こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか?
6月1日についに開通した知床横断道に行ってみました。
知床半島は火山活動で立ち上がった山です。そのため、知床半島には天狗岩などの奇岩が多くあります(天狗岩については難読地名シリーズ第38回「茂瀬刈別川」を御覧ください)。
そして、奇岩には伝説がつきものです。
今回は奇岩にまつわる伝説--義経伝説をご紹介いたします。
源義経は平安時代を生きた武将です。片腕となる武蔵坊弁慶と源平合戦にて平氏を打ち破った彼らですが、義経の兄・源頼朝に追われ、奥州藤原氏の元(現在の平泉。世界遺産にも指定されています)に落ち延びます。
残念ながら、彼らの平穏な暮らしは長くは続きませんでした。追手から逃げ切ることができず、平泉で彼らは若くして命を落とします。
しかし、です。
義経と弁慶は生きていて、平泉から北海道に落ち延びたという伝説が残っています。これが義経伝説です。
彼らの足跡は北海道の随所にみられます。最も有名な伝説は本別町にあり、そこには義経を祀った神社もあります。
さて。
では、羅臼での彼らの足取りを見てみましょう。
材木岩
羅臼灯台の足元の大岩は材木岩と呼ばれています。柱状列石と呼ばれる、溶岩が固まった姿のこの岩には、こんな伝説が残っています。
羅臼に来た弁慶は、羅臼と国後島を結ぶ橋を架ける決心をしました。
順調に進んでいた大事業でしたが、村長の娘と恋仲になり、工事は滞りがちになってしまいます。
それを見た神様が怒ってしまい、橋に使うための木材を石に変えてしまったのです。
実際に、国後島にも同じような地形があるとの記録も残っています。歴史探訪シリーズ第9回「佐藤久右衛門の澗」に使われている石材も、国後島から持ってきた材木岩の一本のようです(くわしくはこちら)。
もう一つ、義経にまつわる伝説をご紹介いたします。
ヲショロマウ(岩磯)、往古義経公此処に鯨の流れ寄りしをきりて蓬の串に刺して焼入れし時、其の串折れて火の中に倒れしや、公驚き給ひ、尻餅突き給ひしと云う故事有り。
松浦武四郎の知床日誌にかかれたこの伝説は、尻餅沢とよばれる沢にまつわる伝説です。
しかし、この場所の特定がなかなか難しいのです。
最有力候補は、遠くから見ると熊のように見える、熊岩です。
尻餅沢の伝説は、実は北海道の至る所に残っています。
それらの場所の共通点は1.直立した岩(=串)がある、2.窪みあるいは凹みがある、の2点です。
つまり、熊岩が「串」、背後の窪みが「尻餅の跡」ではないでしょうか。
オショロコッ川
次点候補がこちらです。
涼し気な水が流れ落ちているこの川の名前は、オショロコッ川。
<地図の出典>
この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら
そう、松浦武四郎が日誌に書いている川の名前と一致するのです。
しかしながら、周囲に「串」らしき岩はなく、名もない川にオショロコッ川という名を、後世の方が借り受けてつけたのかもしれません。
だいぶ紙幅を費やしてきましたが、羅臼に残っている伝説はこれだけではありません。
皆さんも、伝説の地を探しに羅臼にいらしてみてはいかがでしょうか。
参考文献:羅臼町史
参考文献:松浦武四郎紀行集(吉田 武三 編)
参考文献:北海道の口承文芸(北の生活文庫企画編集会議 著)
ここで、ヒストリー・ハンター(仮)からのお知らせです。
羅臼の沖合では、クジラたちが暮らす豊かな海が広がり、ホエールウォッチングを楽しむことができます。
歴史ロマンとともに、羅臼を堪能しにいらしてください。
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