炭坑関連の仕事をしていたということは聞いていたのですが、
どういう場所なのか?
というのは行ったことがなかったので、
知らなかったのです。
資源エネルギーの減耗時代にすでに突入していますので、
日本でも自給の可能性がある石炭には興味を持っていました。
遠からず石炭はまた採掘され始めるでしょう。
それもあって、思い切って行ってみました。
まず曾祖父八重三郎(慶応元年〜大正4年)が鉱山主(やまぬし)だったといわれている
新屋敷炭坑へ行ってみましたが、
記念碑が建っているだけで、
跡地は老人福祉施設になっていました。
昭和36年まで祖父弥吉郎(明治30年〜昭和36年)が所長をしていたという日満鉱業新屋敷鉱業所の営業所の建物は今でも残っています。
ここの港から石炭を積み出していたのです。
祖父の実家があったといわれる場所は山代町久原(やましろまちくばら)という僕自身の本籍地でもあるので続いて行ってみましたが、
ここにも炭坑跡があり、地盤沈下などの鉱害が起こって平成になってやっと復旧したという旨の記念碑がありました。
今でもその場所に同じ姓の家が2軒あり、高祖父儀三郎の代まで遡れる親戚ですw
曾祖父の八重三郎だけではなく、その兄の清太郎もその父儀三郎も石炭で食べていたのかもしれん、と父の言。
父も大卒後昭和26年〜28年まで、事務方として新屋敷炭坑に勤めていましたが、先が無いと思って辞めたそうです。
このサイトには詳しく書かれていますが、
ここに出て来るような採掘関連施設を探し当てることはできませんでした。
すごい調査能力だと思います。
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