サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成就するためには、絶対的な信仰によって形成された保護の基台がなければなりません。不幸なことに、イエス様の周辺では、そのような基台がすべて崩れてしまいました。

もしザカリヤとエリザベツが、神様の啓示と霊的な恩恵のもとで、初めにもった絶対的な信仰をもち続けていたなら、状況は違っていたでしょう。彼らが責任を果たしていたならば、マリヤは3力月後にその家を出たとしても、継続して彼らと行き来し、相談したはずです。

ザカリヤの家庭は、イエス様の誕生ののちにも、地を代表し、一番の先頭に立ってメシヤを保護し、侍りながら証す人たちとして、神様が選んだ家庭でした。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、この上ない精誠を込めて侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従っていたはずでした。また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じさせ、救いを受けさせるように導く責任を果たしたはずです。

しかし不幸なことに、ザカリヤも、エリサべツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証しただけであって、侍ったことはありませんでした。尊敬される祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の道を困難なものにしてしまい、民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い、人間的な思いに流れたときに、イエス様が願われた、新婦を迎えることに協力するはずはなかったのです。

次に考えるべき点は、ヨセフとマリヤの関係がイエス様に及ぼした影響です。マリヤは、エバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係を保たなければなりませんでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、そののちにも夫婦関係を結んではいけないのが神様の願いでした。ヨセフはマリヤに対して、イエス様の誕生ののちにも、ずっと愛の心をもち続けました。マリヤには、ヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。

しかし、現実は、それを簡単には許しませんでした。本心ではいけないと思いながら、マリヤはヨセフと夫婦関係を結ぶようになり、子女をもつことによって、エバの失敗を反復した結果になってしまいました。サタンはこれを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、皆がサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟(洗礼ヨハネとその兄弟)も、カイン側の兄弟(ヨセフの子女)もすベてサタン側になってしまいました。

人がサタンの侵入を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまい、神様に対する確信と感謝を失うようになり、すべてのものを人間的に考えるようになります。これによりマリヤまで、イエス様が願われる結婚に協力することができず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えられず、そして真の父母になれず、十字架の道を行かざるを得なくなった直接的な原因になったのです。

カナの婚宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2:4)と言ったのも、最も貴い摂理の要請である、イエス様の新婦を迎えることをなおざりにし、遠い親戚の婚宴を手伝おうとするマリヤを責める心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイI2:48)と言われたみ言も、このような基準から理解しなければなりません。

イエス様は、母マリヤからも、ザカリヤ、エリサべツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対されて、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探し求め、再び復帰摂理を出発しようとしたのがイエス様の出家でした。出家したイエス様は行く所がありませんでした。

「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ8:20)と嘆息されました。親族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を求めて出発したのです。それがイエス様の3年路程でした。

救援摂理史の原理観

しかし、民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなって、サタンの侵入を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かれるしかありませんでした。本来、イエス様は、メシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されることによって新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。

ですから、再臨することを約束されたのです。再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の理想を完成するために来られます。彼は、既にイエス様の時まで神側が勝利した根本摂理の基台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上にまっすぐに立たれ、彼が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。

ですから、真の父母は、血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類を神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木することによって真の人として救い、さらには真の家庭を完成して、地上天国を建設されるのです。ですから、再臨主は肉身をもって来られ、新しい血統関係を編成しようとするのであり、それが国際合同祝福結婚式なのです。

アダムの家庭で失われたものを、世界大家庭圏で蕩減することにより、アダムの家庭で完成しなければならなかった真の長子権、真の父母権、真の王権を取り戻し、神様が主管される地上天国へと転換し、天上天国に入籍して神様を中心とした地上・天上王権時代に進入し、勝利と自由と幸福と統一の世界を復帰し、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが救援摂理史の原理観です。皆様も、未来に幸福な新しい祝福結婚を受けるようお願いします。ありがとうございました。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2020.05.24 16:54:45
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