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カテゴリ:「日本列島ぶらり旅」甲斐鐵太郎(旅行家)
高山市飛騨天満宮の「どんど焼き」(1月10日の行事)
飛騨天満宮。 飛騨天満宮は、岐阜県高山市にある神社。 ここの「どんど焼き」は地元の有名な正月行事である。 午前9時から始まった「どんど焼き」は10時には大勢の人が集まっていた。 高山市飛騨天満宮の「どんど焼き」(1月10日の行事) (本文) 高山市宮川の朝市を見物は正午までであり、11時を過ぎるころには片づけがはじまる。 この見物のために高山市の臥龍の郷温泉に泊まった。この地は名物の千年桜の臥龍桜があるところだ。 そこから鍛冶橋のそば宮川の朝市に向かうと飛騨天満宮の正月行事「どんど焼き」が行われていた。1月10日の恒例行事である。 午前9時から始まった「どんど焼き」は10時ころには大勢の人が集まっていて境内に入る車が沿道に溢れていた。 人が集まるところには物見高く首を突っ込む。宿の朝飯がひどかったので「ほっともっと」で弁当を買い、そこの駐車場でこれを食べる。高山市飛騨天満宮のどんど焼きはここの直ぐ側で行われていたので、足を運ぶ。 ここの「どんど焼き」は地元の有名な正月行事である。 「どんど焼き」とは小正月に門松、しめ縄、書き初めなどを持ち寄り燃やす行事である。 杉、檜の枝などを積み上げて燃やし、この火に正月飾り、熊手、達磨などを燃やす。その火で焼いた餅を食べ健康を祈願する。御利益あらたかな餅である。 行きずりの旅人の私もお参りのお賽銭をおさめて塩味の効いた薄い小豆につけた餅をいただいて、喜んだ。 飛騨天満宮は、岐阜県高山市にある神社。学問の神様・菅原道真が祭られている。 敷地内には約100本の梅が植樹されており、毎年3月中旬から4月中旬まで梅を楽しむことができる。 所在地: 〒506-0025 岐阜県高山市天満町2丁目30 電話: 0577-32-1466 903年(延喜3年)、飛騨権掾菅原兼茂が父親の菅原道真が大宰府で亡くなったことを聞き、祠を建て、自らの手で彫った木像を祀ったのが始まりと伝えられている。 923年(延長元年)、菅原兼茂が都に帰るとき、この木像を村民に託した。菅原兼茂は道真の三男で、901年(昌泰4年)の昌泰の変により、他の兄弟と同様に左遷され、飛騨国権掾になった。 1645年(正保2年)には、高山城城主金森重頼が社殿を再建。 2002年(平成14年)、菅原道真没後1100年を記念して太宰府天満宮より、京都から太宰府天満宮まで飛んでいったという伝説の「飛び梅」の子孫である「肥後駒止」「太宰大弐」という紅梅と白梅が神納された。 このようなことが飛騨天満宮のいわれである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月15日 22時00分10秒
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