銀座には歌手としての美輪さんを育んでくれた場所も。お三方は中央通りを歩いています。
国「続いては何処に?」
美「ここがね、七丁目でね…この角なんですけどね…これが私が40年間いたところの…
シャンソンのライブハウスで…文化人のサロンだった…文化の発信地ですよね…その有名な
『銀巴里』というのが…(『元 銀巴里跡』という石碑を指して)ここが入り口なんですよ」
国「(石碑を指して)これ…」
美「これ、銀巴里の跡と書いてあるの」
国「銀巴里の跡っていう…跡地として残るって凄いことですよね」
美「凄いことでしょ?三島由紀夫、川端康成、江戸川乱歩…とにかくあらゆる文化人が全部、
ここへ来てたんですもの…あまり寄りたくないの、涙が出るから…」
国「あ、そうなんですか…じゃあ久しぶりですか、ここへくるのは…」
美「…もう…もう泣きそう…」
江「だって40年の思い出ですよ…」
美「40年だもの…色んなことがあったの…」
画面には伝説のシャンソン喫茶・銀巴里で「いとしの銀巴里」を歌う美輪さんの映像。
昭和27年オープン、美輪さんが初めてプロの歌手として歌ったのが銀巴里のステージで
数多くの文化人と交流を深めた場所。
「黒蜥蜴」で共演された作者である三島由紀夫さんとの舞台稽古の様子や、
この作品の映画化によって広く世に出ることになった深作欣二監督も映りました。
平成2年の銀巴里最後の日には全国から閉店を惜しむファンが集まって長蛇の列ができ
美輪さんがステージを飾ったそうです。
銀巴里の跡地のすぐそばにも、美輪さんの思い出の場所があるようです。
美「ここがね、『岡米』さんっていうかつら屋さんだったのよ…で、歌舞伎の方や何か…
皆ここのかつら屋さんであつらえてたり、新橋の芸者衆とかね…ある総理大臣の…
(お店から声をかけられて)あっ…岡米さんの…(男性の手を取って)」
国「今、お話を…」
男性は「かつら岡米」の店主・岡田豊昭さん。かつて銀巴里とお隣同士だったそうです。
美「今、岡米さんの話してたの☆」
岡田さん「ありゃー…」
美「そうそう…☆」
岡「銀巴里にね、美輪さんね…うちの一階でね…」
美「そうそう☆」
岡「たまり場みたいだった☆」
国「たまり場?へえ…☆」
岡「ほら、(銀巴里の方を指して)休憩するところが無かったから…」
美「楽屋が無かったのよ。岡米さんの一階に来て…それでダベッて
楽屋代わりにさせていただいてたのよね☆」
国「お会いになるのは…もう、それ以来くらいですか?」
岡「そうです!」
美「100年ぶりぐらい☆生きてらしたんですね、お互いに☆お互いに生きてたの☆」
国「長生きしてますね☆本当に」
岡「懐かしいですね…」
美「懐かしいですね」
国「いいですか、歩くと色んな方に出会えるのは」
美「はい☆」
国「それじゃあ、ありがとうございました」
美「ごきげんよう…(互いの手を取って)」
岡「ありがとうございました」
続きます。
「
オーラの泉の日記」