|
カテゴリ:エッセー
12月29日午後12時34分の富士山。大沢崩れが切り込んでおります。火山礫でできた山体は脆いようです。富士山が二つに割れるか、それよりも先にもう一度噴火するか、わかりません。大沢崩れが深く山体を切り裂いております。 12月29日午後12時34分の富士山。大沢崩れが切り込んでおります。火山礫でできた山体は脆いようです。富士山が二つに割れるか、それよりも先にもう一度噴火するか、わかりません。大沢崩れが深く山体を切り裂いております。 12月29日午後12時34分の富士山。大沢崩れが切り込んでおります。火山礫でできた山体は脆いようです。富士山が二つに割れるか、それよりも先にもう一度噴火するか、わかりません。大沢崩れが深く山体を切り裂いております。 (タイトル) 一富士二鷹三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび) (本文) カレンダーの挿絵に使われる富士山であり、おそらく富士山が一番多いだろう。 遠くからもみえ、近くでみると圧倒される富士山である。富士山は火山活動によって出来上がったやまである。だから円錐形をしている。 富士山は不二と書くこともあり、語呂合わせで不死につなげる。 新年の始まりは日本では太陰暦を使用していたこともありグレゴリオ暦(太陽暦)の1月1日ではなかった。 立春を新年の始まりと『山家集』が編纂された鎌倉時代には考えていた。このようなことで暦上の新年とは切り離して節分から立春の夜にみる夢を初夢としていたらしい。 一富士二鷹三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび)を初夢にみると縁起が良いこととされている。 辞書に一富士二鷹三茄子について次のような説明がある。 江戸時代に最も古い富士講組織の一つがあった「駒込富士神社」の周辺に鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、駒込茄子が名産であったため、当時の縁起物として「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に詠まれた。 その他にこの3つの組み合わせは、『狂歌・家つと』、『続五元集』、『狂歌・巴人集』、『譬喩尽』、『黄表紙・盧生夢魂其前日』、『笈埃随筆』、『嬉遊笑覧』、『甲子夜話』、『俚言集覧』などの文献資料に記載されており、江戸時代初期にはすでにあり、それぞれの起源は次のような諸説がある。 徳川家縁の地である駿河国での高いものの順。富士山、愛鷹山、初物のなすの値段富士山、鷹狩り、初物のなすを徳川家康が好んだことから富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」。 富士は「無事」、鷹は「高い」、なすは事を「成す」という掛け言葉。 富士は曾我兄弟の仇討ち(富士山の裾野)、鷹は忠臣蔵(主君浅野家の紋所が鷹の羽)、茄子は鍵屋の辻の決闘(伊賀の名産品が茄子)。 三のナスビまでは上のとおりである。四のあとに六まである。 四扇(しおうぎ、よんせん)、五煙草(多波姑)(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう) 「俚言集覧」に記載があり、同内容を挙げた辞典類の多くはこれを出典としている。 別の説は、一富士二鷹三茄子と四扇五煙草六座頭はそれぞれ対応しており、富士と扇は末広がりで子孫や商売などの繁栄を、鷹と煙草の煙は上昇するので運気上昇を、茄子と座頭は毛がないので「怪我ない」と洒落て家内安全を願う、という。 夢は人が寝ているときに脳内に浮かぶ事柄である。思い出が登場したり、希望が登場したり、思いもしないことが登場する。眠っている間に人は頭の中を整理しているらしい。悪い夢もまた頭の整理のために役立っている。 そのようなことだから良い夢をみたら喜んだらよい。良い夢が人の願望からでていることもあり、それほどの願望をもたなくても物凄く良い夢をみることもある。 富士山をみると心が躍る。夏の青い大きな富士山をみても心が躍り、冬の真っ白な大きな富士山をみても心が躍る。富士山の姿は人の心を高揚させる。沈んだ気持ちも富士山をみると浮く。それは健康な人の心であってこそのことである。 富士山にでくわして踊った心が富士山を撮影させたのが掲載の写真である。 【以下は富士山にまるわる余録記事です】
太陽が富士山に引っ付く。2016年12月25日、15:30:04撮影。 太陽が富士山に引っ付く。2016年12月25日、15:30:42撮影。 太陽が富士山の後ろに回ってしまった。 2016年12月25日、15:31:36撮影。 これから富士山に太陽が引っ付く。2016年12月25日、15:20:42。 前の林が嫌で場所を左40メートル移動したら富士山は頂上の左に落ちた。 これは失敗であった。判断を誤った。 富士山を撮影する人々。2016年12月25日、15:33:42。 陽が沈んだ後に頭上のイルミネーションが点灯する。 (タイトル) 山中湖村から見るダイヤモンド冨士。 (本文) 2016年12月25日は晴れた日であった。晴れた日には富士山が見える。 太陽の運行と富士山と立つ位置によって、太陽は富士山の山頂にかかる。これは引っ付くといってもよい。この状態の写真を撮りたがる人は多い。金剛とはダイヤモンドのことであり、その現象をダイヤモンド冨士と言っている。 埼玉県からもそのように見えるし、朝日が富士山にかかる現象を富士山の西側から見ることもできる。 富士山に間近い山梨県の山中湖付近からのが見応えがあるダイヤモンド冨士である。山中湖と富士山と山頂に落ちる太陽である。 晴れた日の2016年12月25日15:31:12(午後3時31分)に山中湖村の花の都公園にいて富士山の写真を撮った。写真を撮ってもそれを売れないし、自分が満足し、生きていた記録になるだけである。生きていた記録であってもそれを誰も意識しないから記録は打ち捨てられる。 そのようにして撮った富士山と太陽の写真である。山中湖付近からの落ちるようすは1月になっても見ることができる。山中湖村のホームページに位置が掲載されている。 太陽が富士山に引っ付くと表現したのは、その後も太陽は沈まずに向こう側に差しているので、急いで有料の東富士五湖道路を西に走るとまだ高い位置にある太陽を見ることができる。冬には低い位置を太陽は運行している。太陽をジェット機で追い掛けていると昼がつづく。 富士山に掛かる太陽を撮影したこの時は山頂の少し横だったこともあって山に掛かった太陽は2秒ほどで裏に消えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年12月30日 23時29分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[エッセー] カテゴリの最新記事
|
|