カテゴリ:土木遺産、歴史遺構
3,500mの防波堤に守られ発展してきた小樽港。その歴史は、(1)明治維新後の北海道の玄関口として、人と物が行き交う港町。(2)産業の近代化を担う石炭の積出し港として賑わった街。登山者に喩えるならば、頂上に達した後の下山の歩みで、北海道や日本を見つめている。
小樽港北防波堤は、明治30年に工事が開始され、11年の歳月を要して明治41年(1908年)に完成した。この工事の調査・設計から施工まで陣頭指揮にあたったのが「廣井勇」博士。後に近代土木の父と呼ばれるようになる。 彼は先駆者でもある。海外留学を生かして、日本初のコンクリートを使った本格的な防波堤を築いた。築造方法は、「斜塊ブロック積み工法」といわれ、波の高い海で堤防を造るに適した方法を導入した。それは24トンに及ぶブロックを斜めに積むことにより、お互いが支え合う力を利用するもの。 小樽港の防波堤は、施工時期により第1期から第3期に分けられ、それぞれ北防波堤、南防波堤、島防波堤である。とりわけ北防波堤では、「百年試験」と云われるコンクリートの耐久性を検証するため6万個の供試体を作成した。試験はいまなお継続している。2000年に土木遺産に登録された。 写真-1 小樽港と防波堤を望む。向かって左側が北堤防。 写真-2 斜路式ケーソンヤード付近から突き出ている南防波堤。 写真-3 斜塊ブロック積方式による防波堤築造図。(おたるみなと資料館内所蔵)
写真-4 平成12年度土木学会選奨土木遺産の認定証(小樽港北防波堤)。 写真-5 廣井勇博士のコンクリートへの信条。おたるみなと資料館。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2012年07月17日 20時41分38秒
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