「香水をふりかけておくれ。窓のない部屋にいるとすぐ空気がこもってしまう。」
「ああ、この匂い、僕が一等幸せだったあのとき・・・。」
「<中略>あの時のお前は美しかったよ。」
「あなたは僕に微笑みかけた。僕はその瞬間に虜になった。」
(三島由紀夫「黒蜥蜴」1951年)
黒蜥蜴のアジトにて、舞台上で香水をスプレーする趣向。
香りは「タブー」だったのでしょうか。
今回の香りは、前回よりも強烈ではなかったような気がします。
楽天さんでも軒並み売り切れ
「ダナ タブー」
「よくたきしめたる薫物の、昨日、一昨日、今日などは忘れたるに、ひきあげたるに、
煙の残りたるは、ただいまの香りよりもめでたし。」(枕草子 231段)
匂いが記憶を呼び覚ます。
雨宮とともにうっとりとなった観客の気持ちを覚醒させるように、
黒蜥蜴の鞭が飛びます。
「<中略>その夜のうちに、お前は私の人形になるはずだった。でもどうでしょう。
気がついてからのお前の暴れよう、哀訴嘆願、あの涙。」
「おまえの美しさは粉みじんに崩れてしまった。死ぬつもりでいたお前は美しかったのに
生きたい一心のお前は醜かった。
お前の命を助けたのは情に負けたんじゃないわ。命を助けてくれれば
一生奴隷になると誓ったお前の誓いにあきれたからだわ。」
「<中略>もし、どんな些細なことでも私を裏切ったら・・・いいね、お前は今度こそ
物を言わない人形になるんだよ。」(同)
黒蜥蜴の、美に対して異常な執着がわかるセリフ。
美を、しからずんば死を、というよりも、美しくなければ死にも値しないという。
死は彼女にとっては、滅びではなく、永遠への布石。
芸術作品のように、宝石のように、後の世に永遠に残るべきものは、美しさのみ。
そんな彼女が、恋を知ったとしたら。
次の場は明智小五郎の事務所。
舞台向かって左の黒蜥蜴のアジトを暗転させ、右側に浮かび上がる。
早苗嬢と引き換えに岩瀬氏所蔵のダイヤ・「エジプトの星」を所望、との
脅迫状がファックスで転送されてきます。
「・・・今ごろ黒蜥蜴はどうしているだろうか。」
ありゃあ全く、時代おくれのロマンチストですね。汚職だの、暗殺だのの渦巻いている
今の世の中にこんな装飾だらけの夜会服みたいな犯罪をたくらむとは。
彼女は自分の美しさに惚れこんでいるんじゃありませんか。」
「そこがまた僕の道楽気をそそるんだ。今の時代はどんな事件でも
われわれの隣りの部屋で起きるような具合に起きる。
・・・<中略>黒蜥蜴にはこれが我慢ならないんだ。
女でさえサッカーをする(ブルージーンズをはく)世の中に、彼女は犯罪だけは
きらびやかな裳裾を五メートルも引きずっているべきだと信じている。
・・・そういう考えは僕にもわからんことはないよ。」(同)
( )内は、ジーンズをはいていては、大学の講義を受けることを拒否されたり、
ホテルに泊ることもできなかった時代の言葉。
これがもっと昔なら「女でさえドーバー海峡を泳いで渡る・・・」とか。
できれば、服飾に関する言い換えにされたかったのではないかと思うのですが、
女性の方が服装は自由ですものね。
いまなら「男でさえ背広を脱ぐ世の中に」とでもしましょうか。
「100%ウォッシュ加工ジャケットベージュ」
さらに三島由紀夫の原作では脅迫状の内容は電話で「速記」されています。
明智のお手当ても、原作の「月百万」から「五百万」に。
「公衆電話」は94年の舞台では使われていましたが、携帯電話に。
時代を感じさせますね。
03年の舞台では明智小五郎が歩きながら携帯を使っていて会場から
「あれはどうかしら?」という声が飛んでいましたし、ファックスも違和感がありました。
他の演出が古色蒼然としていたせいもあったでしょう。
今回の舞台で、ファックスも携帯電話も自然に溶け込んでいたように思えるのは
全体的にテンポアップした舞台運びだったからかもしれません。
50年前と現代との微妙なバランス。
その他「エジプトの星」は原作での「百三十カラット」が舞台では「二百三十カラット」に、
そのお値段も「一億5千万」が「百億とも二百億とも」に。
青い亀がもらったサファイヤは、本来たった「5カラット」でしたが舞台では
「40カラット」になっていますし、
早苗嬢を運び出した手下たちに与えられるのは「アクアマリン」ではなく、
原作では「トルコ石」でした。
「アクアマリン」
舞台で「エジプトの星」として使われるのはスワロフスキーのクリスタル。
もう手に入らない品物だそうで、美輪さんはデパートの中で目を瞑って足の向くままに進み、
あの大きさのものを見つけたのだそうです。
それをダイヤの大きさに換算すると、百三十カラットではなく二百三十カラットだったという
ことなのでしょう。
スワロフスキー
「ルナビアンカ」
また、5カラットのサファイヤでは舞台上で見栄えがしない、もしくは
「黒蜥蜴は気前がいいのよ。」ということでしょうか。
「トルコ石」は持ち主の身代わりになって割れるそう。
壊れやすいのが、黒蜥蜴、もしくは美輪さんのお好みではないのかもしれませんね。
「ネットターコイズ」