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カテゴリ:アンソロポロジー
私の世代は、小学生低学年の時に、なにか気にくわないと、わけもわからず、「アンポハンターイ」と叫び、さらにそれに反対の奴は、これまた意味もわからず、「キョーサントー」と叫びあっていた程度であった。その当時、すでに白洲はこのような論説を展開していたのだから、あとからやってきた子どもとしての私は、今のところは当時の政治的時事問題に、加えることはなにもない。また、いまさらその「プリンシパル」とやらを聞いたところで、もはやどうにもならない無力さを感じるのみだ。 いやいや、かくいう私とて、そこにとどまっていたわけではなく、その後、ひとりの人間として、ひとり分の政治的関心を持ちつづけてきているし、とりあえず大人に成長した今なら、意見だってある。いいたいことも山ほどある。しかし、この本から何事かを展開しよう、という気はない。白洲という人間が戦後、日本憲法の文案の選定の過程において、ひとかたならぬ役割をなした、ということはわかった。いずれは、もうすこし緻密になぞってみたいとは思うが、いまは深入りはしない。 ただ白洲には、自らの名前を冠した著書というものはないようなので、まとまった文章が一冊になっているという意味ではこの本は貴重だ。この本になにかを求めるというより、彼のキャラクターを彩るベントレーとか、モルト・ウィスキーとか、「武相荘」とか、あるいは白洲正子とか、と並ぶひとつ要素としてこの本をながめておけばいいのだろう。 白洲 構わないさ。僕は政治家じゃないし、人に何言われても一向平気なんだ。僕はそういう所、わりと旧式なのよ。自分の良心はきれいだと思っているから、人が何言おうと平気なんだ。僕はよく人と意見の衝突をしてガサガサ言うけどね、それは僕の考え方が外の人達と違うらしい。p242 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.17 00:34:43
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