立春の都心散歩 #2
竹橋で下りて、向かったのはこちらです。月に1回のMOMATの無料観覧日です。写真左手のイサム・ノグチの作品が有名ですが、敷地にはこんな作品もあります。だるま落し?まさかです。その奥には、こんな作品も。ルパン三世にこんな手のポーズがあったような、それともフレミングの法則?2作品とも目立たないところにあり、今回気付きました。木村賢太郎 1928−KIMURA、Kentaro東京生まれ。1952年東京美術学校工芸科彫金部を卒業するが、まもなく、石の直彫り彫刻に転し、1955年のモダンアート展に「祈り」ほかを出品して新人賞を受賞して以来、一貫して、素材の骨格に支えられた有機的な抽象彫刻を制作し続けている。1967年の個展に寄せて、作家は「石を彫り始めて15年になります。重力否定の彫刻を考えながら重い石を彫るのですから、他人様から見ればマンガですが、やはり一生を彫りつづけてしまいそうです」と述べている。重力否定の彫刻は、戦後彫刻家にとっては可能性のあいことばであり、この作家も初期の作品では、ヘンリー・ムアを手がかりとしたと思われる大きな空洞をとりこんだり、全体をいくつかの部分に彫り分けたりして、単一のマッスの否定のために複雑な形を生んでいたが、立体の骨格として、空間で直交する(90°のねじれをもつ)二つの軸を据えることで、次第に形は単純化されていった。作家は、彫刻家の仕事はこの基本的な構造を作ることだけと考えているようである。この基本的構造を置いていく仕事の過程で石は自らの形をあらわしてくるのであり、作家の働きかけへの素材の抵抗から二つの軸の間に形成される曲面は有機的な緊張をはらんでくる。「石を彫るとき、そのまえにはっきり確定的なイメージがないんです。だから彫りながら形を決めてゆきます」とも語る作家には、石と作家との間に深いところでの肉体化された信頼関係が成り立っているのである。だからこそ、石の形の無限の可能性から、作品としてひとつの形が選択される際に作者の内的な目がはたらいているのであり、見る人の内的な目になつかしい作品となっている。物質と人間との根源的な関係を示した石の直彫り彫刻の第一人者としてクローズ・アップされた作家は、1957年、サンパウロ・ビエンナーレ展、1963年、真鶴海岸での世界近代彫刻シンポジウム、1968年、第1回インド・トリエンナーレ展(グランプリ受賞)に参加したほか、現代日本美術展、日本国際美術展(1965年には最優秀賞受賞)、宇部や須磨の野外彫刻展などにも出品している。MOMATからマリノ・マリーニ(Marino Marini,1901年2月27日 - 1980年8月6日)はイタリア出身の彫刻家・画家・版画家である。油絵や版画も制作しているが、特に馬に乗り、腕を広げた男性をかたどった彫刻で知られている。 フィレンツェで絵画と彫刻を学び、エトルリア文化の影響を受けた。1929年からミラノ近くの美術学校で教えはじめ、同時に馬と騎手の彫刻を制作しはじめるようになる。また、この頃ジョルジョ・デ・キリコらと交友があった。 1940年にミラノのブレーラ美術学校の教授の職につき、1970年まで教鞭をとった。1944年にはニューヨーク近代美術館にて開催されたイタリア美術に関する展覧会に参加、国際的な評価を得るようになる。 1952年にはヴェネツィア・ビエンナーレでグランプリを受賞した。 1972年にはミラノの名誉市民ともなっている。ウィキペディアより有名な作家なのでしょうが、近代美術館になぜイタリア人作家の作品が展示されているのかと思いました。