2.試運転再開直前、田所最後の説明
二階アトリエの机のすぐそばの電話が鳴った。かねての段取りだった。階下で両親のいずれかがうっかり電話に出ないよう、すぐに受話器を持ち上げてそのまま元に戻した。つまりコールを聞いたらすぐ切るという約束だった。ほどなく田所が陽炎のように現われた。田所「出発前に、『時空線』を調整しておかねばならぬ。だが村松、この手の実験は、よほどの歳月でもかけぬ限り、出発を急ぐ必要は全くない。そこで差し支えなくば、『時空線』の話を、ごく簡単にさせてもらいたいのだが」私「望むところだ。『時空線』なんて、初めて聞く言葉だし、俺も少しは理屈ってものを知っておかねえと」田所「よし。妙な例を出すようだが、話がしやすいから、古典SFの始祖と言える、イギリスの作家、H・G・ウェルズを引き合いに出す」田所は直交する二本の直線を描いた。ちょっと見たところは、中学でもやる関数のグラフのx軸とy軸に見えるが、彼の説明はそうではなかった。 田所「極めて雑な書き方だが、この横軸を『xyz軸で出来た我々の住む三次元世界』とする。そして、これと直交する縦の直線に、まあこれも乱暴過ぎる表現だが、『t軸』と名づけ、『時間軸』とする。つまりこれがウェルズの考えた時間旅行の世界だ。もちろん、これは間違っている」このくらいの理論なら私にもわかった。私「要するに、過去を変えると未来が変わるという考え方だな。時間軸がただの一直線だ」田所「その通り。さて、俺がこれまで経験と実験から確認した時間旅行の世界は・・・」そう言いながら、もう一枚の紙切れを前に、彼はほんの少しためらうような顔をしたが、やがて見た目には先ほどと全く同じ図形を描き始めた。と、思うまもなく、先ほどはただ一本引いた縦軸を、その一本以外に一気に10本ほど、それも10本すべて基準の縦軸に平行に描いた。私は意味がわからなかった。田所はさらに、先ほど描いた横軸に『xt軸、yt軸、zt軸』と並べて、それもわざと狭い間隔で描いた。そして、それと直交する10本の縦軸に左から順に『wt1~wt10』と名づけた。 田所「実際に恐竜を現代に呼び出したりしておいて、今からこんなことを言うと、奇妙に思うだろうがな、これでもまだ俺の仮説に過ぎない。なお、アルファベットの『w』は『world』つまり『存在の可能性のあるパラレル・ワールドを連想させるための記号』だ」私「田所。今口をはさんでいいか ? 」田所「構わぬ」私「お前が描いた10本の直線が10個のパラレル・ワールド・・と見たけど・・」田所「うむ、ある意味で正しい見方だ」彼は名答ではないという含みで言った。私「その一本ずつが一つ一つの『世界』だとすると、結局、時間旅行の理屈は、H・G・ウェルズのようになるんじゃねえのか ? 」田所「そう見られても当然だが、事実は違うのだ。先ほど俺は『時空線』という言葉を使ったよな。これは俺が勝手に名づけた専門用語で、仮説の域を出ない理論の構築のための便宜上の言葉だ。もう随分前のことだから忘れたかも知れぬが、俺は空間と時間を切り離して物質の存在領域を考えることは不可能か無理が出ると言った」私「いや、負け惜しみじゃなく、覚えてる。確か田所は過去から未来へ流れる『時間』というものが独立して存在することはなく、言わば『時空』と表現すべきだと言ったと思った」田所「よく覚えていたな、その通りだ。しかし、時空という響きから、時間と空間をミックスした言葉との意味にとらえるとしたら、それも間違いだ。それでもあえてイメージしやすく言うなら、時間とは、存在する物が何かの行動をした結果、空間の中に残した『痕跡』なのだ。その痕跡は、建造物・家具・器物など、半永久に形が残るものであればあるほど、変化や劣化がとらえやすい。その変化は新品のうちは目立たなく、耐久力が強いほど、古くなって来るにつれての変化、というより劣化が、はっきりして来るな。ここに我々は『時間』という独立概念を与えて、生活しやすいようにしたのだ。だがくどいが、物理的な量としての『時間』は存在しない」私「じゃあ、田所が描いた10本のパラレル・ワールドの線は、何を表わしてるんだ ? 」田所「そう、これも例えばの話で説明しよう。前にブラキオサウルスを全部で三頭ほど、現代に呼び込んだことがあったな。その時の俺たちのいる位置が、この座標軸系でいう、(1,1,1,0)だったとしよう。縦軸は『wt1』だ。あとのは文字式を省いたが先ほどの図と同じだ。座標の読み方は普通に数字で(いち、いち、いち、ぜろ)で構わぬ」私「田所、あの、さっきのxt軸の『t』のところに0とか1,2なんていう数字が代入されるんじゃねえのか・・」田所「ああ、言い方が悪くて気分を害したら済まぬが、tというアルファベットに数値代入すると、とてつもなく面倒な数式が必要になる。これについては省くが、わかりにくくてわずらわしいと言うのなら、tという文字は取り去っても構わぬが」私「いや、いいよ。それより、その恐竜の話を続けてくれ」 田所「わかった。俺が呼び出したあの竜脚類は、あ、そうだ」田所は急にしまったというような顔つきをしたが、すぐ話を続けた。田所「註釈ばかり入って済まぬが、この『wt』で現わした軸は、これまでの直交座標軸の常識に反して、上に行くほど過去を表わすものとする。どうした・・ ? 」私「俺は血の巡りが悪い。そのwって軸は何を表わすんだっけ・・・」田所「これは・・・ううむ、弱った。確かに村松が混乱するのもわかる」私「愚か者の理屈と聞いてくれ。確かにxやyやzは、俺たちがいる三次元の世界を表わす単位として、横・縦・高さというふうにわかるけどよ、『パラレル・ワールド軸』でも変だし『並行世界軸』ってのも・・」田所「では逆に問う。村松。お前の専門分野の高校数学を例にとるが、今お前がいかにもx軸を横軸、y軸を縦軸というように言ったが、空間座標を生徒に教える時になると、必ずしもx軸は横軸扱いしなかったはずだと思うが・・」私「なるほど」田所「強いて言えば、各軸は前後、左右、上下を表わしたわけだ。しかしそのうちの前後とて、見る角度を変えたら左右にもなる。上下も同じだ。宇宙から見たら遂に絶対的方向性の単位は消え去る。どうだ村松、先史時代へ旅立つ以上、やはり話をわかりやすくするために、いや待てよ・・・そうだな、俺が再三使って来た言葉を使って、『時空軸』っていうのは・・どうかな・・」『上から読んでも山本山(やまもとやま)、下から読んでも・・・』とバカな冗談を言いたい衝動を一瞬覚えたが、田所をおこらせるのが怖いのでやめた。私「わかった、wは時空軸でいいや。で、恐竜の話の続きはどうした・・」田所「ああ。このブラキオサウルスが戻って行った白亜紀前期の一億三千万年ほど前まで機械で追跡したら、この時空軸、縦軸のひと目盛を一千万年として、さらに座標を単純化して(5,5,5,,13)が表示されたということにする。無論、実際はもっと細かい数値だったがな。問題は、その追跡の結果現われた軌跡は、俺たちのいた座標(1,1,1,0)と(5,5,5,,13)とを一直線で結ぶものではなかったということだ」田所は用意したカバンから紙片を取り出して見せた。なにやら折れ線グラフのようなものが描かれていた。田所「今ふと思ったのだが、村松が『時空軸』という呼び名を認めてくれたのはなかなか見事だ。そして、このギザギザしたメチャクチャなような折れ線が、『時空線』なのだ」私「じゃあ、ブラキオサウルスは、無意識にパラレル・ワールドを伝って来たということになるのか ? 」 田所「いや、そうではない。目下の研究では、意識・無意識を問わず、パラレル・ワールドへゆくことは不可能だ」私「でも現にそうやって恐竜があちこちの世界を渡り歩いた跡が・・」田所「これは俺にもわからぬ現象なのだが、恐竜を元の世界へ返す操作をすると、必ず、この場合で言うと一億三千万年前の世界に帰る。途中のたとえば数千万年前でとまることはない。ただ、折れ線で見る限り、いかにも、幾つかのパラレル・ワールドに、立ち寄っているように見えるな。しかし恐竜は、いっときも過去へ戻る動きをとめることなく、常に過去への移動を継続していたのだ」私「そうだったのか。じゃあ田所。過去へ時間旅行してまた現代へ戻って来るって、口では簡単に言えても、実際はこんな複雑な折れ線をたどるようにしねえと、きっちり元の世界へは帰還出来ねえんだな」田所「察しがいいな。そうなのだ。時空線をたどる時間旅行をしないと、まず帰還は無理だ。だから出発の瞬間から、時空線をグラフに記録する機械を作動させて、過去へさかのぼり、そのグラフの線を逆にたどって、現代に帰還出来る仕組みだ」私には今の田所の説明ゆえに沸き起こる当然とも言える疑問があった。私「田所。しつこくて悪いけどよ、その時空線とやらをきちんとたどらねえと、帰還出来ねえって言ったけどさ、もし、仮にわざと時空線のラインをハズしてタイムマシンを停止させたら、どうなるんだ ? 」田所「このことも前に一度は話したのだが、この機会にもう一度話しておこう。恐竜が元の世界に戻れるのは、言わば自然現象だ。現に機械で追跡した結果、時空線が出来たのだしな。さて、いよいよ俺たちがタイムマシンで、まあこれからも便宜のために『時間』という言葉も使うか、つまりタイムマシンで時間をさかのぼると、それまで自然の状態だった時空系に影響を与えることになる。俺たちが、たどるべき時空線をハズして、適当なところでタイムマシンを停止させると、新しい時空軸の世界に到着するから、そこで・・・多分、人工的なパラレル・ワールドが出来るな。もちろん、これはなるべく避けたいことではある」このあとさらに田所の難解な話が続いたが、ここでは措(お)く。いよいよ、パトカーとの追跡劇の過去と場所に戻る時がやって来た。―つづく―編集後記 / 省略箇所の一つに私が「恐竜を呼び寄せて、元の時代に返すことも、自然現象どころか不自然なことなんじゃねえのか ? 」などと問うて、田所が答える、やや白熱の議論がありましたが、むずかし過ぎてわかりません。なお、私の妄想めいた理論をお読みになって「なるほど」などと思う必要はありません。頭のイカれた者のたわごととお思いいただければそれがまともです。