背理法の解と懐かしい生徒
前文/ しばらくぶりに件のコンビニにゆく。折から台風に前線が結びついて、雨が元気に降っている。本未明は無論車。しばらく走るうち、しのつく雨となる。どうせ降るならザーザーが良い。ここで車のことに甚だしく疎い人のために解説しておく。ワイパーというものがある。ワイプ(wipe)という一般動詞を語源とする。ワイパーには普通の車で三段階ある。まず間欠ワイプと言うべきもの。一度サッとワイプしたあと、しばし作動せず、忘れた頃、再び三たびサッ、サッと動く。小雨の時使う。次に一定間隔で始終せわしなく動くもの。これはまずまずの降りになった時これに切り換える。なお、切り換えは、普通、ウインカー、つまり方向指示器のレバーの反対側についている類似のレバーを切り換えて使う。フフフ。こう書くと、「違うよ、または違いますよ。ワイパーのスイッチはウインカーと一体に装備されていますよ」なんて、訂正してくれる人が、いるわけないとも思うが、試しに書いてみた。実は未だに左右いずれかわからない。バイクばかり乗っているせいか。要するに車は乗って発進せんとする時、初めてスイッチ、レバーの位置がわかるという、とんでもない車無知人間。エンジンかけるまでわからない、珍しい人間である。三段階目は、もっと忙しく動くもので、しのつく雨、土砂降りの時にこれに切り換える。なぜこんなバカていねいなことを書いたかというと、今を去ること二十数年前、初めて買ったスバルレックスの中古には、一段階目の間欠ワイパーがついてなかった思い出があるからだ。さて、久しぶりに件のコンビニに行ったら、カッコイイお兄さんが、と言っても若造ではない、30代半ばと聞いた、この人が、いや、この店長さんが、「ホームページ見ましたよ」と声をかけてくれた。なお、画像は既に以前のものを削除してある。「映画を作っているのですか ? 」と聞かれたが、懐かしいようなわびしいような思いで答えたものだ。「もう30年ほど前には盛んにやっていましたが、今はジオラマを気の向いた時にやるだけです」会話はこれきりで終った。コンビニの店長の仕事も大変だということがわかっている。ただし詳しくは書かない。ご本人に失礼だからと察するゆえだ。さて、背理法に入る前に一服せん。本文/ 背理法の「背」という字は訓読で「そむく」と読む。理に背く方法ゆえにこの名がある。つまりこの証明法の出だしを考えつくコツは、√2をあえて有理数と決め付けてかかることだ。本来無理数とわかっているものに対して、正反対の結論を与えながら、論理を進めてゆくと、ただ一ヶ所矛盾が出る。その矛盾は何ゆえかとさがすと、理に背いたことに原因があったとわかる。論より証拠。始めてみる。(証明)√2は有理数であると仮定する。有理数とは「分数表現が可能な数」なので、√2は分数に置き換えることが出来る。√2=m/n (m,nは整数で、互いに素である)・・(1)とおく。なお、互いに素とは、mとnのあいだに、1以外の公約数がないという意味である。平たく言えば分数m/nは既約分数ということだ。さて、お立会い。ここでかつての生徒で、「どうしてm/nがこれ以上約分出来ない既約分数と言えるのですか ? 」と質問した生徒がいた。返答に窮した。そこで答えた。私「では仮にこのm,nともに、まだ約分出来る関係の2整数と仮定しましょう。m,nのあいだに公約数が存在するとしましょう。たとえばm=3s,n=3tとおきましょうか」生徒「なぜ3の倍数と決め付けられるのですか ? 」バカか、お前。と、正直思ったが、塾をやめられては困る。私の経営失敗の一因ここにありと、今にして思うが、少子化と不況を見通していたので、家のローン完済までは、塾の評判なぞ度外視、そのあとのことは野となれ山となれと割り切った。私「では、3でも割れるけれど2でも割れると仮定しましょうか。あ、それ以外に、いくらでも設定出来ますが、どうします ? 」生徒「どうしますって、どういうことですか ? 」私「2でも3でも5でも7でも割れる数もあるから、整数m,nをもっといろんな数の倍数とおくことも出来ますが・・」首をかしげている。この生徒、我が塾でただ一人、机に突っ伏して寝て、一時間半終るまで熟睡し、机にヨダレの水たまりを作った人。それが今では医者になって、立派に収入かせいでいて、いっぽう私はいつ生計が立たなくなるかという危機にひんする情けない身ゆえ、皮肉なものだ。そう、この生徒ヨダレからヒントを得て、仮名で「ヨーダ」君と呼ぼう。ヨーダ君「じゃあ、mを15の倍数、nを6の倍数とおいてやってみて下さい」私「わかりました。では、改めてm=15s, n=6tとおきます。よろしいですか ? 」ちなみに、この敬語、今でも守っている。私は自分を名乗る時は「わたし」と呼ぶ。決して「あたし」とは呼ばない。うっかり「あたし」と呼ぶと、「あーら、たあさん、このごろお見限りね ! うーん、バカ。つねっちゃうから ! 」などと言いたくなって危ないから、言葉には気をつけている。陰の声「そういうムダ話が多いから、字数だけダラダラ増えるのよ。早く話を進めなさい、んもお ! 」了解。私「さて、するとm, n共に公約数の3で割れますから、m=5s, n=2tになりますね。ここからスタートします」お前、こんな面倒な設定すると、墓穴(ぼけつ)を掘るぞと言いたいが、がまん。だがヨーダ君、舟をこぎ始めている。恐るべき寝つきの良さ、のび太もかくやというほどなり。さて、ヨーダ君はいよいよ心地よき心の旅路につかんとしているので、ここから先は私独りで解説する。この話、ホントにあった。私独りホワイト・ボードに解法を書き、一時間半後の証拠にせんとした。私は居眠りする生徒を起こさぬ方針だった。これも経営失格だろうが、やる気のない奴を無理に起こしてまで、学習させる気はない。続けた。なお、これ以降、会話のカッコをつけない。美空ひばりの「柔」じゃないが、バカを相手の時じゃないから、設定など元に戻した。改めて√2=m/n(m,nは整数で互いに素)・・(1)とおく。この(1)の式をどういじるかがポイント。つまり何らかの変形をしなければ、おいた式はそのままで終わりだ。ここから選手交代。「好成績を取ると図書券などを与えるシステム」に果敢に挑戦して、都合十回ほど賞与を獲得した猛者だ。ただしごほうびは数学のみ。英語への偏見甚だしく、英語の好成績は無視。この生徒、ヒデちゃんと仮名する。やっぱり会話のカッコをつける。私「ここで分母を払ってもいいし、両辺二乗をやってもいいですが、いずれ両方の変形をします」分母を払って、両辺二乗した式を示す。2(nの二乗)=mの二乗・・(2)私「(2)の式から、右辺のmの二乗は偶数となります。さて、ここでこちらから逆襲ですが、mの二乗が偶数なら、mもまた偶数となりますが、覚えていますか ? 」ヒデちゃん「108ページの例題1に説明がありましたね。それでいいですか ? 」私「その通り ! さえてますね。以前やったことを覚え続けている。たいしたものです ! 」二乗した整数が偶数なら、なぜ二乗する前も偶数になるか、こんな簡単なことはいちいち書かない。書いてもいいが、字数が心配だ。私「mもまた偶数とわかったので、ここで改めてm=2k(kは整数)・・(3)と置き直します。この(3)の式を(2)の式に代入します」2(nの二乗)=4(kの二乗)となるが、この両辺を2で割って、nの二乗=2(kの二乗)となる。私「ここで、何か文句をつけることが出来ますか ? 」しばし沈黙。ヒデちゃん「左辺のnの二乗は偶数ですよね」私「その通りです ! 」ヒデちゃん「あ、もしかしたら・・二乗したものが偶数なら、二乗する前も偶数ということがわかっているから、nも偶数、でいいですか ? 」ヒデちゃん、さえてる。そこで間髪を入れず、私「全くその通りです。さて、nもまた偶数なら、先ほどのこととあわせて考えると、m, n共に偶数になりましたね」ここで選手交代。後日、珍しくおめめパッチリのヨーダ君に問う。ヨーダ君「ええ、そうですが・・それがどうかしましたか ? 」「どうかしたから話題にしてんだよ、バカ ! お前、それで医学部かよッ ! 一度死んで来い ! 」無論、これは声に出さない。さらに選手ヒデちゃんに交代。ヒデちゃん「わかりました。mもnも両方とも偶数だから、まだこの二つの数を2で割れます。ということは、初め、mとnは既約分数m/nとおいたことに矛盾するから、その矛盾は√2を有理数と仮定したことが原因で、だから√2は無理数です」オッケー。さすが有名工学部に現役合格した理系生徒。なぜ、こんな知ったかぶりを書いたか ? このところ、家庭教師で、まだ小学生のガキに英語を教えたり、その説明がわかりにくいなどと言われてストレスになっているから、昔日の、砂が水を吸い込むように理解力の高かった生徒たちを懐かしんで書いたのである。登場人物は二人とも実在。ヨーダ君も我が塾を円満退塾ののち、都内の全寮制某予備校に己を鍛えて、医学部合格、そして今や医師となり、押しも押されもせぬ。追記/ ヒデちゃん覚書ヒデちゃんとは、私が勝手につけた愛称で本名の一部。本人の前では呼ばなかったが、私は「出来る」生徒だけはマークして母にも知らせた。その時の言わばニックネーム。彼は初めサッカー部に所属、ところがある日、自転車で登校途中、交通事故にあい、病院に急行して手当てを受けたが、驚いたことに、全身いたるところに包帯を巻いたまま、小塾に姿を現わし、常の通り数学の勉強を目をらんらんと輝かせて受けて帰宅した。大学合格後、彼のお母さんが、鉢入りの素晴らしい蘭の花をプレゼントして下さった。私は彼が問題に取り組むあいだ、いちいち解きながら質問ばかりするのに閉口して、ある時「こちらから与えた問題を、たとえ不安でも黙って自力で一通り解いたらどうですか ? 」と、きつくはね返したことがある。生意気盛りの高校生のことだから、これを理由に即座に退塾されても文句は言えぬ。だがヒデちゃんは、次の日もほほえみをたたえながら教室に入って来て、真剣に学習してくれたから、私は解きながらの質問に答えるやり方を復活しますと彼に伝えた。十数年前は母子ともに、性質のおだやかな人々がおおぜいいた。今はほとんどの母親や生徒が実利主義になって、私のように経営の才なき者には生きにくいご時世となった。ヒデちゃんのような生徒に恵まれたから、私の塾はいっとき糊口をしのげた。