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カテゴリ:紀州犬
紀州犬物語153 気迫と威厳、忠実と従順、飾り気のない気品と風格、これが齋藤弘吉氏の日本犬観である。(横田俊英)
(タイトル) 人の肌は柔らかい、だから甲冑(かっちゅう)で防護する。) (サブタイトル) 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)という言葉の意味と起源。 第153章 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)という言葉の意味と起源。執筆 横田俊英 生後45日の紀州犬の白毛のオスの子犬。立ち姿。 生後45日の紀州犬の白毛のオスの子犬。顔、顔貌。 (本文) 歯は刃であり、そのはじまりは端のことであったらしい。 「は」とは平仮名である。「ハ」は片仮名である。和語としての「は」があって、平仮名の「は」は「波」の崩し字である。片仮名の「ハ」は「八」の字から借りた。それでは和語の「は」とはどのような意味を持っていたか。「は」と言ってもいろいろあるがここでは「歯」を意識している。「は」は端のことであり、先端と言った意味では「刃」をも意味する。「歯」も端からきていて「刃」と重なる。 動物の歯とは端からきており刃とも通じると解釈されている。ライオンが飼育員に牙を剥いて死に至らしむることがた度々おこる。像は鼻を棒にして人を撃って死亡させる。鼻は「は」「な」であり突端部のことを意味する。犬の歯は刃であると思っていい。犬が牙を剥けば人を殺傷するに足る力をもつ。 人の肌は柔いから甲冑(かっちゅう)で防護する。 口の先端に刃を持ち、口吻は鋭利な刃物でできている。そうであるかた犬が牙を剥けば人が死ぬ。犬と犬との喧嘩では丈夫な皮革の防御があるから牙が肉に食い込む度合いは人の皮膚の比ではない。刃物を受けたら人の皮膚やたやすく裂ける。鎧(よろい)と甲(かぶと)が武将のいでたちになる。甲冑(かっちゅう)とは薄く破れやすい皮膚を守る防具である。 刃物を持たない運動というのがあった。法律は7cmかそこらを境にしてそれ以上の刃物の常時携行を禁じている。猫はライオンの小さな動物であるかドラ猫などは人には手強い相手である。犬もドラ猫程度の大きさならまだよいが人よりずっと大きいのがいる。身体も頭も顎(あご)も大きな犬とはどのような存在であろうか。大きな刃物を常備した毛物でありその音をそのままに獣という。 そういうのが庭にいて或いは家の中にいる。庭でも家の中でもその毛物(けもの・毛もの)をウロウロさせておくことは賊の警護のためにドーベルマンと放しておくのとおなじである。何を賊とみるかは犬の判断であるから飼い主だってその家族だって時には攻撃の対象になる。犬の気持ちは複雑であるから、複雑な気持ちのどこかにさわると歯をもって襲われる。 犬は口の先は刃物であり口吻そのものが刃物である。 可愛がっているから、餌をやっているから、躾もしているからということと、飼い犬の気持ちは別の所にある。犬は何時でも口の先に刃物を備え、口吻そのものが刃物でできている毛物なのである。毛物に力負けする人と毛物とを部屋の中、あるいは庭で一緒にさせておいてはならない。そのようにしないと痛ましい事故がおこる。事故は起こってはならないし、起こったらそれでお終いなのである。嘆いても何をしてもこのような物事は後戻りしない。 大きな犬と人の赤ちゃんが一緒にいる写真やテレビ映像は平和で幸せな風景として用いられる。米国の犬のテレビ番組はこうした映像を良く流す。日本でもそのことは変わらない。テレビ製作の従事者は犬のことは知らない。面白可笑しくして視聴率を取ることが先立っている。赤ちゃんと大きな犬が大人の監視なしでいることなど危険そのものであり、大人がいても犬が赤ちゃんを攻撃したら間に合わない。 犬は繋いで飼うな、家のなかでも扉の付いたケージに入れる。 人は犬への間違った理解をしているようである。間違っていなければよいのだが上のような事例と対比すると少なからずか、相当にか間違った理解をしていることが見て取れる。 犬を飼うのに繋いで飼うな。家のなかにいれて飼うときにも飼い主と遊ぶとき以外は扉の付いたケージの中。人の赤ちゃんがいるときには家のなかでも犬を放すな。それが猫より大きな犬であるならば尚更である。 犬は狭い空間は気にならない。むしろそのようが居心地が良く安心していられる。そのようにできているのだがその訳は犬が狼と共通の祖先をもち、というよりも犬が狼から分かれた犬科の動物だからである。 大きな犬が人を咬めば人が死ぬことは希ではない。 ハスキー犬に狼を掛け合わせた犬を繁殖してる人の仲間が餌やりをしていて咬まれて死ぬという事故がおきている。ひどい咬まれかたであったことをテレビニュースが流している。2017年3月のことである。 家に一日中閉じこもっているよりも時々外にでて散歩して空気を吸うことは人の気分転換になる。犬は人と一緒に飼い主共々散歩コースという縄張りを見回ることを求め習わしともする。街角の所々で臭いを嗅ぎ、尿をふりかけて回る。猫やキツネがでた場所に行くたびにきょろきょろして動こうとしない。犬の散歩とは縄張りの見張り行動でもある。 口吻を静かにつかむ、身体をさすり後ろに回って抱えることをする。これができれば飼い犬は従順になる。 犬を躾(しつけ)ようと思ったら次のことをしたらよい。子犬のうちのことではあるが、何気ない振りをして口を開けさせてサッと歯を確認する。口吻を静かにつかんでじっとさせておく。身体をさすり後ろに回って馬乗り状というか抱える。このことを子犬と遊んでやる振りをして1日に何度も繰り返す。子犬が甘咬みするなどというのは甘咬みをするような状態をつくっているためであり、手をだすから甘咬みするのである。だから飼い主は子犬に手をださないようにしたらよい。 そのようにして育てていれば散歩の順路を飼い主とすたすたと歩き、犬も飼う主も気分がよい。犬に求めることはそれだけである。お手だの伏せだのという仕草を教えても大事なときには役に立たないことはよく知っている。 私の場合には引き綱を放しても付かず離れず一緒に歩ける犬であれば十分だ。 山道を付かず離れず歩く飼い主がいた。すべてがそのような犬になるのではない。 欲のない飼い主であるから私などは犬に上のこと以上のことを求めない。アメリカでも日本でも制御され見事に行動する犬がいるから、大した訓練をするものだと感服するだけである。私の場合には引き綱を放しても付かず離れず一緒に歩ける犬であれば十分だ。 日本の古い時代の言葉の意味の歯のことを始めに述べた。飼い犬が人や犬に歯を向け、歯を使わないようにするための原則は犬を人とも犬とも接触させないことである。このようなことは変であり可笑しくもあり間違っていると思う人はいることであろう。しかしこの子とを変だ間違っているという状態で犬を飼っていた人が遭遇した悲惨な事故を知ると、どのように言われようと上のことを説き続けるしかない。 日本語の「いぬ」は犬のことであるが、この言葉はどのようにしてできたか。 「は」は万葉仮名に変わる平仮名ととして平安時代に考案され漢字の「波」の崩し字である。漢語の音を借りて日本語の音を現した。片仮名は漢字の一部分を抜いてきたりして日本語の音に合わせた。音のなかにある日本語の意味を考えるようにするとよい。 それでは日本語の「いぬ」は犬のことであるが、この言葉はどのようにしてできたのであろうか。この解明は難しく結論などでない。今の日本人の発音と縄文時代の人々の発音は違うようだ。縄文時代には犬がいて人と一緒に暮らし狩りに出ていた。 縄文時代には犬は何と呼ばれていたか。それを探ることになる。縄文人は犬をエヌと発音していたのではないか。「犬」の別音は「Yen」である。エヌが転じてイヌになったのではないか。エヌもイヌも「犬」の意味である。 犬(いぬ)という言い方が何時の時代に始まったか、イヌという犬への呼称のほかに何かなかったか。 エヌもイヌも「犬」の意味であるが、縄文時代起源の名前であるかどうかも不明である。イヌと言わずに小さいことを意味するポチと言われていたかもしれない。言語考古学の世界のであるから、現在は想像の世界で果てしない議論がつづくことになる。犬(いぬ)という言い方が何時の時代に始まったか検証をしたい。イヌという犬への呼称のほかに何かなかったも確かめたい。犬という言い方が何時に始まり、それが今にどのように通じてきたのか。このことを前提にしておいて「犬(イヌ)」という言葉の由来のおさらいをする。 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)の言葉の意味や起源。 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)の言葉の意味や起源を拾うと次のようなことがある。 1、外来語説。 1、唸る(うなる)の古語「イナル」が転じてイナルの語幹イナが元になっているこれが転じたという説。 1、イは、イへ(家)の約音(やくおん)であるエの転じであり、ヌは助詞という説。 1、遠くからでも飼い主のもと帰ってくるということでのイヌルという意味での、居るということでのイヌルという説。 1、イヌルということで、家にいて寝るの意味という説。 1、寝るということでのイネヌ説。 1、イナル(ウナル)の語幹であるイナの転じという説。 1、イヌは犬、エヌは犬の子で区別されるがこれが混ざり合っているという説。 漢字の犬は象形文字、狗は意味の組み合わせでできている。 イヌの漢字は犬と狗を当てている。このうち犬に関しては象形文字であり形が転じた。狗は意味が組み合わされた漢字である。 犬を埋葬すれば可愛がった証明か、人は動物を食って供養塔を建てる。 縄文人は犬を人とともに埋葬したから犬を大事にしていたということが語られる。弥生人は犬を食ったということが語られる。その形態だけから大事にしていたかいなかったか、の判定をしてよいものだろうか。人は動物を食っても供養としての塚を建てる。牛を見ると涎がでるのがどこかの白人であるという。その白人はクジラとイルカを獲ることを責める。人の心の複雑さを示す事例であるが、縄文人と弥生人の犬との関わりの判定にどれだけの事実があって考察がされているのであろうか。 生後7カ月ほどになってイノシシを追った、偶然のなかに要素を探る。 犬への用途としてイノシシやシカの狩猟の供(とも)ということが求められることが多い。害獣駆除というのがあったり狩猟というのがあったりして、紀州犬がそのために用いられる。繁殖した犬が人に渡って生後7カ月ほどになってイノシシを追ったと弾んだ声で連絡を受けた。メス犬であった。同じようにメス犬を連れて行った人からはイノシシをおうので子を取りたいという要望を聞いた。訓練して猟をするようになる犬もいるし、特別な訓練をしないのにイノシシを追うようになる犬もいる。イノシシを追う紀州犬ということになると訓練と合わさって偶然の要素がある。偶然の度合いを上げるためには紀州犬の世界で間違いの少ない血筋とされる犬によって繁殖をすることがよいのであろう。 紀州犬がイノシシを追う行動の素晴らしさと美しさの起源。 紀州犬は紀伊半島に残されていた在来の日本犬である。狩猟をすることが重宝がられて飼われていた。明治以降と戦中の混乱期には血筋が途絶えるような危機にあったがそれを乗り越えて今日に至っている。戦前における狩の名犬としての紀州犬の幾つかが伝説として語られている。そのイノシシを追う行動の素晴らしさは一つの物語であり、そのことに紀州犬の美しさを見ることができる。 気迫と威厳、忠実で従順、飾り気のない気品と風格、これが斎藤弘吉氏の日本犬観である。 紀州犬はどのような気性をしてどのように行動し、顔貌と肢体がどのようにあるのが望ましいかということを斎藤弘吉氏を中心にした人々が日本犬標準として書き表した。斎藤弘吉氏は明治32年(1899年)に生まれ 昭和39年(1964年)に没する。享年65。病気をおして「日本の犬と狼」を1964年(昭和39年)を書き上げて出版した。縄文遺跡や弥生遺跡などから出てくる犬の骨から骨格と構成などを割り出すといった仕事をしている。 気迫と威厳、忠実で従順、飾り気のない気品と風格を大切にするのが日本犬である。この規定は斎藤弘吉氏の日本犬観である。 東京美術学校をでたて斎藤弘吉氏は日本犬の美しさに魅せられて日本犬の保存活動に打ち込む。 斎藤弘吉氏は荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)を経て東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業大学を卒業して洋画家を目指していたが、日本犬の美しさに魅せられたことや絶滅が危惧されていた日本犬の保存活動に従事する。活動を巡っての対立により斎藤弘吉氏を離れる。斎藤弘吉氏の日本犬観はそのまま胸にしまわれる。残念なことだ。日本犬保存会を離れた斎藤弘吉氏は1948年(昭和23年)に日本動物愛護協会の書記長に就任し、以後この活動を続ける。 『日本の犬と狼』『犬科動物骨格計測法』を著した斎藤弘吉氏。 遺跡から出てくる犬の骨格の調査をしてきた斎藤弘吉氏は1963年(昭和38年)に「犬科動物骨格計測法」を出版する。この年には講談社の「全集日本動物誌12」に「愛犬ものがたり」収録している。 斎藤弘吉氏は美術にかかわって伯父の斎藤治兵衛氏が郷土史家、妻の辻輝子氏、義弟の辻清明氏、子の辻厚成氏、孫の辻厚氏はそろって陶芸家である。斎藤弘吉氏自身は庭園の設計と制作を手がけてもいる。斎藤弘吉氏は美意識あるいは美的感覚に秀でた人である。その斎藤弘吉氏の手によって規定され残されているのが日本犬であり紀州犬であるように思われる。 (誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。) (下をクリックすると詳細をご覧いただけます) 紀州犬物語153 気迫と威厳、忠実と従順、飾り気のない気品と風格、これが齋藤弘吉氏の日本犬観である。(横田俊英) (タイトル) 人の肌は柔らかい、だから甲冑(かっちゅう)で防護する。) (サブタイトル) 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)という言葉の意味と起源。 第153章 巷(ちまた)に流れる犬(イヌ)という言葉の意味と起源。執筆 横田俊英 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年03月16日 11時56分30秒
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