2635213 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

hongming漫筆

hongming漫筆

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Comments

背番号のないエース0829@ 松谷みよ子】(04/22) 「私のアンネ = フランク」に、上記の内…
hongming@ Re:ブルーレイが再生できない(11/30) 随分遅くなりましたが、やっと試しました…

Freepage List

Recent Posts

Archives

2024.05

Keyword Search

▼キーワード検索

2009.10.21
XML
カテゴリ:江戸時代を知る
 『耳嚢(上)』から、印象に残った話を現代語訳で紹介する。

 浪速の鴻池善右衛門という人は大坂第一の豪家で、大小の諸侯の用金など引き受けないものはなかった。天明元年(一七八一)、牧野越中守殿が所司代を仰せつけられ、土岐美濃かもるが御城代を仰せつけられたが、まだ赴任せず江戸にいられた折から、善右衛門が、伊勢参宮をして江戸表へ出てきたので、牧野家は親しいわけでもあるのか、浜町中屋敷の長屋を河岸、家来扱いで善右衛門が住んでいたが、その頃、金銀の用向きで世話になっている諸家からの饗応が大変なもので、毎日、菓子・珍味などを給わっていたという。ある日、、善右衛門が借りている長屋の前で、家中の子供が大勢遊んでいたのを見て、手代に言ったことには、
「あちこちからいただいた菓子が多すぎて捨てるしかないから、あの子供衆に振る舞うのがいいだろう」
との旨を言ったので、手代どもはその子供を呼んで菓子を出し、こういう訳だと話したところ、その子供が言うには、
「我々は侍の子である。捨てるという菓子を食うことができるものか。善右衛門はいかほど富貴であっても元来町人だ。不埒な申し状だ」
と言って、菓子を投げ返し、あるいは石を投げなどしてもってのほかの騒動担ったので、手代はいろいろと詫び言をして、
「全くそのようなわけではございません」
ということを申したので、さすがに子供は了見したと言うことだ。

 楽天ブログランキング←クリックしてください

 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.10.21 02:26:39
コメント(0) | コメントを書く
[江戸時代を知る] カテゴリの最新記事


Category

Favorite Blog

広告 New! せいやんせいやんさん

Shopping List

Headline News


© Rakuten Group, Inc.