カテゴリ:国内旅景色
さくらんぼ狩りへ行く途中、多賀城跡に立ち寄る。松尾芭蕉が「壺碑」を訪れたのは6月下旬(旧暦5月8日)。その際、あやめ草をわらじの緒に結んだ場所・・。いまでは、あやめ、花菖蒲、カキツバタなど300万本が咲く「多賀城跡あやめ園」となっている。 多賀城は、奈良平安期に国府が置かれたところ。11世紀の中頃まで約200年間、陸奥国の政治・文化・軍事の中心地であった。平城京跡(奈良)、大宰府跡(福岡)とともに日本三史跡に数えられる。国の特別史跡・重要文化財で、今後も保存・整備され続ける。 多賀城は「たがの柵」とも呼ばれ、約1km四方の築地(外郭)に囲まれていた。その外郭南門近くに歌枕壺碑(多賀城碑)がある。芭蕉の頃は野晒しだったが、現在は覆屋に守られている。「つぼのいしぶみ」とは、名所旧跡にあたる多賀城の歌枕となっている。 壺碑の大きさは、高さ192cm×幅92cm。多賀城の創建や修造時期、京からの距離、国境から距離が刻まれている。硬い砂岩に彫られていた141文字は、1300年の月日を経てもなお判読できるという。「去京一千五百里」とある。535m×1500里=800kmとなるが・・。 写真-1 多賀城跡あやめ園の様子。 写真-2 650品種のあやめ類が咲き誇るという。 写真-3 あやめ園南の丘に多賀城碑(壺碑つぼのいしぶみ)がある。
写真-4 南外郭門の復元計画があるようだ。
写真-5 歌枕の壺碑には141文字が刻まれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年07月01日 20時02分06秒
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