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テーマ:オシャレ大好き(190411)
カテゴリ:アンソロポロジー
朝起きて、三度のごはんを食べて、夜になると寝る---そういうことが「暮らし」だと思っていたからで、若い頃の私には人生も思想も皆無であったということだ。夢のような暮らしの中に、やがて美術品が割り込んで来た。もともと嫌いなものではなかったし、ちょうど戦後の混乱期のことだったから、多くの大名や旧家から、目を見はるような名品が、次から次へと売りに出された時代であった。値段も今から思うと嘘みたいに安かった。買うことの楽しさを知った私は、道具屋へ日参し、美術品の洪水の中で我を忘れた。p14 家事もやらなければ、芸事も徹底しない。自らやったクリエイティブなことというと、骨董を「買う」ことだった。敢えていうなら、彼女には骨董を「買う」ことしか残っていなかったともいうべきだろうか。もちろん、その後、彼女の文筆活動があるのだから、そのクリエイティビティは文筆に集約されることになるのであろうが、かなり多才に見える彼女ではあるが、実は、かなり不器用な女性だった、のではないだろうか。 白洲次郎が、英語を流暢にあやつる多弁な男に見えながら、実は訥弁の「無口」な存在が実像だったとするならば、実は、白洲正子は、多才な美の世界に遊ぶ自由な女性に見えながら、じつは自らは美を生み出すことのない、口は達者だけど、不器用な人、というのが本当の姿だったのではないか。もしそうだったとするならば、ここにおいても、この二人の際立った対比が、またまた周囲の「好奇心」を刺激する、ということになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.20 09:31:27
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