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カテゴリ:ブログ・ジャーナリズム
「禅と戦争」 禅仏教は戦争に協力したか
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Bhaveshの生家はお寺なの? もしかしたら、初めて知ったかも……。
この本は、Bhaveshとは違って、日本の禅の伝統に少なからず幻想を抱いていたぼくにとっては、とてもいいショックでしたね(笑)。 Bhaveshが言うように、彼の主張には、ある意味でワンサイド(片手落ち)的な傾向もあるけど、かといって、両派の著名な禅僧による目立った反論もないようですね。 また、戦時に沈黙した人々も多くいたと思うけど、「大胆にも反戦を唱えた」狂人は、想像を絶するほど少ないというのがぼくの印象でした → これは『兵役を拒否した日本人』を読んで思ったことですが……。 (2006.11.17 19:03:02)
>生家はお寺なの?
いやいやそうではないですよ。実家のお墓があるお寺という意味です。 でも、お寺が火事になって焼き出された時、お坊さん一家して私の生家に間借りしていたらしい。その時、少年だった、お坊さん(すでに故人ですが)は、成長して母親の学校の先生になったりとか、いろいろとお寺と我が家には近しい関係があって、檀家総代とか長いこと祖父がしておりました。 >『兵役を拒否した日本人』 これもそのうち読んでみようと思います。戦争の時代については、その時の状況について詳しく知らないと、よくわかりませんよね。例えば10年前のオウムの時のことだって、70年前後の社会状況のことだって、当時のことを正確に振り返るのはそうとう難しいと思う。 だから、生まれてもいなかった時代の戦時下における社会的なできごとは、今から研究しようとしても私には、思いが届かないところもいっぱいあります。 >兵役を拒否した日本人、が想像を絶するほど少なかった、というのは本当でしょうね。それは許されなかったでしょう。ましてや、>大胆にも反戦を唱えた、なんて人は、ほんとにまれだったでしょうね。だからこそ、日本共産党の幹部とか、創価学会の幹部などが、反戦を唱えて収監されて、生き残ったあと、戦後、あれだけの存在感を示すことができたのでしょう。 (2006.11.17 19:49:00)
著者のブラィアン・ヴィクトリアは、1960年代のアメリカで良心的戦争忌避者になって、また、鈴木大拙などが欧米に紹介した「Zen」が、非戦・反戦を標榜していた、と思って(誤解して)いたことが、曹洞宗のお坊さんになった大きな理由であったと思います。
私のイメージは、本来、宗教は好戦的でも反戦的でもないのだと思う。いろいろ時代時代で利用されてきたことはあったと思うけれど。私にとっては、禅が反戦の宗教でなくても、なんにもこまらない。もちろん、平和の宗教だったら、私は禅を愛する、ということにもならないようだ。 ブラィアン・ヴィクトリアの視点は、欧米人が日本を見るという意味では興味深いとは思うけれど、キリスト教もイスラム教も共産主義国家もみんな戦争するんだもの、いきなり「禅と戦争」というふうにくくられても、私には、ちょっとピンとこない、というところがあります。 インドの新仏教徒運動のアンベードガルは、アウトカーストの人々が、警察や軍人に採用されないことを、差別と見て、軍隊に採用される運動をしていたことがある。 戦争する、ってことと、軍隊を持つ、軍人になる、ってことは違うことだと思うけど、現在の日本にも自衛隊があるし、インドだって核武装している。 バガバット・ギータにおけるアルジュナとクリシュナ神の問答のごとく、戦争については簡単には結論がでません。 (2006.11.17 19:49:49)
現在、日曜早朝座禅会に参加している禅寺の住職(私とほぼ同年輩である)が、みんなで朝粥をいただいている時、山本五十六の「男の修行」という色紙を見せてくれた。どこかの土産物屋で見つけたらしい。その内容はなかなか素晴らしい。しらべてみると、現在の自衛隊でも愛唱されているとか。しかし、私にはどうしてもこの軍人の戦争責任を看過することはできない。高校時代に「トラトラトラ」という真珠湾攻撃の映画を観たきりで、まともにこの人物を知らないが、相当に、人たらし、であったらしいことには気がついている。当ブログにおいては、あまりこの辺りを触っては来なかった。が、唯一といっていいほど、この記事が関係あるかな、と思い出し、ここにメモしておく。いつかこの話題、再燃させたい。
(2018.09.05 03:26:25)
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