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カテゴリ:agarta-david
「図説マンダラ瞑想法」 を読みながら、率直な意見を次のように書いておいた。 当ブログ3年の流れの中で、大きな柱の一つとなっているチベット密教のひとつの終着点となっている「図説マンダラ瞑想法」を、さらに突っ込んで探究・体験をしてみたい、という好奇心にかられる。それでは私はいずれかのラマの潅頂を受け、これからさらなる準備の修行をすることになるのであろうか。それはちがうだろう。私は頭をかしげる。自分には自分のこれまでの道があり、ここまで来た自分のマスターがいる。 チベット密教における潅頂や儀式のようなものではないが、私はOshoのイニシエーションを受けて、その後30年の時間が経過したのだった。もし私に、資格や体験があったとすれば、その中にこそ求められるべきなのではないだろうか。では、Oshoと自分の間にあった出来事とはなにか、ということはひとことではいえない。かつて、中間でまとめておいたものがあったりはするが、表現できることだけとは限らない。 ![]() 内的なことは表現しかねるとしても、形としての区切りを自分としては3つ上げることができるのではないか、と思う。ひとつは、Pune1で受けたOshoのサニヤシンとなるイニシエーション。このことの在り方は時代においてさまざまに変貌してきているけれど、チベット密教のように何百の戒めを受けるというものではない。Oshoのもとにあっては、名前を変え、オレンジのローブを着、彼の写真のついたマーラをかけ、日々Osho瞑想をする、というものだった。現在においては、日々瞑想すること以外、ルールというべきものはほとんど残されていない。 ![]() その後、数えきれないほどの体験があったとして、二つ目の象徴として思いだすことは、Oshoがワールドツアーから戻ったPune2において、4か月間のカウンセラー・トレーニング・コースを受けたことである。さまざまなセラピーについて、体験的に学んだので、ひとつひとつが貴重な思い出となっている。だが、そのことより、当ブログで特記しておきたいことは、Oshoの「臨在」のもとでおこなわれたこのコースにおいて、一番身にしみたのは、この「臨在感」、というやつである。ここでトレーニング・コースのメモを披瀝して、技術的なことを展開するような意図もないし、その準備もない。 ![]() そして、もっとも今日的なことと言えば、Oshoインフォーメーション・センター(OIC)というワークにたずさわっている、ということ。70年代から瞑想センターに関わり、今日ではそのような名前の元にあり、実際には平坦な出来事ではない。一言で言うことはできないし、その「活動」については忸怩たる思いで、反省しきりの毎日ではある。しかし、ここで問われるべきは、外向きとしてのOICではなく、自分自身の内向きとしてのOICについてなのだ。 今、チベット密教の奥義への道とであい、さらにその探究をつづけようとした場合、私自身はあらたなる導師をみつける努力はしないだろう。Oshoのもとにあって、自分の責任で、なんでもやってみなさいというリードがある。自らの感性の範囲で旅の輪を広げ続けていこうと思う。だから、チベット密教の前で、もし潅頂や資格を問われるのであれば、象徴的には、この3つを上げることしかできないし、自らの中で、より定着した「土台」としなければならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.21 03:06:23
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