「そうです。確かにあらゆる犯罪には、絹のような、レースのような、
ある優雅なものがあります。そしていくらか古くさい大げさなところがあります。
旧弊なおばさんの話を聞くように。」(三島由紀夫「黒蜥蜴」1951年)
三島由紀夫さんの奥さまは「くれぐれも『何だか古臭いわね』といわれないように
時代に合わない所は手直しして。」とおっしゃったそう。
たしかに、乱歩が原作を書いたのは戦前、脚本になったのは50年以上も前。
「黒蜥蜴」
男性のスタイルは明智小五郎など、きちんとスーツを着せておけばほとんど変わらない。
だから、女性をいかに時代遅れに見せないかが分かれ目。
Honeylainさんのご指摘にもあったように、早苗役の方は、
いつも声のトーンが高い宝塚女役スタイル。
さらに同じ色の御着物、メイク、ヘアピースで演じられるので、
毎回同じ方かしら、と思うほど似ています。
いま、1994年版のビデオを観ながらセリフを書き起し、
比べておりますが、とても11年たったとは思えない。
それこそ美輪さんの変わらぬ美しさなど、黒蜥蜴の言う、
「年をとらせるのは肉体じゃなくて、もしかしたら心のせいかもしれないわ。
心の患いと衰えが、内側から体に反映して、
醜いシミやシワを作ってゆくのかもしれないの。
だから、心だけをそっくり抜き取ってしまえるものなら・・・。」(同)
を実践されているかのよう。
(因みにヨガの教典の冒頭にあるのが「ヨーガとは心のはたらきを止滅することである」。)
早苗嬢の着物姿でハイトーン、または黒蜥蜴の絢爛な衣装に
ビブラートの利いたセリフ回しという、やや日常を逸脱したスタイルが、
かえって年代のギャップを感じさせないのかもしれません。
それこそ「絹のような、レースのような、ある優雅なもの」。
「ガレ調 インテリアランプ」
「でも、うぬぼれかもしれないが、僕はこう思うことがありますよ。
僕は犯罪に恋されているんだと。
犯罪の方でも僕に対して報いられない恋心を隠しているんだと。」
「まあ、初心でずうずうしい恋人同士ね。」
「そうです。初心で心がときめいて、自分で自分に歯向かって。
その結果、裏切りばかりに熱中する不幸な恋人同士。」
「悔しいけれど、確かにあなたは犯罪からみて性的魅力があるようにお見受けするわ。」
「へえ、あなたの目からもそう見えますか?」
「いいえ、そりゃあ特種な魅力で、あたくしみたいな素人の女には、
猫に小判とでもいうんでしょうか?」 (同)
美女に真珠。
美輪さま曰く「本物は枯れてから。」
第三の女の例えでもそうだったように、黒蜥蜴は花、虫、宝石、
そして犯罪という心を宿さないモノに自らを投影しているようです。
犯罪者としてではなく、犯罪という芸術作品そのものに成り変って、
探偵という讃美者を必要とし、ときに恋焦がれる。
ぞくぞくするような、彼女の思いが伝わって参ります。
この丁々発止は「ダイヤモンド・キラー」というカードゲームを始めることで終わります。
まさしく、生きた宝石・早苗を奪いさる陶酔感に酔った黒蜥蜴にふさわしいネーミング。
そしてゲームの掛け物は、黒蜥蜴の宝石全部と、明智小五郎の探偵という職業そのもの。
このあと、誘拐が実行されるという時間になって早苗のベットには
人形の首が置かれていることが判明し、勝利の凱歌を上げる黒蜥蜴。
ところが、実はすべては明智に見通されていて、早苗も無事戻ってくる。
絶体絶命にみえた黒蜥蜴は、明智のピストルを盗んでおいたことと
部屋の鍵を握ったことが功を奏し、一同を閉じ込めて去ってゆく。
「これを覚えていてちょうだいね。指紋より確かなもの。この優しい二の腕の黒蜥蜴を!」(同)
銃声ひとつを響かせて、舞台に響く永遠の名セリフ。
ここでまた、黒蜥蜴の早変わり。
こんどは背広姿の男性になり、鏡に向かって明智を讃美する。
「ねえ、鏡の中若い紳士、明智って素晴らしいと思わない?
そこらにたくさんいる男とちがって、あの男だけがあたくしにふさわしい。
でも、これが恋だとしたら?明智に恋しているのは、どのあたくしなの?
返事をしないのね、それならいいわ。
また明日、別の鏡に映る別のあたくしにきくとしましょう。
じゃあ、さよなら!」(同)
世界で一番美しいのは。
この箇所、前回、前々回はややゆっくりしたテンポで、
黒蜥蜴が女から男に変わってゆく様子を見せてくれていました。
「じゃあ、さよなら!」のセリフなど、男声に変わる感じに
目覚しいものがあったのです。
今回は、ややあっさりとした印象。
舞台がフラットになったこともあるのですが、ここ以外も
意識的にテンポアップされていたように思います。
男装して、まんまとホテルをあとにする黒蜥蜴。
女賊と探偵の対決、五分と五分の引き分けで一幕目、終了です。