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じゃくの音楽日記帳

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2009.11.03
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カテゴリ:演奏会(2009年)
11月2日サントリーホール、シャイー/ゲバントハウス管弦楽団の演奏会を聴きました。

プログラムは、
 メンデルスゾーン 交響曲第5番「宗教改革」
 ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」

会場に行ってみると、「宗教改革」は初期稿を使用する、と掲示してありました。初期稿とはなんだろう、と思って公演プログラムを見ても、詳しいことは書いてなさそうです。あとでカジモトのサイトをみてみたら、「ホグウッドが校訂したメンデルスゾーンの新全集版に入っている、最初に書いた初期稿をベースにした独自のバージョン」という説明が出ていました。

開演時間となり、楽団員が出てきました。コンマスが先頭に、次々に登場してくる楽団員たちは、全員が出てくるまでそれぞれの位置で客席を向いて立ち続け、全員そろってから座りました。ドイツのオケらしく、礼儀正しくきちんとしていて、思わずこちらも拍手の熱意が高まります。

オケは両翼配置で、コントラバスは下手奥でした。珍しかったのは、コントラファゴットの向かって右隣に、テューバをぎゅーっと圧迫して細長~くして、さらに全体をふたまわりほど小さくしたような金管楽器が陣取ったことです。今年8月の高関健/読響のヘンデルの王宮の花火の演奏のときに見たのと、同種の楽器でしょうか。(王宮の花火のときには、もうひと回り大きかったかもしれませんが、細長くつぶしたテューバという点では同じ。)あとで金管楽器に詳しい友人が、「オフィクレイド」ではないかと教えてくれました。

ウィキペディアで「宗教改革」の楽器編成を見てみたら、メンデルスゾーンはこの曲に、セルパンという蛇のような形をした低音楽器(木管と金管の中間的な楽器)を使用したということです。(ウィキペディアのセルパンの項に写真がありました、本当に蛇みたいです!)しかし時代とともにセルバンがすたれ、オフィクレイドにとって代わられ、それがさらにテューバに代わってきているということです。なるほど。ちなみに先週の下野/読響の宗教改革の演奏は、多分普通のテューバを使っていたと思います。きょうはホグウッドとシャイーのこだわりで、オフィクレイドが使われたということなのでしょうか。(そういえば8月のヘンデルの王宮の花火も、「ホグウッド校訂による2008年の新しい版」を使用していました。これもホグウッドと高関さんのこだわりですね。)

チューニングが終わり、指揮者の登場です。大柄なシャイーが登場して、普通より高い指揮台に乗り、いよいよ第一楽章が始まりました。シャイーは早めのテンポでぐいぐいと進み、アクセント付けも強烈です。なめらかな美しさよりも、表面はがさがさ・ざらざらしていても勢いと芯がある音楽、を目指しているような姿勢と感じました。続く第二楽章も、早めのテンポで終始しました。

それに対し憂いを帯びた、みじかい間奏曲的な性格の第三楽章は、弦を中心に、比較的ゆっくり歌われ、味わい深いです。コントラバスの持続音が残り、静かに消えてゆき、そのまま終楽章にはいっていきます。ところで稿の違いに関しては、第一楽章からここまで、僕には違いがさっぱりわかりませんでした。しかし第四楽章の開始のところが、大きく異なりました。

通常の稿だと、ここでフルート・ソロでルターの賛美歌のメロディーが清らかに歌われはじめ、きわめて印象的なところですね。今回は、フルート・ソロが、まったく別のメロディーを優しく吹き始めました。やがて他の楽器も少し加わってきて、ひとくさり歌が歌われました。この部分は1~2分はあったでしょうか、結構長く、それが一区切りしたあたりで、引き続いてフルート・ソロが、ついにルターの賛美歌のメロディーを奏で始めました。そこからあとは、通常稿と同じ流れでした。ルターのコラールがだんだん楽器が増えて盛り上がっていき、続いてテンポが速まり長調の祝典的な第一主題などの部分、続く短調のフーガの部分、そのあとルターのメロディの一部やいろいろな主題がさまざまに歌われ展開されていく部分、やがてフーガの主題にルターのコラールがかぶさって同時進行していく部分(このあたりがまさに「プチブル5」の雰囲気が最高潮となる、僕の大好きなところです)と続きます。このまま通常稿と同じように終わっていくのかと思いました。しかし終結部にも、大きな違いがありました。

通常稿だと、一番最後にルターのコラールが高々と歌われて、幕を閉じますね。ところが初期稿では、締めくくりにはこのルターのコラールは使われず、ドミソミ的な音型をベートーヴェン的に少ししつこく繰り返して終わるという、まぁ普通の交響曲の終わり方、という感じでした。

初期稿と通常稿との細かな違いは僕などには全くわかりませんので置いておくとして、今夜の演奏を聴いて僕にもわかった大きな違い、すなわちメンデルスゾーンの改訂の要点は、上記の2点だと言って良いでしょう。ひとつは終楽章冒頭のかなりの部分をばっさり削除して、いきなりフルート・ソロによるルターのメロディーから始まるようにしたこと。もうひとつは曲の最後をそのルターのコラールの高らかな歌で締めくくった、ということです。前者は、ばっさり削除することで、第三楽章の暗く沈んだ雰囲気からぱっと切り替わってルターのコラールが一筋の光がさしてくるように明るく歌われ始めることで、このコラールのポジティブな意味がはっきり際立って示されます。後者も、最後の締めくくりにルターのコラールを輝かしく用いることにより、ルターを讃え宗教改革を讃えるというメッセージ性が極めて明瞭に、強い説得力を持って響きます。メンデルスゾーンは、このように改訂することでルターを讃えると同時に、自身の信仰心の確固たる強い表明ができたと思ったことでしょう。通常稿のこの2箇所から得る感動は本当に大きく、作曲者がこのように改訂した必然性が理解できます。さすが天才メンデルスゾーン。

初期稿は、研究的・資料的には価値あるでしょうけど、音楽的には断然通常稿が優れていると思いました。それにしてもメンデルスゾーンがこの改訂をいつ頃したのか、興味深いところです。この曲、完成から初演まで、かなりの紆余曲折を経ているそうですので。。。

ところでカジモトのサイトによると、シャイーは今年のあたまには逆にこの曲の「最終版」という、これまた通常演奏されないバージョンを演奏したそうです。シャイーの、飽く事なき探求心に脱帽です。「最終版」も興味がわきます。

稿の違いについてばかり書いてしまいました。演奏の特徴についても少し書いておきます。先週の下野/読響が端正なたたずまいを崩さず、古典的形式美と響きの美しさを尊重した演奏だったのと対照的に、今夜のシャイーの演奏は、ほとばしる気迫で疾風怒濤、形よりも勢いを優先した演奏でした。特に終楽章でのシャイーの気迫は凄く、フーガの各声部の切り込みの鋭さなど、かなりの盛り上がりを作ってくれて、感動的でした。しかし個人的には、シャイーを聴いていてややせわしく、ときどき単調な感じがしたことも事実です。僕としては、下野さんのアプローチの方が落ち着いて聴けて好きです。

長くなってしまったので、ブルックナーはまた別に書きます。






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Last updated  2009.11.04 00:04:23
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