|
全て
| 目次
| 2nd ライフ
| ネットワーク社会と未来
| マルチチュード
| アガルタ
| シンギュラリタリアン
| 地球人スピリット
| マーケットプレイス
| ブログ・ジャーナリズム
| OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
| mandala-integral
| レムリア
| スピノザ
| ブッダ達の心理学1.0
| シンギュラリティ
| agarta-david
| アンソロポロジー
| バック・ヤード
| チェロキー
| 環境心理学
| osho@spiritual.earth
| スピリット・オブ・エクスタシー
| 22番目のカテゴリー
カテゴリ:アンソロポロジー
もともと小説が苦手な当ブログだが、小説仕立てということでこの本を忌避することはできない。あとで白洲夫妻関連リストを作るとすれば、推薦本の中の一冊となるだろうし、私自身の関心のターゲットが変化してくれば、なにはともあれ再読するべき本の一冊目となるだろう。 小説仕立てだけに、はて、どこまでが記述として「事実」として取り上げてよいかどうか迷うところではあるが、仮に110冊の本を読みとおすだけの気力を維持するよりも、やはり、私ならこの本を再読する道をとる。 白洲次郎の痛快なエピソードに触れると誰しも、高倉健主演の任侠映画を見たあとの観客が、肩で風を切りながら映画館を出てくるのにも似た精神の高揚管に包まれるはずである。しかしその一時的な興奮の後に、信念を持つ人間のみが身にまといえる真の意味での”格好良さ”に思いを致していただけるならば、作者冥利に尽きるというものである。p392「あとがき} しかし、白洲次郎と「占領」を結びつけることは、白洲次郎を語る上では不可欠としても、必ずしも最大部分をこのテーマで占めるべきではない。やはり、この本一冊では、白洲次郎は語りきれていない。むしろ、妻でエッセイストである白洲正子の側から白洲次郎をみなしてみると、より実像に近い・白洲次郎が見てくるのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.17 11:48:26
コメント(0) | コメントを書く
[アンソロポロジー] カテゴリの最新記事
|
|