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今が生死

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感動したこと

2020.11.17
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テーマ:韓国!(13749)
カテゴリ:感動したこと
本日71才の脳梗塞の患者さんが市立病院からの紹介で入院してきた。家族は弟さんがいるようだが音信不通とのことで韓国人男女二人が身元引受人とのことでその方々に病状説明と入院後の注意事項などを話した。その韓国人男性は自分の家の一室をこの方に提供し、生活一般はお姉さんと呼んでいた女性が面倒を見てきたようだった。1年位前から面倒みているとのことで、生活保護もその人達の尽力でもらえるようになったとのことである。二人とも日本語堪能で日本で長く暮らしており、日本国籍も持っているようだった。いつから日本に住み着いたのか詳しいことは知らないが韓国人には違いない。その人達が日本人があまたいる中で韓国人なのに生活力があまりなくて浮浪者みたいな生活をしていた今度入院したFさんの面倒を見てくれていた話をきいて涙が出そうになって言葉に詰まってしまった。
今、日本と韓国は歴史問題や慰安婦、徴用工問題などで対立してお互い憎しみあっているような現状にある。加害者側だから当然かも知れないが、日本はそれほど韓国を悪く思っていない。韓国は戦時中日本が韓国に悪いことをしたとしてあることないことを言いふらし日本に対する憎悪を増幅させている。それに対して日本人もそのような態度に憤慨し韓国に対して悪感情を持っている人も多い。しかし一歩中に入ると日本人が誰も面倒見なかったFさんに対し心から面倒を見てくれた韓国人がいる。その逆で不幸な韓国人の面倒をみている日本人もいることと思う。両国為政者の態度がこのような反目を生んでいると考えられる。最も近くにある国である。為政者は積極的に、両国の友好を発展させるように努力してもらいたいと思う。
武田神社の森の間にかすかに見えた富士山






Last updated  2020.11.20 13:01:13
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2020.11.14
カテゴリ:感動したこと
2年前に周囲の反対があり、秋篠宮家の長女眞子様が小室圭さんとの婚約延期を発表してその後どのようになっているのか案じていたがこの度眞子様から「何があっても私達は結婚したい」というお気持ちが公表された。マスコミなどで小室さんの両親について様々な噂があり、皇室の子女の嫁ぎ先としては相応しくないというごうごうたる否定的な意見が飛び交っていて眞子様の心中はさぞかし辛いものだったと思う。しかし日本中が反対しているような雰囲気の中で「私達は結婚します」と言い切った眞子様の勇気に心打たれ心から祝福したくなった。
今朝ドラの再放送で「澪つくし」をしている。銚子の醤油屋入兆の旦那の妾の子古川かおるは漁師の網元の倅吉武惣吉に思いを抱いているが醤油屋と漁師は犬猿の中でとても一緒になれる状況ではなったので半ばあきらめて良家の嫁になろうとしていたが本家の姉律子の計らいでその縁談が破断になった時惣吉への思いを新たにした。二人の結婚の前には想像もできないような大きな障害がいくつもあるがそれでも思いを遂げたいと決意する場面が今日の放送分で放映されていたがかおるさんと眞子様がかさなって見えた。愛を貫くということは並大抵のことではないがそれを勇気を持って貫くことはなんと素晴らしいことかと思った。
先日義兄が届けて下さった菊の花

今朝その菊の周囲を飛んでいたチョウチョ






Last updated  2020.11.15 10:45:17
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2020.11.13
カテゴリ:感動したこと
今75歳のパーキンソン病の女性患者さんを受け持っている。立ったり歩いたりできず背中を丸めて蹲っていることが多い。喋ることも余りできず、喋っても声は小さく意味がよく分からない。彼女は九州出身で若い時友人と山梨旅行に来た。その時どういういきさつで案内することになったかは分からないが彼女達を昇仙峡などに案内した人が今のご主人である。九州に帰ってから礼状を書いて文通が始まりお互い遠く離れていたが強い絆で結ばれていて結婚した。
今度入院する前は子供達は東京に出ており、老夫婦二人だけで暮らしていたが病気になった奥さんの入浴から排便、食事の支度や洗濯など全てご主人がしてやっていた。だんだん歩行や起立が出来なくなり抱きかかえての入浴や排便などは大変だったと思う。今度入院してからは普段なら恐らく毎日見舞いに来たことと思うが今はコロナで面会できない。病院に入れてもらったら手はかからなくなり、心身共に楽になったとは思うが、今まで毎日自分が看ていただけに気がかりだったと思われる。昨日ご主人から手紙が来た。コロナで面会できないさみしさを書いたものと思われる。パーキンソン病は全身の筋肉が退化していく病気だが脳神経も障害を受け、幻視、幻覚が生じ認知症が進行していくことも多い。手紙など読めないかもしれないと思っていたが「読みました」とのことで「どんなことが書いてありましたか?」と聞いたら「近況報告」ですとのことである程度意味がつかめたのではないかと思った。今朝「手紙どうしましたか」と聞いたら「昨日から今日までずっと握っていました」とのこと。実際はそれは不可能でほんの数分~数十分握ったのだと思われるがそれほど懐かしかったのだと思う。ラブレターは何歳になっても心を弾ませるものだと思った。手の握力もなくなり字を書く力も無くなっているかも知れないがほんの簡単なこと「お手紙ありがとう。うれしかったです」位書けるかもしれない。リハビリになると思うのでOT(作業療法士)にお願いしてみようと思う。もし書けたらご主人きっと喜ぶと思う。






Last updated  2020.11.13 21:18:11
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2020.10.13
カテゴリ:感動したこと
今リハビリテーション中心の病院に勤めている。高齢者が多く大半が90才以上である。脳卒中や骨折などで体を自由に動かせなくなった人達の機能回復やパーキンソン病や認知症などの慢性疾患の進行を抑えるためのリハビリが主な仕事である。医師は発熱した時とか食事が食べられなくなった時などに検査したり、薬を処方したり、点滴したりするが常日頃朝から晩まで関わってくれているのは看護師であり理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)である。
廊下で右手、右足が効かないよだれをたらしているご老人を抱えながら歩く訓練をさせていたり、認知症で殆どのことが分からない人に絵を見せて辛抱強く説明したりしていて頭が下がる。
STは運動機能回復と日常動作(ADL)向上、生活の質(QOL)向上を目指すが脳卒中などで生じた麻痺は直ぐに回復するものではなく、悪化することもある。認知障害のために暴言を吐かれることもあるが笑顔で応対している。
OTは応用的動作能力、社会的適応能力回復のために、手芸や工作、ブロック積みなどの訓練を行うが呑み込みの早い子供に教えるのと違い進歩は遅々たるものだが諦めずに対応している。
STは話す、聞く、表現する、食べる、飲み込むを調整し訓練するスペシャリストである。PT,OT,STは何れも国家資格で国家試験に合格してきた人達である。技術もさることながら患者さんによりそうその優しさと辛抱強さに敬服している。一か月に一回受け持ち患者について医師、看護師、PT,OT,ST,ソーシャルワーカーの6人でカンファレンスを行うが皆さん真剣に各立場で現在までのリハビリ進行状況を説明し討議している。
ピンピンコロリが一番いいのかもしれないが脳卒中、認知症などで廃人同様の状態になってもこのように優しい人々がいれば、それほど暗い人生ではないかなと思った。






Last updated  2020.10.13 13:00:19
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2020.09.22
カテゴリ:感動したこと
今日はお彼岸の中日、枯葉となり何もなくなっていた地中から彼岸花の茎がにょこっと地上に出ていた。そしてあっという間に真っ赤な彼岸花を咲かせて彼岸が過ぎると消えていく。不思議な花である。早朝彼岸花の茎を見ながらゴミ出しの場所の武田通りに出たら、いつものおじさんが道の枯れ葉を掃き集めていた。武田通りは春になると見事な桜並木になるが、道路はいつも落葉などで汚れている。
そのおじさんは80歳位で高校で音楽を教えていた先生である。今は退官して耳も遠くなり、昔の面影はないが、数年前から毎朝6時から道の清掃をしてくれている。それが日課となっているのでそれほど大変なことではないと言っているが、簡単にできることではない。私は週2回のゴミ出しと週1のプラスチックごみ出しの3回武田通りに行くがそれでも結構努力がいる。それなのに毎日、無報酬で、決まった時間に起きてお掃除してくれるのには敬服している。その姿を何人かは見ていると思うが第2、第3の清掃おじさん(おばさん)は現れていない。その人に任せておけばいいと思っているか、「別に掃かなくて汚れていたってかまわないじゃない、見苦しいと思ったら市で何とかしてくれるでしょう」と思っているかのいずれかだと思うが、そのおじさんが病気か何かで道に出れなくなった後どうなるだろうか?と思った。その時私に後が継げるだろうか?と思った。






Last updated  2020.09.22 09:43:09
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2020.09.12
テーマ:野良猫(19)
カテゴリ:感動したこと
フェイスブックで「動物の言葉がわかるハイジ」と言う番組をアップしてくれた人がいた。志村けんさんが写っていたので「志村動物園」の中の一コマかも知れない。すでに直接テレビで観た人は大勢いると思われるが私は初めてみて感動したので紹介させて頂く。
ある冬の朝エンジンルームに入り込んでいた野良猫が車を始動した際大けがをした。その運転者夫婦は動物病院につれて行ったが怪我がひどすぎて治療の対象にならないとのことで安楽死を勧められたとのことだが何とか助けてもらいたいとお願いして出血を止めるなどの手術をしてもらった。両前足は切断され重症だったので2年間入院していたとのことである。入院中夫婦は毎日お見舞いに行った。名前はコロとなずけて二年後に退院して自宅で飼うことになり後足だけで何とか歩けるようになった。おなかに手術の跡があり、もとどこかで飼われていたのかも知れないと思って動物の言葉が分かるハイジに来てもらってコロの心の中や経歴を調べてもらった。飼い猫ではなくやはり野良猫で、手術痕はボランテアの人が不妊手術を受けさせた後の可能性が高いと思われ、コロは怪我をするまえあちこちで食事を食べており、やはり野良猫だったとハイジは聞き出した。野良猫だけに人間が怖くこの夫婦も怖かったとのことだが病院に毎日お見舞いに来てくれたしこの家に来てからも大事にしてくれて、次第に親しみが湧いてきた。「この家にずっといてもいいですか?」とハイジを通じて聞いてきたのを聞いたご主人は涙を流しながら「こちらこそ一緒にいさせてもらってよいですか?」と言っていた。前足がなくても健康で幸せそうにくらしているコロも立派だが、怪我をさせたのはこちらに不注意があったからかもしれないと治療に心を尽くしその後も易しく面倒見ているご夫婦には感動した。ハイジは本当に動物の心が分かるのかどうかは分からない。でもこのご夫婦の姿をみているとハイジが読み取ったようにこの猫はご夫婦に心から感謝していると思う。こんなに優しい人々もいるものなのかと驚嘆した。






Last updated  2020.09.12 23:07:31
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2020.06.03
テーマ:読書(4342)
カテゴリ:感動したこと
白いバラ
Edoward E Rosenbaum(1985~2009年 94歳死亡)が書いたA tast of my own medicine(自業自得と言う意味)、別名The Doctor という本を読んだ。アメリカでベストセラーになり映画化もされて映画の題名がThe Doctorだったのでその後の増刷分はThe Doctorの書名で売られている。著者が70歳の時声帯癌になり32回放射線照射治療を受けたが医者が患者になってみて初めて分かったことを中心に書きながら今まで自分が患者さんを治療してきた反省点なども素直に感じたまま書いており感銘を受けた。患者になる前の自分は患者さんを待たせることはやむ負えないことで仕方ないことと思っていたが患者になってみると待たされることがどんなに辛いか身に染みてわかった。医者に質問しても丁寧に答えてくれないことが多くそれがいかに悲しいかも患者になってよくわかった。著者は今まで自分が治療してきた患者さんについて薬の副作用には細心の注意を払ってきた。ある時ベティと言う34歳の患者さんが救急室に運ばれて急性心不全で亡くなった。著者は関節リュウマチの専門医で多くの患者さんを診てきたがベティさんもその中の一人で子供の時からずっと診てきた患者さんである。なぜそんなに急に心不全を起こしてしまったのか解剖しても分からなった。何らかの薬の副作用によるものなのだろうか?などずっと悩み苦しんだ。お葬式に参加すればきっと「あの医者が​​​ベティの主治医で治療を間違えて早死にさせてしまったのだろう」と言われるかも知れないと思っていた。アメリカは訴訟の国なので訴えられるかも知れないとも思った。所がお葬式に参加したら家族の方が駆け寄ってきて次々にハグしながら涙ながらに「よく参列してくださいました。長い間本当にありがとうございました」と言ってくれたとの事である。それまで元気だった人が突然亡くなると脳梗塞、脳出血など明らかな死因が見つかれば別だが明らかな原因が分からないような場合にはそれまで診てくれていた医者に不満をぶっつけたくなるものだがそれは全くなかった。それは日ごろから「医者は患者さんの召使」をモットーに患者さんに心から尽くしてきた結果なのだろうなと思った。アメリカの健康保険制度についても患者さんの立場で改革を述べており当に患者さんのために生きてきた人だと思った。​​​​​






Last updated  2020.06.04 10:07:38
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2020.05.29
カテゴリ:感動したこと
赤いバラ 毎日女主人のために花たちは咲き競っているがその人は膝を痛めた時に無理に歩いて背中と腰を痛めて今は殆ど動けない状態である。

本日もThe Doctorの中から印象に残ったことを書かせて頂く。医師である著者が患者となって診てもらっている医師は友人の医者だが患者の思うような対応をしてくれない。そこで診てもらいたい理想の医者について考えてみた。1.誠実であること。2.医学的レベルが高いこと。3.患者に同苦して親身に話を聴いてくれる。3.について著者はそれを心掛けてきたが自分が患者になってみるとそうしてくれる医師はあまりいなかった。
患者には厄介な患者がいるものだが多くの医者はその原因は患者にあるとしてきたが著者はその原因は全て自分にあると思って対応してきた。ポートランドに住むある弁護士は法廷で堂々と発言し相手を押さえつけしまうようなタイプで法廷では有能だったがポートランド界隈の全ての医師からはこちらのいうことを理解してくれず、横柄で嫌がられていた。ある朝その人が著者のクリニックを受診したので風邪と診断して薬を処方した。そしたら昼頃電話がかかってきて「今朝あんたのクリニックを受診してお金もちゃんと払ったのに未だに風邪が治らない。どうしてくれる!!」と怒鳴ってきた。通常なら「このくそ患者め!」と怒鳴る所だが著者は、冷静に「弁護士の仕事と同様に医者の仕事も結果が出るにはしばらく時間がかかるものです」と答えたらその患者は笑って納得してくれて80歳の母親も診てくれと言ってきた。患者と医師の諍いは双方に原因があることが殆どだが多くの医師は患者に原因があると思っている。しかし著者は「病者は心配と苦しみを抱えているが自分は健康だ。トラブルを治めるのは医師の責任だ」と考えどのようなトラブルも全て自分の責任として対処してきたとのことである。中々出来ることではない。日本よりアメリカの方が患者の言い分を聞かない医師が多いのに凄い医師がいたものだと思った。そういう医師がアメリカでも日本でも増えてくれればいいと思った。
アメリカに凄い医者がいたと思ったが日本にも橋上好郎という凄い医者がいたので紹介させて頂く。
https://plaza.rakuten.co.jp/imagashoji/diary/201906160000/






Last updated  2020.05.30 09:29:13
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2020.05.05
テーマ:読書(4342)
カテゴリ:感動したこと
2019年12月4日にアフガニスタン東部で殺害された中村哲さんの2001年9月から2007年4月までの活動報告「医者用水路を拓く」が出版されたので紹介させていただく。
2000年夏からアフガニスタンを襲った大旱魃以来住民の医療だけでなく水対策に取り組んできた様子が書かれている。2003年3月に用水路建設事業を開始してからは「ほぼすべての時間を現地で費やし、他のことを顧みる暇がなかった。この4年間は洪水、土石流、集中豪雨、地滑り等あらゆる自然災害との戦いに明け暮れた」と述べている。工事に従事した技師や現場監督もいたが労苦を共にしたのは主に周辺農民達であった。工事に携わった作業員は4年間で延べ38万人、事故による重傷者は4人いたが死者は作業中の心筋梗塞に死亡の1名のみで事故死は1名も出さなかった。マリワリード用水路は総延長13.1キロ、1日最大総水量50万トン、砂漠化から回復して耕作できるようになった田畑が800町歩、渇水時に送水できる既存の耕地は約2000町歩で、「一木一草もなかった荒れ地に緑がよみがえる軌跡を見たものはひとしおの感慨をもって生きる恵みに感謝するだろう」と述べている。平和とは人間同士だけの問題ではなく自然との関わり方に深く依拠していることを学んだとの事である。まだまだ平和と自然との関わり方を学びながら人類社会に貢献したいと願い、活動していた途中で悲惨なことになり残念でならない。中村先生の志が伝わってくる命の本だと思った。






Last updated  2020.05.05 10:40:27
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2020.05.04
テーマ:読書(4342)
カテゴリ:感動したこと
「花と龍」は作者火野葦平の父玉井金五郎と母マンの生涯を描いた波乱万丈の痛快物語である。作者が「あとがき」や「解説」の中で書いているがかねてから父親の生き様について書いてみたいと思っていたので最後の行を書き終えた時には涙が出たとのことで全魂込めて書かれた小説と思われる。金五郎が命懸けで築いた沖仲仕の会社玉井組は昭和17年の国家総動員法で没収されてしまい金五郎は子供達に何の財産も残さなかった。しかし明治39年2月に玉井組という請負業を開業した記念に精工舎製の柱時計を当時としてはかなり高額の4円70銭で購入したが金五郎が72歳で脳卒中で亡くなった後もずっと正確な時を刻み、大きな音で時間を知らせてくれているとのことでこれが父親の形見であり、その生き方と「正しいものは最後には勝つ」という口癖が息子勝則(作者)にとっては銭金に変えられない大きな遺産と述べている。大金を遺産として残される場合もあるが多くはそれを食いつぶして子供は大成しないことが多い。金五郎は戦時中で子供に財産を残すということが出来なかった面もあったかもしれないが子供は自分で人生を切り開いて行くものとの考えからわざと遺産を残さなかった面もあると思われる。お金の遺産はなかったが大きな心の遺産を頂いて感謝の涙にくれたのだと思う。親から子への遺産は心の遺産の方がいいように思われた。






Last updated  2020.05.04 23:07:04
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