テーマ:映画館で観た映画(8381)
カテゴリ:映画
最後まで<人間>であり続けるために・・・。 1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ハンガリー系のユダヤ人、サウル(ルーリグ・ゲーザ)は、 同胞であるユダヤ人の屍体処理に従事する特殊部隊・ゾンダーコマンドとして働いている。 ある日、サウルはガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見。 その少年はすぐさま殺されてしまうが、サウルはラビ(=ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、 ユダヤ教の教義に則って手厚く埋葬してやろうと収容所内を奔走する……。 強制収容所に送り込まれたユダヤ人が辿る過酷な運命を、同胞をガス室に送り込む任務につく主人公サウルに焦点を当て、サウルが見たであろう痛ましい惨劇を見る者に想像させながら描く。 これまでの映画で描かれた事の無いほどリアルなホロコーストの惨状と極限状態におかれてもなお、息子を正しく埋葬することにより、最後まで人間としての尊厳を貫き通そうとした、一人のユダヤ人の二日間を描いた感動作。 ユダヤ人への迫害をを描いた映画は多い。 ■ソハの地下水道■ を見た時、日の当たらない、暗い地下に逃げ込んで生き延びたユダヤ人がいたということを知った。 ■ヒトラーの偽札■では、一流の、印刷工、紙製造業などがヒトラーのために偽札を作らされた。 ■戦場のピアニスト■では、隠れ家でクラスピアニストの物語。 どれも、辛く目を覆いたくなるような物語ばかりだ。 でも、それをみないと、平和ボケになると思い、見るようにしている。 「サウルの息子」は、アウシュビッツに送り込まれたユダヤ人の男サウルの二日間を描いている。 サウルは、屍体処理に従事する特殊部隊・ゾンダーコマンドとして働いている。 毎日、毎日、死体を焼却し、その灰を処分するのが彼らの務め。 もし、ドイツ人の兵士が気に入らなければ暴行され死ぬかもしれないような毎日だ。 恐怖のあまり感情を失ったかに見えた、サウルに感情が残っていた。 それは、殺された息子を正しく埋葬することにより、最後まで人間としての尊厳を貫き通そうとすることだ。 ユダヤ教にのっとって、正しく埋葬するには、日本でいう「僧侶」がいる。 また、死体を勝手に弔うことも禁じられている。 息子の葬儀は死を覚悟してのぞまなければならない。 同じ日に、虐待され、死を待つよりは、仲間と反逆しようと計画をねっていたが、 サウルは息子の葬儀で、反逆のことを考えられない。 生きているものと死んだものとどちらが大事なのか? 映画の中でもそういうセリフがある。 私も全く同意見だ。 死んだ者は、どんな立派な葬儀をしても生き返らない。 息子を殺したドイツ兵には歯向かって行くことこそ、敵討ちになり、自分たちの生き残る道だと私は思う。 第88回アカデミー賞:外国語部門賞ノミネート作品 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.26 13:56:29
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