グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜
グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜初回放送日:2024年8月16日オランダに暮らす写真家のマリアンは、家族の“忌まわしい”過去を発見した。マリアンの祖父、ブルース・エルカスが撮影した太平洋戦争の写真だ。激戦地・硫黄島に並べられたアメリカ兵の遺体や頭髪が残ったままさらされた日本兵の頭蓋骨。さらに、占領下にあった進駐兵向け「慰安施設」の内部とみられる、極めて珍しい写真も含まれていた。残された1000枚の写真は、79年の時を超え、私たちに何を問いかけているのか辿る。NHKスペシャル「グランパの戦争 ~従軍写真家が遺した1千枚~」[総合] 8月16日(金) 午後10:00 〜 10:49(予定)「愛する家族は、戦場で、そして占領下で、何を見て、何を感じていたのかー」オランダで3人の子育てをしながらカメラマンとして活躍するマリアン・イングルビーさん(43歳)は、愛すべき祖父の、“忌まわしい”過去を発見した。それは母から託された段ボール箱の中に眠っていた。太平洋戦争の激戦地・硫黄島で、敵どうしの日本兵とアメリカ兵が笑顔で一緒に映る写真。敗戦直後の日本で、進駐軍の兵士(祖父本人)と女性が口づけする写真―。それらはマリアンの祖父ブルース・エルカスが撮影したものだった。かつて祖父はアメリカの従軍カメラマンとして太平洋の戦場、そして占領下の日本を訪れていたのだ。ブルースが撮影した写真は1000枚以上に上る。このうち、歴史的価値が高いとされているのが、進駐軍兵士と女性の○行為を示す写真だ。当時、兵士向けの慰安施設が日本各地に設置されていたが、内部の写真はこれまで見つかってこなかった。戦場や占領下の日本でブルースは何をみたのか。そして、なぜ大量の写真を残したのか―。残された写真から“ブルースの戦争”をひも解くことで、争いや性暴力がいまだ絶えることのない現代にも通じるメッセージを浮かび上がらせる。<関連記事>8月のNHKスペシャル “戦争と平和”を考えるhttps://www.nhk.jp/.../blog/bl/paJnovBDza/bp/pe9d7aMq20/...(番組HP)前半は生々しくはありますが通常目にする硫黄島の戦闘写真でした。700枚ほどだそうです。日本や米国の生き残りや遺族を訪ねます。後半は、日本占領後の写真300枚です。占領軍向けの慰安施設内部の写真が目を引きました。*キスの相手は祖父本人です。ビールが800円とすれば、買春代は12000円?もっと生々しい写真もあったのでしょうが、公共放送ではこの辺が限度なのでしょう。場所は神戸と特定され、専門家のシンポジウムでは撮影者=グランパの姿勢が非難されるシーンもありました。とはいえ、料金表など資料的な価値は十分でしょう。参考:特殊慰安施設協会(RAA)は、第二次世界大戦後、東京を中心に、連合国軍占領下の日本政府の援助により作られた「慰安所」を中心とした占領軍用の慰安施設である。連合国軍兵士による○姦や○暴力を防ぐために設置された[1]。 英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。藤目ゆきによれば、RAAでは、最盛時には7万人、閉鎖時には55,000人の女性が働いていた[2]。RAAは東京での活動が主であったが、そのほかの地域でも各自治体の警察の監督の下で「特殊慰安施設」が運営された。警視庁総監坂信弥が近衛大臣の指示で設置。(ウィキ)NHKのスタッフが、90歳を超える存命の長男を取材していました。警視総監までやった人の割には、何とも粗末な仏壇?です。日本各地に設置され、1日40~50人の客を取ったそうです。フィリピンペソや米ドルは使えません。米軍のMPも関与していたことを示す貴重な写真です。米国人カメラマンならではの写真ですね。皇居のお堀で偶然トンボを見かけて、涙ぐむシーンが印象的でした。トンボは、西洋では死者=グランパの使いだそうです。「今も世界中で絶えることのない戦争を自分の家族に置き換えて想像できれば、間違いなく大きな意味を持ちます。平和な場所で暮らす私たちにはただ安住するだけでなく、想像力を駆使し、どうしたらより良い未来を築くことができるのか、考える責任があります。ありがたいことに、子供たちは戦争を身近に体験していません。彼らが自分事として戦争を捉えることができるような物語を紡ぎ出せたら、こんなに大切な事はないと思います」マリアンさんの言葉です。グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜 (ドキュメンタリー NHKスペシャル)|一ノ瀬 彰 (note.com)