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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.02.18
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カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



アンダーグラウンド<2>より続く

『アンダーグラウンド』  
村上春樹 1997/3 講談社

 丸ノ内線(池袋行き/折り返し)

 原集団が出家、という時、あるいは、島田がヤマギシ会への参画、という時、それはひとつの<社会>をでて、あらたなる<社会>へと移動することを意味しているようだ。通常の人間もそのような体験をする。引越し、進学、就職、結婚、退職、あるいは留学や帰国、病気や、配置転換、などでもそのような体験ををするだろう。しかし、ここにおいては、互いに大枠でのおおきな社会があって、互いに補完しあっているような、弱い関係ながら、常に交換可能な価値観を携えているように思える。

 ところが麻原集団や島田が体験した共同体などでは、ひとつの社会(それは大きな枠組みで補完しあっている社会であるが)、その既存の社会に対するアンチテーゼとしての規範を創り出そうとする。そのような価値観があり、またそのような価値観をつくりだそうとするから、ひとつの小さな集団性ができあがるといってもいいだろう。そのような時、一個の人間として既存の社会への強い拒否感、否定感覚があるからこそ、あたらしい価値観を求めて旅たつ、とも言えるだろうし、時には、単に好奇心から、ということもあるだろう。

 田がヤマギシ会に参画したのは、大学の研究対象として<潜り込み>研究をしたからだ。かならずしもヤマギシ会の価値観に共鳴し、既存の社会への否定感覚から共同体へと移動していったわけではなかった。しかし、その共同生活のなかで、とくに<特講>と言われるプロセスを経て、一度はその共同体に理想を見、そして更にそこから苦しみながらも脱会することによって、もとの大きな社会に復帰した。この時の島田のどの地点に、例えばシッダルタの「往相」になぞらえるような出来事があったのだろうか。その疑問がずっと私は感じている。

 島田が、感じた共同体への「あこがれ」は、好奇心の変形した研究の対象、という域をでないのではないだろうか。もしそうだとするなら、その後の彼の研究は、他の集団性や麻原集団についても、どこか浅いものになっている、という私の指摘にも、多少の妥当性があるような気がするのである。島田については、もうすこし読み進めてみないとわからない。しかし、現在のところ、そのような感想を強くもっているということを記しておく。

 田が私と同じ学年であるということで、私は一方的に親近感をもってしまっているのだが、さて、私にとっての<往相>というものはどういうものであっただろうか、と思う。確かに私は77年にOshoのイニシエーションを受けたが、そこからが私の<往相>の始まりだとは思えない。それは<往相>というプロセスのいくつかのステップを過ぎておきたことだった。では、初めて「存在の詩」を読んだ75年のことだったのだろうか。いや、これもまた必然的にその本を読むことになったのであって、さらにその因を求めざるを得ない。あえていうならそれは、18歳の時に、既存の社会から、「ドロップアウト」することを宣言して、小さな自らの「共同体」をつくり、その存在証明としてミニコミ雑誌の編集作業を始めた時に求めることができるだろうと思う。

 正確に言えば、そこからさらに3年ほど遡ることができるのだが、実際に自らの身体を、新しい<社会>へと移行したのは18歳の時、ということになる(あるいはそう仮定しよう)。そうしてみると、ちょっと不思議な符号の一致に気がつく。私は、18歳の時に自らの<往相>を持ち始める。そして、それから更に18年経過した1990年にOshoが肉体を離れるという事態に遭遇した。その時、その時、私は36歳。すでにこの時、往相や還相という言葉は十分知っていた。そしてその90年から、私は、意識して自らの<還相>ドロップ「イン」を始めた、と行ってもいいと思う。そして、それからの私の<還相>の葛藤もあっという間に18年の年月を迎えようとしているのである。

 10代の物心つく年代を思春期といいい、中年から老年を迎える時を思秋期などという話もあるが、私は年代的に言えば、すでに思春期も思秋期もとうに過ぎ去った世代に属していると言えるだろう。そろそろ<林住期>とさえ言わなくてはならない年代に差し掛かっている。私の人生は、長澤靖浩がいうところの
「魂の螺旋ダンス」のなかで、ひとつの円環を形作りつつ、時間の経過を体験しながら、次なる円環へといざなわれているのかもしれない。それはまさに螺旋状につづいている道筋であるように思える。

 なにはともあれ、1995年、私は私なりの必死な<還相>の中にあった。小さな共同体へと出奔しようとする者たちが、既存の社会へのつよい拒否感を示すように、小さな共同体(あるいは価値観)から離れて、更に新たに既存の社会へ移行しようした場合、小さな共同体に対する、拒否感、とまではいわないまでも、見極め、諦観が必要となってくるだろう。すくなくとも95年当時の私は、島田のように、まだなんとかなるのではないかというような麻原集団への期待など微塵もなかった。むしろそれらを断じて無にしてしまわなければ、私自身の<還相>など有りえないとさえ思っていた。

 う~む、ちょっと上記は強引付会的で急ぎすぎている。うまく表現できないので、とにかく書いてしまった。しかし、ここで私がいいたいのはそういうことなのである。つまり、私は麻原集団の95年の振る舞いを、島田側から見ていたのではなく、限りなく村上側から見ていたと言うことはできる。

 上の作品というものがどのようなものか多く知らないが、私はこの『アンダーグラウンド』を読みながら、アンディー・ウォーホールの実験映画
『チェルシー・ガールズ』を思い出した。あるニューヨークに住む、複数の女性達の通常の生活を据え置きカメラで撮影した淡々と日常生活を映し出す作品である。通常の映画の数倍の長さの作品を最後まで見る観客は少ない。はやばやと席を立ってしまう。しかし、そこには時間と空間を切り取ってみせるウォーホールの才能がちりばめられている。

 私は、敢えてこの村上の『アンダーグラウンド』を善悪や倫理観、あるいは時事的なものとして読んでみようと思っているわけではない。もちろんそのような一面はないことはない。しかしそのような情宣的ものならば、他の作品が山積みされている。テレビや雑誌の報道は、それらが根底としてある。しかし、村上がこのような、膨大な取材と編集、そして考察を続ける裏には、もっと深い創造の源がなくてはならない、と私には思える。

 村上は、1995年3月20日、東京の地下鉄という、時間を空間を区切った中で、ウォーホールがやらんとしたようなことをやろうとしているのではないか、そう想いながら、本文の進むストーリーにはちょっと退屈しながらも、何かに刺激されながページをめくり続ける私がいる。

つづく





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Last updated  2009.03.31 13:14:52
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