3091220 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

清多夢くらぶ

清多夢くらぶ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020年12月28日
XML
カテゴリ:びわ湖周行
​​ ​彦根城は、琵琶湖から眺めると、船の形をした石垣の要塞に見えたことだろう。南北に長い尾根を整地して、石垣を築いた連郭式平山城。南から「鐘の丸」、「天秤丸」、「本丸」、「西の丸」が直線的に連なっている。大量の石材を短期期間に集めて築いた石垣の尾根でもある。​
​​​
 城づくりの基本設計を「縄張り」という。徳川家康は、戦略的要地である彦根築城を「公儀普請」とし、幕府の総力で造ることとした。公儀から3人の普請奉行を派遣して、近隣の7国の大名が工事を担う。徳川の威武を近江に打ち立て、西国代表に睨みをきかせるためだ。​

 江戸初期は、居城移転が相次いで行われた。必要に迫られて建築資材の再利用が盛んになる。彦根城はその最たるものではないか。佐和山城の石垣に限らず、安土城、長浜城、大津城の石材をリサイクルしているようだ。​

 リサイクルと言って、天守や櫓と石垣とは、移築方法が質・量で異なる。クレーンが無い時代、安全に石垣を解体・運搬する技能集団がいたのだろう。石垣を構成する岩質も多様だ。墓石もあった・・。​​​
​​​​​​

写真-1 大量の石を積み上げた彦根城石垣。


写真-2 本丸の石垣。


写真-3 墓石も使われた算木積みと登り石垣。


写真-4 美しい天秤櫓石垣。


写真-5 チャート露頭が太鼓門前と大堀切・階段。


写真-6 天守石垣(牛蒡積み)と湖上から城郭を望む。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020年12月28日 06時00分06秒
コメント(0) | コメントを書く
[びわ湖周行] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


PR

Calendar

Profile

江戸川らんべえ

江戸川らんべえ

Category

Free Space

PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.