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柴犬と紀州犬ミックス犬「ジョーク」の一人言(横田俊英)
(ある質問 08年12月11日電子メール着信) インブリード、ラインブリードばかりしていると、良い点も強化されるが悪い点(外見上日本犬標準から逸脱含む)も強化されますよね (以下は横田俊英の無気力な回答 08年12月11日電子メール発信) 【柴犬と紀州犬ミックス犬「ジョーク」の一人言】 戦後の柴犬の系譜をひもとくとそのはじめのころの犬はそこそこのものもいましたが、耳は十分に立たず、毛色にしても毛質にしても戦前の柴犬の「十石号」には遠く及ばないものでした。 口の悪い人は四国にいた小さな犬や紀州の小さな犬その他を混ぜ合わせて作り上げたのが戦後の柴犬であると述べます。 このことが正しいかどうか私は知りません。 柴犬に比べて紀州犬は比較的経歴がはっきりしているという言い方をする人もおりますが私は実際のことは知りません。 系統とか何とか言う言い方がありますが、このことも私は良くは知りません。 犬の世界には俗説など訳の分からない言葉と説明があるようですが、そのような言葉は私の耳にははいりません。 如何にもということでさまざまな言葉が飛び散っておりますが、ゆっくりと時間を掛けて聞き分けるのが懸命だと思います。 なまっかじりで犬の世界のなかの用語を沢山使う人を幾人も見ておりますが、ご苦労なことです。 一番よく勉強したいのであれば地元の信頼のおける紳士の日本犬飼育家と良い交流をもつことです。 日本犬保存会には犬の展覧会の文化しかないように見えるようですから、犬の展覧会の良否がすべてを価値付けるように勘違いする人が多くいるようです。 私は、展覧会、血統系統、繁殖用種牡台牝、本部賞、ブリーディング、インブリード、ラインブリード、作出といった言葉の正確な理解をしておりません。 【私の犬に対する考え方】 一体、犬とは人にとって何なんだい。 同じことだけど人にとって犬とは何なんだ。 犬は人と暮らすことで犬なんだよ。 人は別に犬と暮らす必要はないのよ。 でも犬が可愛いと思う人はいるし、とくに子犬のような小さくて愛くるしい犬を見るとそのように思うのが普通だよ。 犬は人にとって役にたつ機能をもっているから、その機能を人に提供して生きているものたちもいる。使役犬ということでそのような存在の犬がいて、いまでもその機能によって生きているものたちがいる。 その一方でそうした機能とは別に人の好みでそのような犬を飼っている人もいる。その犬のその犬種に特有の機能を発揮させることが実際にはないにもかかわらず、とおうことで。 牧羊犬、狩猟犬などがあるけれども、そのような犬でもいま飼われている犬のほとんどは家庭犬、愛玩犬、人の供なり人の友なり人の伴として飼われている。 ここまで話しが進んでくると何が何だか分からなくなってしまう。 柴犬や紀州犬を飼っていると狩猟犬としての生い立ちや経歴と家庭犬としての実際ということで訳がわからなくなってしまう。 こうしたことが人にも反映して様々な葛藤が生じるのだ。 ある人は猟能力の保全と発展こそが大事だと考えるからこの方面に力をいれる。 それはそれで良いのだけれど、家庭犬として飼われている柴犬や紀州犬を全面的に否定され、それでは駄目だ、そして駄目犬だと決めつけられると、いまの日本の社会で柴犬や紀州犬は生き残っていけないことになる。 【人が犬を伴っての散歩はスポーツです】 良い犬とはよい飼い主とともにあります。 良い飼い主とは犬を慈しむこと人のことです。 良い犬とは人に嫌われない犬です。 良い犬とは人によってはその心根の良さをしみじみと味わうことができる犬のことです。 その犬の心根の良さとは何でしょうか。 日本人の心に浸みるような仕草(や行動や立ち振る舞い)をする犬のことです。 そうしたことを犬は考えていないだろうけれども人はそうした行動に感動してその犬が好きになるのです。 姿の良い犬はやはり良い犬だと思います。 どのような姿がよいかは定かではありませんが、動物として必要な機能を備えている機能美は美しさにつながります。 走る、飛ぶといったことも機能の一つです。 咬む、噛むといったことも機能の一つです。 よい子を生んで育てることも機能の一つです。 人の言うことを聞き分けるということも機能の一つです。 家にこもって仕事をしていると外に出ることがなくなります。 外に出る理由がないからです。 しかし人は人としての身体は身体を動かすことで出来上がっております。 人は身体を動かさなくてはなりません。現代の労働では人が人として身体を動かしていた状況を再現することができません。 人が人としてあるためには自らの意思によって自らの好みによって身体を動かすというスポーツをしなければならないのです。 犬は飼い主と歩くことが最大の喜びです。 犬の喜びと人の心身の健康の維持・保全・発展としての散歩というスポーツが組み合わさったところに、犬と人との関係があり、人と犬との散歩があるのです。 人と犬の仕合わせを結ぶもの、そして人と犬の仕合わせを実現するものが散歩です。 人が犬を伴っての散歩はスポーツです。 人の気分がよいときに、様々な意味でよい飼い犬と散歩をするときに人は大いに仕合わせです。 天気が良ければなおさらです。 人のそうした仕合わせは飼い犬の仕合わせでもあります。 犬は人なしでは生きられませんが、人は犬なしでも生きられます。 犬なしでは生きられないという人は犬依存症です。 人は人との交わりによって人であるのですから、人は犬との交わりだけを求めてはなりません。 良い人の元にだけ良い犬が育ち飼われることになります。 犬は人の鏡です。当然のことですが飼い犬は飼い主の鏡です。 ですから犬を見れば人が分かります。 と言うほどに犬が分からないのが普通の人です。 良い犬とは 1、性格が良くて人や犬に危害を及ぼさない犬のことです。 (家で騒がない、外で騒がない、静かで逞しい犬のことです) 1、踏んでも蹴っても壊れないような健康な犬のことです。 (よい子を生んで育てる能力も健康のうちにはいるかもしれません。また育てる能力は性格かもしれません。) 1、犬の機能美を備えていることです。 (犬種ごとに備わった機能がありそれを様々に体現していることです) 良い犬はよい飼い主とともにあってこそ良い犬でいられます。 ---- 横田俊英(代表取締役社長) (株)日本計量新報社 東京都千代田区神田錦町3-11-8 武蔵野ビル 〒101-0054 電話03-3295-7871 FAX03-3295-7874 ??????@keiryou-keisoku.co.jp http://www.keiryou-keisoku.co.jp/ ----- Original Message ----- From: > To: ??????@keiryou-keisoku.co.jp> Sent: Thursday, December 11, 2008 10:19 AM Subject: 11日の日記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月11日 13時13分18秒
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