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カテゴリ:オーラの泉
歌手を辞め、野沢那智さん主宰の「劇団薔薇座」で舞台女優になった頃から
声優のお仕事でも華開かれます。 アンパンマンやトーマスなどアニメのお仕事の他に ジョディ・フォスターやジュリア・ロバーツの吹替えも担当。 三谷幸喜さんの映画・「ラヂオの時間」出演で日本アカデミー賞・助演女優賞を受け 舞台やTVドラマでもさらにご活躍されるように。 その一方でお母様がガンと認知症を併発、最後まで自宅介護されたそう。 国「毎日欠かさずするのがお母様の仏壇に手を合わせること」 戸「そうですね。お線香をあげて、好きだったものを供えて、お花をものすごい・・・ もしかしたらそれは『私の気持ちが落ち着くためになのかな?』とも思ってしまうけれども とにかくあの・・・飾る飾る☆」 国「お母さんのお好きな花を飾ったり?」 戸「何かよくわからないんだけども、それがね、ちゃんと聞いておけばよかったですね。 何の花が好きなのかがわからないんです。 でも美しいものが好きなのは間違いないんだけれども、何が好きだったのか あれは愉しかったんだろうか、これはどうだったんだろうか、というのを もうちょっと聞いておけばよかったなというのがあって。 あとひとつは、私が子供の時からずっとこういう仕事をしてきたので なるべくそういうことを人に言って欲しくないというか それで特別扱いされるのが困るという思いもあって、母に 『言うな』ってずっと言い続けてきたんですね。後々になってなんですけど 『言いたかったんだな』というのがわかるんですけどね」 国「僕もそうですけど、子供の頃からやってると僕らはTVに出ているけれど 両親の気持ちというのは聞いたことがないじゃないですか。言いたいのか でも子供としては『自慢とかしないでくれ』っていう風に思いますものね」 戸「そうなの。すごく気持ちはよくわかるんだけれども、何かね・・・☆」 今年はお母様の三回忌にあたるそうです。 戸「もう10何年も肝炎で、そこから肝硬変、ガンになってしまって。 わかったころにちょっと認知症が出てきて、ダブルパンチだったんですけれども。 ガンは告知ができないと私は思っていたので、するつもりは全然なかったです。 騙し騙し病院に連れて行ったり、治療したときには 『24時間起きちゃいけない』ということが、ちょっとわからなくなっているので カバッと起きたりするんですよ。もう押さえていないと傷口が開いちゃうしとか いろんなことがありながら。 意識があって病気と闘ってゆくのと違って、まず意思の疎通がなかなか取れないところで ガンを治してゆきたいとか、その治療をすることが非常に難しかった・・・」 国「番組で取材したところ、認知症の介護をしている人の悩みでダントツに多いのが 二つあって『コミュニケーションが取れないのが辛い』ということと 『怒らずに対応することが大変』というような」 江「『コミュニケーションが取れない』という悩みは、非常に厳しい言い方なんだけれども 『甘えられない』という言葉なんですね、ある意味で。スピリチュアルな意味からすると 認知症はご本人の生き様が全て出ているんです。 例えば徘徊するという方は、人生に逃げたいことがいっぱいあったんです。 暴言を吐いたりする方は、品良く生きていても本当は 腹に据えかねることがいっぱいあったということ。 異物を食べるという方は、本当に食べることに困って生きてきた時代がある 『自分は我慢してでも…』というところが強かった。 だからそういう風なところから見ると『情けない』じゃなくて 『ああ、苦労したんだ・・・』そこに耳を傾ける。 するとそれがコミュニケーションになるんです。 スピリチュアルに見て認知症というのは、その人が変わってしまったのではなくて 肉体の方が要するに故障しちゃったわけですよ。魂は健全なの。 それこそ亡くなったときに、元に戻っているんですよ。 ここ(肉体)でのことも、あちらではちゃんと覚えています、ここで表現できないだけ。 だから最後の生き様に耳を傾ければ、コミュニケーションは取れる。 前に出演してくださった奥田映二さんの奥さん・安藤和津さんは 『自分がしてもらったことを最後にお返ししてる』 例えばおむつを取り替えるのも、オギャーと生まれて夜も昼もしてもらったことを 『ただお返ししてるだけのことだ、と思ったら、気が楽になった』っておっしゃるんです」 美「人間の順番なのよ。自分がやってもらったから、それをやってあげる。 お返しをする、輪廻でね、回っているわけでしょう?」 国「失礼ですけれども、お母さんはどんな症状が多かったんですか?」 戸「非常に怖がりなので、徘徊したり外に出たりということは絶対なかったので 知らないものに触るとか、火の元とか、そういったことは絶対にしないので その性格はずいぶん助かったんですね。 例えば、大きいお醤油挿しではなくて、小さい割れないプラスチックのお醤油挿しを見つけて 置いておいたら、帰ったらそれがないんです。ゴミ箱に捨ててあって ある程度入っていたお醤油が無くなっていて、どうもそれを飲んだみたいなんですね」 美「先祖がえりで、赤ちゃんに戻るのよ。赤ちゃんと同じ。 赤ん坊に戻ったと思えば何でもないの。分別のある大人だと思って見ちゃうのね。 赤ちゃんはずっと育ってゆくでしょう?大人はどんどん土に還ってゆくのよ。 だけど、自分の愛する人が壊れてゆくのを見るのは辛いわよね」 戸「本当にそうですね。やはり大抵の方がおっしゃるけれども、何か怒る気持ちがすごく。 『どうしてわかってくれないの』どうにもならないのに、多分毎日 私言っていたと思いますよ。お友達とか、親しい人には本当にそのことばかり」 江「感情の方が出てしまうでしょう?感情が出るということは、そこに甘えがあるんですよ。 『私をわかって』理解しなくてはいけないのに『わかって』になってしまう。 その気持ちは仕方のないことなんだけれども、そこでやっぱり 『ようやく親を越える時期が来たんだな』」 美「お役目が逆転するの。ここまで親に育てられて、折り返し地点なの。 今度は親が子供になって、子供が親になって、親を育ててゆくの。世の中の順番なんですよ。 それを皆さんがよーく熟知すれば、いたずらに怒ったりしなくて済むんだけど。 私は戦前の人間だけれど、昔の人はそれを言っていたんですよ、口伝えで。 昔は共同所帯だから、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが一緒に住んでいたでしょう? 『そういうもんなんだよ』先祖の智慧が人間の智慧としてずーっと口伝えで教わった。 今は核家族でしょう?一緒に住んでいないから 『そういう発想の転換をしてゆけば楽なんだな』ということを知らないのよ」 亡くなったお母様のことで戸田さんは気がかりなことがあるそう。 戸「母の最期がずっと気になっていて『その時の気持ちがわかりたいな』と 一番思っているんですね。 放射線治療というのは、週末、家に帰って来られたんですね。 週末帰って、また月-金で病院に行って、ということで。 最後、家に戻ってきて連れてゆく日曜日に、吐血していたんです。 私は仕事でちょっとロケに行って帰ってきて、連れて行こうとした間の家での出来事 母はそれを私に言わなかったんです」 美「その間はどなたもいらっしゃらなかったの?」 戸「はい。もうお支度をして、ベッドのところに小さく座っていて それがもう忘れられないんですけど。その間に起きていたことが私にはわからなくて 母を車に乗せて病院に行って『また明日来るからね』エレベーターのところまで いつも送ってくれるんですけれど、その後打ち合わせの仕事に行って、夜遅くに帰ったら 『洗濯物をここに置いてね』という場所、そういうことはちょっと置いてくれるんですけど そこにもう真っ赤になった血だらけのパジャマが置いてあったんです。 びっくりしてすぐ病院に電話して。 『とにかく朝、先生が来たらそのことを伝えて。どこかから出血してるんです』と言って。 その日の明け方にリーン!と電話が鳴って『あ、何かが起きた』ってその時は予感が。 『お母さんが今、病院ですごく吐血をしました。いますぐ来てください』ということで もう車を全速力で行って。 最終的には治療ができなくなってしまって、肺に入って肺炎になって それが原因で亡くなってしまったんですけれども。今にして思うと、最後家にいたときに どうして言わなかったのか、言えなかったのか、私に怒られると思ったのか 悪いなと思ったのか。怖かったと思うんですけど、それすらも 自分で何が起きたのがわからなかったのか。そのことがずっと気になって…」 江「ご本人としては、その意識があまりなかったんですよ。 迷惑をかけるとか、怒られるとかそういう意識があったなら気の毒なんだけれども 認知症の要素が強いから、その場面とそこから切り替わった後のつながりがないんですよ。 だから自分の中で『あれ、どうしたのかしら?』となるような状況だったようなんですよ」 美「意識がおありだったら、そういう方だから 後始末をしようとした跡があるはずなんですよ。その跡が全くないということでしょう? ということは、次の方に思考が移ってしまって、それを忘れていらしたのね、多分」 戸「何かちょっと…よかったです。母がそういう状態であったということがわかって」 江「失礼ながら、ある意味で幸いだったかなと。特に気丈な方だったから 刻一刻と弱ってゆく自分に気づいてゆく方が辛かったろうと」 戸「そうですね」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 28, 2007 08:19:21 PM
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