戦場を巡る旅は更に続きます。
これはまさに戦場となったハルハ川の支流のホルステン河です。
こういうのどかで小さな河のそばには、馬たちものんびり草をはんでます。
この馬たちの行動を国境侵犯というのが、日本軍の論理です。まさに「こじつけ」としか言いようがありません。
この辺りは昔ながらの、のどかな遊牧民が住んでいます。
少年たちがモンゴル相撲をやっています。
ウランバートルではもうなかなか見ることはできませんが、田舎へ行けば相撲を取っている少年を目にすることは多いです。
日本人慰霊碑の一部が壊れかけていたので、修理をするためウランバートルから職人さんらがやってきました。
実はこの建設会社の社長さんとは、数か月前に日本の新宿で一緒にお寿司を食べました。まさか、この西の果てのハルハで再会するとは思ってもいませんでした。
なんでも、この日本人戦没者慰霊碑がある「ソ連・モンゴル ハルハ河戦争博物館」には、8月にプーチン大統領も来るのだそうです。それもあって、この慰霊碑も綺麗にするのだと言ってました。
中国と北朝鮮の「血の友誼」もそうですが、やはり戦争で共に血を流した関係を重視するのは、政治としての大事な行動なんだと思います。
ロシア側から見れば、今のモンゴルにとってロシアは過去の存在のようになってしまっているかのようですが、「ロシアがモンゴルを助けた。共通の敵は日本。」を常に意識させるのは、重要な政治的行動なのだと思います。
慰霊碑には、日本語、モンゴル語そしてロシア語で平和への祈りが書かれていました。
この慰霊碑の前で、皆で1分間の黙とうを捧げました。
そして、正装したモンゴルのトッププロ奏者、アマルバヤルさんの馬頭琴の音色が、日本人戦没者慰霊碑に響き渡りました。
日本の歌も含めた音楽が、無念に散った日本兵の魂に届くといいです。
慰霊祭には地元の子供たちも参加しました。
たくさんの子供たちがやってきました。手にしているのは、日本から持ってきた歯ブラシセットのお土産です。
最後に記念撮影です。
同行者の中には、メディアの方もおられました。
同行された共同通信の記者の方です。
携帯もインターネットもつながらない場所でも、衛星とつなげて日本と電話したり、ネットで記事を送ることもできます。
この写真右側にある白い弁当箱みたいなのが、衛星通信向けのアンテナみたいなものだそうです。日本の編集の人と「今日の締め切りに間に合いますか?」みたいに普通に話していました。
その記事はなんとその日のうちに新聞のニュースに載っていました。
これは日経新聞のネット上のニュースです。共同通信ですから、全国の地方紙などにも載ったことでしょう。
80年前の悲惨な戦争の思いの中で通信衛星を使うハイテク装備を見て、なんだか映画に出てくる「通信兵」のように感じてしまいました。
この後は、いよいよ屋外の戦争遺品を残してある保存地域に行きます。
(続く)