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カテゴリ:アンソロポロジー
「白洲正子を読む」 自前で白洲正子を読む前に、「白洲正子を読む」を読むのも変な話だが、巻末の年賦や「主な著書一覧」は、役に立つ。昭和18年の「お能」に始まって、彼女の文筆活動は脈々と続いていたと見られ、途切れることなく約70ほどの文献がリストアップされている。 その名も奇特な求龍堂という出版社があることは、松岡正剛の「松岡正剛千夜千冊」で初めて気がついた。白洲正子の本は、昭和38年に「能面」という豪華本が出たあと、平成元年「老木の花---友枝喜久夫の能」、平成5年「写真集 姿---井上八千代・友枝喜久夫」、平成7年「私の骨董」などが求龍堂から出ており、この「白洲正子を読む」も平成8年に同じ求龍堂から出た。 p58には、奈良県の天川弁財天の「能面」を取材している白洲正子の写真が載っている。年代は1960年頃とされている。私なぞも天川弁財天を参拝したおりには、そのとてつもない霊域の深さに圧倒されたものだが、ずっと後の80年代中盤なってからのことだった。 先日から、次郎と正子のつながりを思っていて、いつのまにか自分の中にでき上った次郎の「ポルシェ」と正子の「能面」の鮮やかな対比のイメージが、妖しいうずきを巻き起こしながら、湧き上がってくる。白洲正子は能面でいえば、般若顔だ。次郎が「カッコイイ」という表現で済むなら、さて、正子はなんという表現を使えばいいのだろう。「妖しい」でいいのか、怖い、のか、深い、のか。そんなことを考えていると、ドキッ、ドキッ、と自分の鼓動が高鳴ってくるのを感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.19 16:40:53
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