先史時代への準備「田所の来訪その3」
田所・私「・・・・・」凄まじいと言える話だった。田所は次第に難解な理論に進んでゆくあいだ、ここは理解困難と察した箇所では、私を改めてのぞき込むように見つめ、時に目顔で、時に「どうだ ? 」と短く問うて、私の理解の具合をはかりながら、理論を進めた。結論を言えば、彼が「量子論」の初歩だと念を押して説いた説明のおおよそを納得出来た。実は私自身、量子力学に関する本の一冊を寝床で、ただし半ば子守唄代わりだが、読んでもいたから、彼の話は理解不能というものではなかった。だがこれをセリフ・ドラマ仕立てにして、つづりおおせるかどうか、全く自信がない。もとより難解な理論である。万一読んで下さるかたがいるとしても、その人々を見下すようにしてなど、いるわけもないし、書けるわけもない。また、どうしても「量子力学」を土台にしないと、このあとの時間旅行の理論が書けないというものでもないが、土台にすると、書きやすくなることは確かだ。田所「お前一人にある程度理解させるということなら、俺はその目的をほぼ果たした。見えるものは、存在するから見えるのか、そうではなく、人間という観測者が見るという行為をするからこそ、その時、それは存在するのだ――などということをいくら繰り返しても、この文章だけを読む人の何割かには、全く伝わらぬだろう」私「千円ちょっと出せば、などと言うと、人によってはおこるだろうな。でも、たとえば図解入りで説明してあるようなこの手の書物一冊を読む気になれば、少なくもSF好きの人には全体の流れがつかめる。しかし、全く興味のカケラも起こさないと決めつけてる人には、退屈なSF小説モドキにしか映らないな。あの、かつて『レモンちゃん』の愛称で人気があった落合恵子みたいに、頭からSF嫌いと言い切るようではな」田所「ほほお、面白いというか、懐かしい人物が出たな。ところで、お前がこのミクロの粒子の二面性を知ったのはいつだったんだ ? 」私「それがまるっきり、この頃だと言える自信がない。しかし、感化したのが三つ上の兄だったことだけは確かに覚えてる。今は知らないが、なあ、俺たちが子供のころの一時期、『光子ロケット』」という、それこそ夢の超高速度ロケットが話題になったよな」 田所「ああ、そうだったな。形は今の目で見ると、ややこっけいなのかも知れぬがな、当時はインパクトがあった」私「どうやら、また話が横道にそれそうだけど、まあいいや。あの、有名な光子ロケットの想像図は、どこの国のだったっけ。それともSF小説の挿絵か何かだったのか・・」田所「俺も子供だったから詳しくは記憶してないが、確か旧ソ連の何かの雑誌に出た絵だと思った。ついでにもう少し話してもいいか ? 」私「もちろん。何しろ俺は詳しい知識は昔も今もないけど、その光子ロケットなんてのは、ワクワクしながら原理の話なんかは読んだからな」田所「無論、『光子ロケット』と命名されるくらいだから、これこそ今話題にしている量子の一つである光子を燃料というか、推進源とする夢のロケットだが、これの開発に着手した人たちが、何とゼンガー夫妻、つまり夫婦そろってロケット研究者だったから凄い」私「さすがだな。お前の守備範囲は境界線がないみたいだ。そのゼンガー・・・というからにはゼンゲルとも読めるのかな、もしやドイツのミサイル開発にかかわって・・・」田所「なかなか鋭いな。その通りと言っても間違いではない。ゼンガー教授は、オーストリア生まれだったが、彼のロケット研究に全く理解を示さないオーストリア本国に見切りをつけて、ドイツ国籍をあっさり取ってしまって、空軍のロケット研究所を建設したんだ」私「ほお、それで続きは・・・」田所「ところがドイツって国は、くだけた言い方をすると、陸海空軍それぞれが内ゲバみたいな関係で、いや忘れるとこだった、それに加えて親衛隊が四つ巴で争って、なかなかもめていたらしい」私「なんか、大東亜戦争の日本の陸海軍みたいだな」田所「まあ、そんなとこかな。でさ、当時のロケット研究を独占してたのは、ドイツ陸軍だったんだ、何しろヒットラーという絶大な権力の独裁者の承認を得ていたからな。それで、空軍は何事も遠慮しなければならなかった」私「話の雰囲気だと、ゼンガー博士は、ロケット研究に関してかなり才能のある人という印象を受けるけどな」田所「その通り ! ところが、ある研究書を提出せんとするばかりのとこへ、空軍省から突然中止命令が届いたりした。これはロケット独占欲のあった陸軍の陰謀だと言われている。ドイツは、外ばかりでなく、国内にも敵を持っていたようだな。結果、ゼンガー教授の研究を何一つ実らせることなく、第二次大戦に負けた」私「すると、光子ロケットの本格的研究は・・」田所「そうだ、戦後だ。ゼンガー夫妻は戦後フランスで空軍省の顧問を務めながら光線推進の光子ロケット構想を練り始めたんだけど、まあこの話ばかりだと、本当に長くなるから、そろそろにするか」私「じゃあさ、ゼンガー教授の晩年なんかは、どんな感じなんだ ? 」田所「ええと、教授はさらにドイツに帰国したんだけど、ベルリン工科大学での講義中倒れたまま、帰らぬ人となった。殉職とも言える見事な最期だな。なかなか魅力的な人だったようでさ、『日本に行くことが一生の夢なんだ』という言葉を、ある会合のあとで残してるよ」私「さて、量子力学の話は、お前と俺とのあいだでとりあえずまとまったというだけにしておいて・・・田所、どうだ、そろそろお前の時間旅行理論に話を変えないか・・」田所「よかろう。ただその前に、唐突に妙なたとえをすると思うだろうけどな、村松、お前、心霊現象に随分興味があったよな」私「心霊現象か・・・確かに話題が飛躍したな」田所「俺がたとえにしたいと思うのは、いわゆる不思議な話の真偽についてではない。ただ、昔からこの手の目撃談と称する話が多くて話題に事欠かないのだけは確かだな。で、俺が言いたいのは、こういう目撃談にも、バリエーションがあるということだ」私「霊感のある者が見るとか、あるいは心霊スポットと呼ばれる場所へ行くと、霊感の有無に関係なく、高い確率で亡霊らしきものに遭遇出来るっていうようなことか ? 」田所「その通りだ。さらには、亡霊と呼ばれる何かを目撃する時の、見え方や声の聞こえ方まで、いろいろあるそうだな」私「うん。寝床でなかなか寝付かれずに寝返りをうって体を横にしたとたん、亡霊が肩をたたいて肝を冷やすパターンや、亡霊の顔が次第に部屋中いっぱいに大きくなるなんてのもあるな」田所「お前は昔から知っての通り、俺はこの心霊談というのをほとんど認めていない。UFOと同じく、九割がたはでっち上げか、何かの誤認だとみている。だが残る一割ほどは、正体こそ不明だが、目撃者は、説明不可能な何かを見たということだけは確かだと思うよ。で、その目撃例に様々な形があると言いたいんだ。さらにな、これらをまとめてみると、ほんのわずかなパターンに統一出来るとも思う」私「ううむ・・・ということは、お前が唱える時空理論にも、いや、時空移動経験にも、いくつかのパターンがある・・ということか ? 」田所「察しがいいな。その通りだ。言い換えると、これまで俺が経験した時空移動現象にも何種類かのパターンがあって、目下の俺の研究材料の圧倒的な少なさからは、まだ統一した見解が決まらないということだ。その意味ではまだ仮説に過ぎないとも言える」私「じゃあ、現状でまとめた理論は、どこかに間違いもあり得るということか ? 」田所「そうだ。その不完全な仮説を基にしての話しか出来ない」私「しかし、田所が太古の動物を現代に呼び込んだりしたことは、俺もこの目ではっきり見ている事実には違いない。当然のことだが、お前は過去と現代を結ぶ革命的現象を、随意に操れる方法を見いだしたことは確かだ。それでも慎重にならざるを得ないというのか・・」田所「うん。ニュートンの古典的力学が、物体の運動などの法則を既に体系化しているのとは違って、まだ時間旅行については、経験や実験が数多く必要で、それが不足しているぶん、理論のまとめも、仮説をいろいろ並べてみることぐらいしか出来ないのだ」私「それで当然だよ。とにかく田所が経験から考えた時空理論を説明してくれ」田所「よし。早速だが、今まで『時間旅行』とか『時空移動』とか、言葉をその時その時で、あいまいに使って来たけどな、俺の研究範囲で言うと、いわゆる単純な『時間旅行』は不可能だ。つまり『時空移動』と呼ぶ必要がある」田所は「ホワイトボード借りるぞ」と言って、数学ではおなじみの直交座標軸を書き始めた。田所「俺たちは当然、空間という世界、つまり三次元世界に存在する。さて、ここから既に仮説を使わなければならないが、もう一つ上の次元、つまり四次元世界を、このような座標軸系で表わすと、『時間』という要素を書き加えて良いのかどうかというところで、まず俺は疑問をぬぐえない。でも、便宜上、第四の座標軸を書き込むこととする。無論、この四本目の線をこの世界の俺たちに書けるはずがないがな」田所は、ここで既に書いた『x,y,z』軸の図から離れて、ボードの別の場所に、今まで見たことのない図を書き始めた。―つづく―〈おまけ〉田所博士にせかされて作った探検車の一部