カテゴリ:びわ湖周行
彦根城は、琵琶湖から眺めると、船の形をした石垣の要塞に見えたことだろう。南北に長い尾根を整地して、石垣を築いた連郭式平山城。南から「鐘の丸」、「天秤丸」、「本丸」、「西の丸」が直線的に連なっている。大量の石材を短期期間に集めて築いた石垣の尾根でもある。
城づくりの基本設計を「縄張り」という。徳川家康は、戦略的要地である彦根築城を「公儀普請」とし、幕府の総力で造ることとした。公儀から3人の普請奉行を派遣して、近隣の7国の大名が工事を担う。徳川の威武を近江に打ち立て、西国代表に睨みをきかせるためだ。 江戸初期は、居城移転が相次いで行われた。必要に迫られて建築資材の再利用が盛んになる。彦根城はその最たるものではないか。佐和山城の石垣に限らず、安土城、長浜城、大津城の石材をリサイクルしているようだ。 リサイクルと言って、天守や櫓と石垣とは、移築方法が質・量で異なる。クレーンが無い時代、安全に石垣を解体・運搬する技能集団がいたのだろう。石垣を構成する岩質も多様だ。墓石もあった・・。
写真-1 大量の石を積み上げた彦根城石垣。 写真-2 本丸の石垣。 写真-3 墓石も使われた算木積みと登り石垣。 写真-4 美しい天秤櫓石垣。 写真-5 チャート露頭が太鼓門前と大堀切・階段。 写真-6 天守石垣(牛蒡積み)と湖上から城郭を望む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年12月28日 06時00分06秒
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