2009年版、人間本来男女なし
渋滞の車列がやや続いて、そこに私のバイクが前方の車のうしろに並ばんとしていたとご想像あれ。折から軽とおぼしき車が急接近して、言わば半ば幅寄せで私のバイクを車列からはじき出した。運転は明らかにメガネをかけたブス女。私はこの場合の常として、相手の車のボディーを靴で軽くたたき、気づいたクソ野郎、クソあまに文句を言う。ずっと昔、まだ400ccにしか乗っていない頃、旧清水市のバイク屋さんを訪れた帰り、国一に出る大きな交差点で、私は富士方向へ右折せんと、車列の先頭にいた。折から、一台の普通車がググッと前へ出て来て、私の進路をふさがんとした。私は左足で車のボディーを軽くたたき、この時は目の前にいた男のドライバーに、目顔で威嚇した。するとすぐにこの男は右手を上げて軽く頭を何回か振り、謝罪の意を示した。星移ってどんなバカでも猫もしゃくしも車に乗れるのが日常と化した昨今、幅寄せはタチが悪いと警告したその相手の、しかも女が、私に大声で怒鳴り返し始めた。やがて車列が動き出すと、わずかなすき間にサッと入って私は車列に加わった。ところが女の車は私にかみくような車間距離で追いすがり、こともあろうにクラクションを鳴らし続けて来た。鳴らしながらあれこれ怒鳴っている。私は恐くなった。現にヒザが笑っていた。ハッキリ言うがバイクは交通弱者であり、それにもかかわらず国産、逆輸入車、外車いずれも車より速い。走行速度で言うなら車のほうが邪魔である。かつて足腰丈夫なころ、私は東名高速をナナハンで飛ばして、次々迫り来る追越車線の車をよけながらさらに加速して走ったが、己れの拙さと身の安全を考えて、百数十キロで走るのをやめたことがある。何度も言う。私は車が嫌いである。気象条件いかんでは必ずバイクに乗る。わずか600ccでも、私の逆輸入車は加速はもちろん凄く、最高速は時速260キロである。普通の軽は140キロまでしかメーターが記されてない。今、母のデイ・サービスに来ている送迎車のドライバーの一人に、私よりやや年配の人がいるが、いつも愛想がいい。先日、通所中の母の様子を見に行って帰ろうとした時、この人がバイクをほめてくれた。これも客へのありきたりなお世辞と思いきや、ただいまは降りているが、かつて一台目のバイクにカワサキKZ1300に乗り、ハングオンをこなし、高速を使って富士から大阪まで三時間半で走り着いたというから、人は見かけによらぬと思った。カワサキKZ1300主要諸元 : 水冷4サイクル6気筒, 車重296kg, 最高出力120ps/8000rpm, 最大トルク11.8kg・m/6500rpm, 1978年発売。このハイスピードも正直凄まじいと思ったが、目下奥さんにとめられているものの、いずれはハーレーに乗りたいと言う。歴代バイクも私の比ではない。ドゥカティ、BMW、その他、大型バイクばかり乗り続けて30年ほどのキャリアである。車に乗る者の中には間違いなく紳士も少なくない。この点に関し男女ない。反対に男も女も気の荒いのは同じである。なお、さらに言うが、3年ローンだか5年ローンだか知らぬが、若造のくせに装甲車のような巨大な車を乗り回し、己れのモノだと誇っているなら見当違いも甚だしい。数百万の車なら、ローンを払い終えた瞬間、ようやく自分のものとなる。だがこのヤカラは、払い終わる時またはその前に飽きて気移りして、下取りで次の分不相応な新車を物色するだろう。昔はローンと言わず月賦と言った。分際という言葉ももはや死語となって久しいが、私は昭和初年以来の不景気を結構なことと思っている。ところがトヨタ、日産などの車屋(くるまや)はさらに値など下げ、ローンもいよいよ客有利に売らんかなを進めるだろう。金欠の若造が前にも増して、ナリばかり上等な車に乗り、気の荒い者は相変わらずバイクを見くだして走るだろう。さて、先日父の車が渋滞車列の若造の一台に接触し、結局父に分がないこととなった。目下85の父は、高齢化社会のはしりである。敬老の日があり、もみじマークをつけていても、高齢者は早めに免許を返せとの風潮だが、本格的高齢社会の洗礼を受けるのは、団塊の世代以下、さらには現在の若造どもである。その時になって身にしみる経験をするだろうが、車、あるいはバイクにうつつを抜かすのはバカである。ほかに趣味はないのか。毎週休みごとに己れのローン車を洗車するのは日本人くらいのものらしい。欧米人はいちいちしない。最後に。別れ話のもつれで女が殺される報道に接すると、私は女に同情しない。今回のことでも、私が相手に付き合って、下段蹴りなどでケガさせたら、手が後ろに回るのは私のほうである。もっとも最近は眠りこけた男を刺し殺す女も増えたから、ますます人間本来男女なしを痛感するしかない。