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カテゴリ:オーラの泉
脳梗塞から見事に回復された歌手の方がゲスト。
【スピリチュアルチェック】 ☆ 小さい頃なりたかった職業→ミュージシャン。ドラムのミュージシャン。 ☆ 毎日欠かさずすること→ウォーキングとストレッチ。 ☆ 不思議な体験→幽体離脱もどき☆ ☆ 人生で一番辛かったこと→父の死…ですかね… ☆ 将来の目標→いつまでも健康で歌えることです。 国「さあ。西城さんは美輪さんとはもう、共演とかお仕事を…」 西「ないです。お会いはしてるんですけど、あまりお話はしていない… 二、三ヶ月位前から、何か知らないけれど『ああ出たい、出たいな』っていう気が起こって。 何でそういう気になったのかはわからないんですけど、そういう心境 多分いろんなことがあったんですよね」 国「不思議な体験も『幽体離脱もどき』というのは、どのような?」 西「疲れて、本当に何も考えない、無の状態の時に起こったんですね。 確実に心臓がドキドキしているので『お、何なんだ?』と思ったら、下に僕がいたので。 『あれ?これは悪い霊かな?』と最初は思いましたね」 国「これは『もどき』じゃないですよね」 美「それはどちらで?」 西「自宅、マンションです。その後、上に飛ぶんですよ。 あの…風景は見えず、風を感じてね、とにかくひたすら上で。それで 『怖い!』と思った瞬間に戻る、バーンって。それでドキドキしてる。 『何だったんだろう、今のは?』というので、まあ 『何かとり憑かれた』と思ったから、もう怖かったです」 美「いつ頃ですか?」 西「24ぐらいですね、ちょうど『YOUNG MAN』が出るちょっと前ですね。 手を見ると、汗なのか、何か金の汗みたいな、何か光っているんですよ」 美「金粉が出たのは、覚醒して、起きてからですか?」 西「金粉は幽体離脱が始まる前です」 江「西城さんほど、ある意味でね、スピリチュアルな方はいらっしゃらないんですよ。 だって人生をずーっと遡って今日まで、本当に奇跡の連続みたいな方だから。 あの…肌身でスピリチュアルを感じる方だと思うんですよ。 『何かこれは、自分だけの世界、自分だけの意図じゃないな』っていういろんなことが…」 西「そうですね、そうだと思います」 江「ひと言で言うと、すごく強運な方、守られている」 広島県出身の西城さんは、お父様の影響で小学生の頃からバンド演奏を始められます。 国「お父さんがジャズをやっていたんですか?」 西「やっていたというよりは、趣味で好きだったんですね。 そんなに上手くなかったんでしょうけれど、ジャズギターのギブソンの クラシックギターがあったんですよ。それをポロポロ鳴らしていたら 『どこか音楽学校でも行くか?』というので、小学校3年のときに ジャズスクールというところに。普通の子はまあ、塾に行くじゃないですか。 行かせてくれたので、兄はピアノで、僕はギターで。習ったらはまっちゃって」 国「じゃあもう自然と、夢というのはミュージシャンになることが…」 西「ロンドンに住むのが夢だったんですね、小学校の時から。 ビートルズが現れて、高学年、六年生位になってくるとビートルズに憧れて、わけも分からず 『向こうで、音楽でごはんが食べれればいいや』と。 『いいや』なんて失礼だけれど、そういう風に思ったんです」 国「お父さんはどうでした?そういう夢を持っている…」 西「その頃は言っていませんから。高校に入って、初めてスカウトされたときに 『ちょっと音楽の道にいってみたいんだけど…』と言ったら、もうバッシング。 『お前は、音楽で食ってゆけるのか』みたいなね、ひどいことを言われました」 国「そうなんですか、『良かったな』じゃないんですか」 西「いや、全然。もう全然、反対で。要するに『そういうことで生きてゆけないよ』 『そんなに軽いもんじゃないよ』と言われてから、家から出してくれなかったです。 それで半分、家出みたいな形で僕は上京しました」 国「ということは、お父さんを説得して上京したのではなく…」 西「それは無理ですね」 国「お父さんはずーっと、反対しっぱなしなんですか?」 西「あの…とりあえずヒットして、みんなにキャーキャー言われても もう頑として反対でしたね。『帰って来い』 ただ、後からわかったことは、誰よりも先に学校の周りにポスターを貼ったりとか 応援はしてくれてたみたいですけど。 里帰りするとファンの方が来るじゃないですか。 何千人と家の前に来ちゃったら、うちの両親は 『可哀想だから、みんなにおにぎりを作ってやりなさい』っておにぎりを 渡したくらいですから。それでケンカになっちゃうくらい。 『そんなことしないでくれ』って」 美「目の中に入れても痛くないほど、めちゃくちゃに愛していらしたのね。 溺愛なんだけど、それが溺愛にならないように自分でコントロールして 昔風な親御さんでね。つまり、儒教(孔子の教えを中心とする思想)というのが あったじゃないですか。そういう風な親の愛し方ですよ。 お幸せでしたね、そういうお父様でね」 西「ええ、そうですね」 国「よく考えてみたら、僕の父親も反対してましたね」 西「そうでしょう?☆」 国「はい。13歳で事務所に合格しまして、それでいろいろやっていて。 やはり親は、父親の方は反対してましたね」 西「『そんなことで食べてゆけないだろう』って」 国「そういうことですよね。『キャーキャー言われねえよ、お前は』 みたいなことを言われたのを覚えてますけれどもね… そして一番辛かったことが、お父さんが亡くなられた時…」 西「そうですね。あの…認知症になったんですよ。 だから僕が息子だということが分からなくて『ヒデキ』なんですよ。 西城秀樹のファンなんですよ、父親は。 もう亡くなるだろうなとわかって、最後に初めて、ディナーショーに 看護婦さんと来たんですよ。僕も『多分、来年あたりに死んじゃうな…』と思って 本当に泣いちゃって大変だったんだけど、その時に、病院に戻るので エレベーターが閉まる前に『秀樹、結婚しないのか?』カチャってドアが閉まっちゃった☆ 今はもう結婚して、子供も三人いるので『ああ…話がしたかったな…』ってね すごく思いますよね」 国「その言葉は、息子に言っている言葉では…」 西「違うんです、ヒデキ、西城秀樹のファンなんです。思うに、ずーっとTVを観て 実家の方で応援していたんでしょうね。認知症になっているから 息子だということは忘れて、兄の名前も覚えていないんだけど 西城秀樹の『ヒデキ』は覚えている。もう、ヒデキとして応援しているんですよ」 国「立ち会えたんですか?」 西「それがね、『寺内貫太郎一家』という舞台をやっていて その千秋楽のパーティがあるので、それに出る予定だったんですけど、電話があって 『危篤だから、あんた来られる?』というので、一応みんなに 『ごめんなさい、出られないので、ちょっと実家の方に行きます』 実家の方に行って、約30分ですね、目はつむっていましたけれども 『お父さん、来たよ、左手上がる?』と言ったら、ちゃんと上がっていましたから 来たことはわかっているんです」 国「そこでは言葉は何もなかったんですか?」 西「そうです。医者が言うには『秀樹さんを、ずっと待っていらっしゃった』 僕は、行くとは言っていないんですけど、舞台が終わるまで痛み止めをしないで 待っていたらしいんですよね。それはちょっと… 『会いたかったんだな』『呼ばれたな』という感じはしましたね…」 続きます。 *** これまでの「オーラの泉の日記」、よろしかったらどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 10, 2008 08:13:27 AM
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