カテゴリ:土木遺産、歴史遺構
小貝川下流の岡堰が創りだす水辺風景は、古来景勝地であった。堰による人造湖を中心にして、中の島や水神岬、更には筑波山を望むことができた。また、桜の名所でもあった。近くに「さくら荘」(老人福祉センター)にその名残がある 岡堰は寛永7年(1630年)に築かれた。それまでは毎年、横断土堰により川をせき止め、米の収穫期を迎えると、その堰を切断していた。明治に入ると丈夫なレンガ堰を使用して改築。しかし大洪水の度に損壊を受けて修復を繰り返す。鉄筋コンクリートに改築されたのは昭和21年であった。 旧岡堰は、中の島を基点に造られていた。左岸側を可動堰に、右岸側を洗い堰にした施設で、関東三大堰の一つに称えられていた。現在はすべて撤去され、中の島弧公園 にその面影が残る。明治時代のレンガ堰の一部と昭和時代の可動堰の遺跡が野外展示してある。 この土木遺跡と小貝川上流を見守るように間宮林蔵像が立っている。彼はこの付近で生まれ、岡堰の普請に従事して、その才能を見いだされたところだ。彼は樺太との間にある海峡を発見した探検家。しかし測量技術も身につけている。同じ銅像が北海道の宗谷岬にもあるが、仕草が微妙に異なる・・。 写真-1 中の島へ渡る「岡堰中の島橋」。この位置に旧洗堰があった。右岸上流から見る。 写真-2 中の島に置かれた旧岡関の遺跡を見つめる間宮林蔵像。測量鉄鎖を左手に持つ。 写真-3 小貝川堤防越し筑波山を望む。菜の花の時期も終わりに近づいた。
写真-4 昭和12年に完成した11連の引上扉式の可動堰。左岸上流から見た撤去前の岡堰。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年04月23日 14時31分30秒
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