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2023年10月21日
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ノーベル賞 カリコー・カタリン博士物語
カリコー・カタリン氏の人物と経歴

カリコー・カタリン(Karikó Katalin, [ˈkɒrikoːˌkɒtɒlin], 1955年1月17日生れ)は、アメリカ合衆国在住のハンガリー人生化学者。バイオンテック上席副社長。RNAの修飾機構を専門とし、ガラス管内で修飾させたmRNAを用いて蛋白質療法への応用を研究する。RNARx社の共同創業者でCEOを務め(2006年~2013年)、2013年よりバイオンテックの重役を歴任し上級副社長(Senior Vice President)、またペンシルベニア大学の非常勤准教授職(客員教授)にある。
The story of Dr. Kariko Katalin (Person and career of Mr. Kariko Katalin
ノーベル賞 カリコー・カタリン博士物語 人物と経歴(計量計測データバンク編集部)

ノーベル賞 カリコー・カタリン博士物語 人物と経歴(計量計測データバンク編集部)


写真はノーベル賞生理学・医学賞のカタリン・カリコー非常勤教授(68歳)


写真は賞生理学・医学賞のドリュー・ワズスマン教授(64歳)

(タイトル)

ノーベル賞 カリコー・カタリン博士物語 人物と経歴(計量計測データバンク編集部)

(本文)

 
2023年のノーベル賞発表は10月2日(月)に生理学・医学賞の発表があり、米ペンシルベニア大学のカタリン・カリコー非常勤教授(68歳)と同大のドリュー・ワイズマン教授(64歳)の二氏が選ばれた。遺伝情報を伝える物質「メッセンジャーRNA(mRNA)」を使うワクチンに欠かせない基盤技術確立の功績が認められたもの。

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は10月2日、2023年のノーベル生理学・医学賞を米ペンシルベニア大学のカタリン・カリコ非常勤教授(68歳)と同大のドリュー・ワイズマン教授(64歳)に授与すると発表した。二人は遺伝情報を伝える物質「メッセンジャーRNA(mRNA)」を使うワクチンに欠かせない基盤技術確立に貢献した。新型コロナウイルスワクチンを実用化に導いた業績が大きく評価された。メッセンジャーRNA(mRNA)の医薬品応用への道を切り開き、新型コロナウイルスワクチンの早期実現につながった功績は大きい。


カリコー・カタリン バイオンテックの重役を歴任し上級副社長、ペンシルベニア大学の非常勤准教授職(客員教授)


 カリコー・カタリン(Karikó Katalin, [ˈkɒrikoːˌkɒtɒlin] 1955年1月17日生れ)は、アメリカ合衆国在住のハンガリー人生化学者。バイオンテック上席副社長。RNAの修飾機構を専門とし、ガラス管内で修飾させたmRNAを用いて蛋白質療法への応用を研究する。RNARx社の共同創業者でCEOを務め(2006年~2013年)、2013年よりバイオンテックの重役を歴任し上級副社長(Senior Vice President)、またペンシルベニア大学の非常勤准教授職(客員教授)にある。

 ハンガリーとアメリカの二重国籍(アメリカ籍は1999年に取得)。ハンガリーのソルノク県(現在のヤース・ナジクン・ソルノク県)ソルノク市出身。姓はカリコ-と伸ばすが日本では英語からカリコと短母音で表記したり、名前のカタリンを英語風にケイトと表記したりするのも散見されるが、本人は自分はハンガリー人であるということを強く主張している。

1955年のハンガリー人民共和国ソルノク県ソルノク市生まれ

 冷戦最中の1955年のハンガリー人民共和国ソルノク県ソルノク市生まれで、ソルノクより50 km程東のソルノク県キシュウーイサーッラーシュ市で育つ。父親は精肉業で、母親は事務員だった。幼少から「動物の中には何が入っているのか」に強い関心を抱いていた。鶏を飼っていて、産卵もエキサイティングと感じていた。

高等学校で生物学最優秀生徒に

 8年制義務教育の国立アラニュ・ヤーノシュ街小中学校で生物学に興味を持つ。4年制の国立モーリツ・ジグモンド高等学校で生物学で最優秀の生徒に与えられる第1回イェルミ・グスターヴ賞を受賞。

ハンガリー科学アカデミー付属セゲド生物学センター研究、1982年に博士号(生化学)を取得

 1973年にチョングラード・チャナード県セゲド市の国立ヨージェフ・アティッラ大学。現在の国立セゲド大学、エステ(ソーテ)〕)に入学、1978年に卒業。1975年から1978年までは人民共和国奨学金を得ていた。

 大学卒業後、1978年から1982年までハンガリー科学アカデミー(MTA)の奨学金を受けて、ハンガリー科学アカデミー付属セゲド生物学センターで有機科学者のトマス・イェネーの下で博士課程研究に従事、1982年に博士号(生化学)を取得した。

 在学中からRNA研究に取り組み、主要研究は、RNAの免疫原性を抑制するヌクレオシド修飾プロセスの発見で、RNA媒介免疫活性化が代表的研究であり、mRNA研究の臨床応用への道を開いた。 国の奨学金を得て研究者生活を送っていた。

 1976年にハンガリーのセゲド大学で学部生時代の講義中に、「mRNA が免疫系による癌組織の認識と破壊に役立つかどうか」の考えに初めて触れ、関心を持つようになった。

30歳の誕生日に失業、受け入れ先のテンプル大学のある米国に渡る

 国家経済疲弊による失業の憂き目に。ハンガリー人民共和国の経済は疲弊し、国はセゲド・センターの予算を大幅に削減。RNA研究費手当がなくなり、カタリンは同年1月17日という30歳の誕生日に失業する。欧米各地の教授に求職の手紙を書くとアメリカのテンプル大学で博士研究員としての受け入れられた。「自分が何者で、どんなことができるのか」を書いたと語る。同1985年にはポストドクター研究員として招聘される。全財産を売却して得た現金を闇市で両替し900英ポンドを得る。当時の日本円換算で2万円以上持ち出すことができなかったので、2歳の娘が持っていた縫いぐるみ人形のテディベアに900英ポンドを隠して米国に渡る。このお金でアメリカに親戚など頼れる人がいないので給与までの30日をしのぐ。

米国の大学はドアの開閉が乱暴、大声でしゃべる ハンガリーに劣る研究室

 テンプル大学の生化学科のポスドクつまり博士課程修了後の任期付き研究職である博士研究員として、ソ連と対立関係にあるアメリカへ大学で研究をするという正式なオファーを理由に、エンジニアの夫と娘という家族一緒に出国許可を得る。夫は清掃職をした。夫は彼女に協力した。研究を続け、生きていくため不安もありながらフィラデルフィアで研究に従事。大学ではみんなドアの開閉は乱暴だし、大声でしゃべる。実験室はハンガリーのセゲドの研究室が設備が整っていた。ハンガリーの自宅にあった洗濯機があったのにアメリカではコインランドリーを使った。生活レベルは下がった。最初の1週間で逃げ出したいと思った。

ジョンズ・ホプキンス大学からの招聘依頼を妬まれる

 渡米4年後にテンプル大学の上司に強制送還か退職かを問われる。1988年にジョンズ・ホプキンス大学から仕事のオファーがあったときに上司がこのことに嫉妬したことによる。上司はジョンズ・ホプキンス大学に彼女が就職できないようにした。彼女は米国軍保健科学大学(防衛医科大学校に相当)の病理学科での一時勤務員だったことが、次への職場勤務への一年間を救う。この大学ではB型肝炎治療に必要なインターフェロン・シグナル研究など、分子生物学の最新技術など多くのことを学んだ。ジョンズ・ホプキンス大学医学部は米国で最優秀の地位にある。

1989年にペンシルベニア大学の医学部に移籍

 渡米後は任期付きの非正規ポストを転々とし、1989年にペンシルベニア大学の医学部に移籍し、心臓外科医エリオット・バーナサンの下で研究する。研究助教という非正規雇用。でるべき助成金もでなかった。カリコーに好意的な直属上司のエリオットの支援に助けられて研究した。

mRNA療法への助成金は拒否されつづき

 1990年はアメリカにおける助成金初申請かつ初却下の最初の経験であった。その後もmRNA療法への助成金は拒否されつづきだった。彼女は「私は申請書などを考え出し政府の資金や投資家からの民間資金を獲得しようとしたが全員が拒否した」と語る。研究も評価されず研究費もしばしば削られた。アメリカ移住後ずっと外部からの研究資金提供は得られず、1998年以降は同年に知り合った同僚(ドリュー)に研究費に依存する日々が続い。多くの補助金申請を拒否されるなかニューヨークのベンチャーキャピタリストから資金を集めるためにスピンオフ会社を設立しようと試みる。しかし「最初は投資すると約束したがその後に、電話は返してくれませんでした」と無駄な努力だったと語る。

終身雇用資格の教職つまりテニュアトラックから降格させられる

 1995年には、ペンシルベニア大学の上司から退職か降格かと選択を迫られる。彼らは彼女が「成果を出すことができず、社会的意義のある研究とも思えない」「教員に適しない」との理由で研究室のリーダー職から、mRNA研究を諦めることになることになる辞職か、降格と減給のもとでの研究続行か選択を迫られ。後者を選ぶことになる。終身雇用資格の教職ポストから解職、つまりテニュアトラックから降格させられ、大幅減給の身となる。正教授(full professorship。テニュア)への道を望んでいた彼女には屈辱的な選択だった。ここで辞職していたらmRNAによって慢性疾患に対する新しいワクチンや治療薬開発よいう夢は途絶える。彼女の直属の上司エリオットは研究費不足のために所属する研究チーム解散させられてて、1997年にエリオットはペンシルベニア大学を去った。エリオットの後任者は彼女を不要と判断し解雇しようとした。

資金力が豊富な脳外科へ移籍研究のための小部屋と年間4万ドルの給料を得る

 彼女を救ったのは、彼女の教え子でその仕事ぶりを見ていた研修医(当時脳外科のインターン中)デイヴィッド・ランガーであった。彼女を迎え入れるよう自分の上司である同大学脳神経外科のトップに、彼女の研究にチャンスを与えるよう申し出た。この結果彼女は、資金力が豊富だった脳外科へ移籍することで研究のための小部屋と年間4万ドルの給料を得る。ペンシルベニア大学在職中もクリスマスと大晦日を実験と助成金申請書を書くような状態であった。

ペンシルベニア大学側は、mRNA研究は時間を無駄だと判断していた

 ペンシルベニア大学による最後通牒の背景には、他の同分野の多くの科学者もこの分野から遠ざかり、ペンシルベニア大学側は、mRNA研究は時間を無駄だと判断していた。彼女は降格騒動時期に癌の二つの手術を控えていて、夫もグリーンカードを取りにハンガリーに一時帰国していたが、ビザの問題で現地で立ち往生しており、6か月間帰国できなかった。この時期に私は本当に苦労していました、と語っている。手術の間、彼女は自分の選択肢を検討し、留任を選び、降格という屈辱を受け入れ、同分野の研究を続けることを決意した。このペンシルベニア大学を辞めなかった選択が、彼女のその後の成功へとつながる偶然、つまり共同研究者となるドリューとのコピー待ちでの曹禺となる。

ペンシルベニア大学での研究生活が安定してたのは2年だけ

 彼女ことカリコーは、ペンシルベニア大学での研究生活が安定してたのは2年だけと語る。1997年に研究費不足で彼女が所属するエリオットのチームは解体された。同年にカリコーに支援的な直属上司エリオットもペンシルベニア大学を辞め、バイオテク企業に転職する。彼女はエリオットがやっていることが斬新すぎてお金をもらえなかった、と語る。

ワイスマンの研究費でカリコーと二人は共同研究を始める

 1997年に免疫学者のドリュー・ワイスマンがペンシルベニア大学に移ってきた。科学出版物がオンラインで入手できるようになるずっと前で、科学者が最新の研究を閲覧する唯一の方法は雑誌からコピーすることだった。ドリューは1998年のカリコー(彼女)との出会いについて「気づいたら、部門内でカタリン・カリコーという科学者とコピー機の順番を巡って争っていた」「それで私たちは話し始め、お互いの行動を比較し始めました」と語る。ペンシルベニアにおける彼女の学術的地位は低いままだったが、ワイスマンは彼女の実験に資金提供する資金を持っていたため、二人は研究協力を開始した。

2005年にRNAワクチンの開発につながる共同論文を発表

 1998年に知り合ったHIVのワクチン開発の研究をしていた免疫学者ドリュー・ワイズマン教授と、2005年にはRNAワクチンの開発につながる革新的な研究成果「mRNAを構成する物質の1つ「ウリジン」を、tRNAでは一般的な「シュードウリジン」に置き換えると炎症反応が抑えられる」との共同論文を科学雑誌『Immunity』に発表したが、「時代を先駆け過ぎた」ために注目は集まらなかった。その後にはペンシルベニア大学の研究室費用も賄えなくない状態となっていた。

カリコーとワイズマンの独占的ライセンスと特許が後モデルナ社とビオンテック社に売却される

 2006年から2013年までドリューと創業したRNARx社の共同創設者兼CEOを務めていた。アメリカ政府のアメリカ国立衛生研究所(NIH)から100万ドルの資金援助を得た。これが「最初で最後に獲得出来た助成金」である。ペンシルベニア大学での冷遇は続き、前述のように2009年に上級研究員から非常勤准教授に降格された。二人の発表した論文も学会で注目されることもなかった。他にも同大学における知的所有権に対する制限(研究者の特許は大学機構の所有)の影響で、RNARx社は軌道に乗らず大きな成果を上げることがなかった。ペンシルベニア大学は該当技術を自組織で特許申請する方針転換し、2008年にはカリコーとワイズマンの研究成果に対する独占的ライセンスを販売した。2010年に、カリコーとワイズマンの研究成果に対する独占的ライセンスと特許を研究用品会社「セルスクリプト(Cellscript)」の経営者のゲイリー・ダール(Gary Dahl)に売却した。これが後に、モデルナ社とビオンテック社に売却されたことも転機につながった。

カリコーとワイズマンの研究はmessenger RNA = mRNAの医療への応用の道を確実にした

 2008年ころには、ワイズマンらとの共同研究である「特定のシュードウリジンに置き換えることで、目的とするたんぱく質が作られる効率が劇的に上がること」を明らかにしたことで、これが後の伝令RNA(messenger RNA = mRNA)の医療への応用の道を確実にした。2008年にカリコーが発表した論文の共著者の一人である大阪大学の審良静男特任教授は、2023年10月2日に「(彼女らのノーベル生理学医学賞)受賞は当然だ。新型コロナのワクチン開発は人類への大きな貢献だ」と述る。アメリカに2歳の時につれてきた彼女の娘スーザン・フランシアは、2008年と2012年に米国ボートチームで金メダルを獲得している。

改変(mode) RNAにちなんだ Moderna(モデルナ) の創業

 スタンフォード大学の博士研究員だったデリック・ロッシは、カリコーとワイズマンらの論文と研究に大きな関心を抱く。2010年には、ロッシはハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の教授ら3人で、改変されたmRNAを使用したワクチンや治療薬を開発目的とし、バイオテクノロジー企業「モデルナ」を共同設立した。ハーバード大学の生物学教授かつ連続起業家ティモシー・スプリンガーは、カリコーとワイズマンの研究に触発されて、mRNA療法に基づく会社設立をロバート・ランガーマサチューセッツ工科大学教授にも打診した。三人の科学者は、心臓血管科学者のケネス・R・チエン( Kenneth Chien) とともに、「改変(mode) RNA」にちなんで名付けられた Moderna(モデルナ) を共同設立した。ティモシーは、バイオテックの「モデルナ」に投資し、総資産10 億ドル(約1070億円)以上のビリオネアの仲間入りをする。

mRNAをめぐるモデルなとアストロゼネカの関係

 mRNA開発分野で2013年ころにモデルナの研究は注目を集めた。モデルナは、心臓代謝疾患とがんに対する mRNA 治療法の発見、開発、商業化のために英国の製薬会社アストラゼネカから2億4,000 万ドルを受け取るというほどの企業となっていた。

改良型mRNAを全ての人に使って欲しい手法でるから特許を取る気持ちはなかった

 2008年には、mRNAのウリジンを「シュードウリジン」という特定の化学修飾したモノに発展させた。このシュードウリジンを施したmRNAを使うと、炎症抑制だけでなく、タンパク質の設計図であるmRNAが細胞の中に入っていき、大量のタンパク質作成されることが判明した。大学は二人の手法を「Kariko-Weissman technique」と特許を出願し、二人の連名で出された最初の特許出願が認可されたのは2012年であった。そのごmRNA技術に関する特許を9件取得した。カリコーとワイズマンの二人は、最初に作ったヌクレオシド改良型mRNAを全ての人に使って欲しい手法でるから特許を取る気持ちはなかったが、「特許をとらないと誰も開発も投資もしてくれないと、大学側に言われたからやむをえずそうした」「お金のためじゃなかった」と語っている。

コロナワクチン開発につながったmRNA

 2012年にシュードウリジンを改良したメチルシュードウリジンを開発し、タンパク質をより効果的に作ることにも成功した。コロナワクチンに使われているのはこの技術を使ったmRNAである。翌2013年に来日し、武田薬品工業を訪問した。カリコは、「研究を続けたい、そのための資金を出してくれるところなら、どこへでも行こうという気持ちだった」と述べている。

ドイツ企業ビオンテックとカリコー研究契約を結ぶ

 多くの研究者が彼女らの研究の可能性に気付かないなか、2011年にトルコ系ドイツ人やオーストリアの研究者が創設したドイツ企業ビオンテックは、彼女(カリコー)をドイツに招き、同社との研究契約を結んだ。招聘理由は、2010年頃にペンシルベニア大学が売却していた彼女らの研究成果の関連特許を買った同社が、彼女の研究成果に注目したからである。カタリンの加入で、ビオンテックの研究力は一段と向上する。

2019年にカリコーは、ビオンテック社の上級副社長となる

 2013年には、ペンシルベニア大学が1995年に降格させられたカリコを正規雇用の教授職へ復帰させることを拒否したため、同年に彼女はドイツへの移住が必要となるビオンテック社からの副社長就任依頼という申し出を受け入れる。カリコーが、ペンシルベニア大学に退職を申し入れると大学の担当者は、ビオンテックには公式ウェブサイトすらない、と嘲笑したと語る。夫はフィラデルフィアで暮らし、副社長となったカリコーはドイツに渡った。2017年にはカリコーはビオンテックおよびペンシルバニア大学の研究者数名とともに、「mRNAワクチンがマウスとサルをジカウイルスから守ること」を研究実績として明かした。ペンシルベニア大学による正教授拒否後2019年にカリコーは、ビオンテック社の上級副社長となった。

COVID-19のパンデミックはカリコーらのmRNAによるワクチン開発を求めた

 2020年にCOVID-19のパンデミックにより前例のない規模のワクチン開発が必要となったため、カリコーらの研究がmRNAの臨床研究への貢献したことが注目されだした。彼女らの研究が実を結ぶ。新型コロナウイルス(Covid-19)のゲノム情報解読から2日後の2020年1月13日にはワクチンの基本設計が完成した。人での安全性を確かめる臨床試験もまだ日本での全国的なコロナ流行第一波前の2020年3月16日に始める。カリコーとワイズマンの研究成果が活用される段階に突入したのだ。それまでのカリコの長い苦難は新型コロナ対応ワクチンで一気に花開く。mRNAワクチン開発の歴史と新型コロナ災害との間の好対照であり、100年に1度の流行り病をおさめた劇的な出来事として歴史に刻まれる。

ファイザーとビオンテック共同開発のCOVID-19ワクチンやモデルナのワクチンにもmRNAが応用

 カリコー(彼女)は、アメリカ国内での非免疫ヌクレオシド変形RNAに関する特許をワイズマンと共同保有している。この研究によりmRNAの抗ウイルス応答が癌ワクチンとして腫瘍予防に有効であることが明らかになり、2020年には、この技術がファイザーとビオンテックが共同開発したCOVID-19ワクチンにも応用された。同じ技術が、モデルナのワクチンにも応用されている。

 2021年にペンシルベニア大学は、「一定期間、非常勤大学教員として籍を有する者」として、カリコーを同大学医学部客員教授にした。

2022年4月にカリコーは日本国際賞受賞で来日

 新型コロナが蔓延している2022年4月にカリコーは日本国際賞を受けるために来日した。カリコーは日本のメディアに「私は称賛を受けることは、それほど重要ではない。うれしいのは、私の研究によって誰かが救われたということだ」と話した。授賞式に先立ち、カリコ氏は駐日ハンガリー大使館を訪れる。ここでは駐日ハンガリー大使、mRNAの研究で知られる新潟薬科大客員教授の古市泰宏らから祝福を受けた。。

カリコー・カタリン(Karikó Katalin, [ˈkɒrikoːˌkɒtɒlin]主な受賞歴
2020年

公共メディア年間人物賞
ローゼンスティール賞
2021年
ヴィルヘルム・エクスナー・メダル
アストゥリアス皇太子賞学術・技術研究部門
Széchenyi Prize(英語)
ゼンメルワイス賞 Semmelweis Prize
ハンガリー精神賞
人間の尊厳賞
ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞
オールバニ・メディカルセンター賞
慶應医学賞
ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞
国際ポール・ヤンセン生物医学研究賞
ウィリアム・コーリー賞
グランドメダル
プリンス・マヒドール賞
ドイツ免疫学会賞
BBVA Foundation Frontiers of Knowledge Award
マイエンブルク賞
ハーヴェイ賞
2022年
ヴィレク優秀賞(Vilcek Prize for Excellence)
生命科学ブレイクスルー賞
パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞
パール・マイスター・グリーンガード賞
ロレアル-ユネスコ女性科学賞
ベンジャミン・フランクリン・メダル
ルイ=ジャンテ医学賞
ヘルムホルツ・メダル
ジェシー・スティーヴンソン・コヴァレンコ・メダル
日本国際賞
ガードナー国際賞
ウォーレン・アルパート財団賞
唐奨バイオ医薬部門
欧州発明家賞
2023年
ノーベル生理学・医学賞
2024年
パウル・カラー・ゴールドメダル
栄誉
2020年  キシュウーイサーッラーシュ市名誉市民
2021年 名誉市民(Csongrád-Csanád county、Szeged)
2021年 名誉博士号(セゲド大学(英語))

夫はハンガリーから一緒に移住、娘はオリンピックのボート競技で二度の金メダル

 夫はエンジニアのフランツィア・ベーラ、アメリカ移住後はゼロからのスタートとなったため、清掃職をしていた。献身的に研究者の妻を支えた。

 ハンガリー人民共和国時代のセゲド生まれで、2歳の時にアメリカへ一家で移住した長女フランツィア・ジュジャンナ(スーザン・フランシア)はボート競技(エイト)の選手である。2008年北京オリンピックと2012年ロンドンオリンピックでは2連覇し、アメリカ代表選手として2個の金メダルを獲得した。2023年のノーベル賞受賞後のインタビューで長女は母カリコについて、「金メダリストの母親」から「世界を救う科学者」として有名になったと米メディアで語っている。母親は2018年に亡くなった。

2023年ノーベル賞の各賞の受賞者は次のとおり

 2023年のノーベル生理学・医学賞は米ペンシルベニア大学のカタリン・カリコー非常勤教授(68歳)と同大のドリュー・ワイズマン教授(64歳)。ノーベル物理学賞はアト秒パルスレーザー開発に貢献した三氏、米オハイオ州立大学のピエール・アゴスティーニ名誉教授、独マックス・プランク量子光学研究所のフェレンツ・クラウス教授、スウェーデンのルンド大学のアンヌ・ルイリエ教授。ノーベル化学賞は「量子ドット」発見と製造方法の開発した三氏、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のモウンジ・バウェンディ教授、米コロンビア大学のルイス・ブラス名誉教授、旧ソ連(現ロシア)出身で米ナノクリスタルズ・テクノロジー社のアレクセイ・エキモフ博士。ノーベル文学賞はノルウェーの劇作家 ヨン・フォッセ氏。ノーベル平和賞はイラン人女性のモハンマディ氏。ノーベル経済学賞に男女の賃金格差の要因など研究した米国ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン女性教授。

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最終更新日  2023年10月21日 00時00分22秒
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