|
テーマ:絵が好きな人!?(4326)
カテゴリ:***** 伝記 *****
浮世絵師の安藤広重は、火消しでした。
広重の父親は、八重洲河岸の火消し同心でした。 広重も13歳で、家督を継いで火消し同心となりました。 しかし翌年、不幸にも広重の両親は相次いで亡くなりました。 広重はまだ、14歳でした。 その翌年、広重は15歳で歌川豊広に入門します。 本当は歌川豊国に入門したかったのですが、断られたためです。 入門後1年で、才能ある広重は歌川広重の画名を授かりました。 それでも広重は火消し同心を続けました。 真面目に同心として働き続け、23年目。 ようやく広重は、画業に専念することになります。 息子の仲次郎に火消し同心を継がせたからです。 広重は画号を一幽斎から、一立斎に変えました。 画業のみで生計を立てるという決意が、画号にも表れています。 そして、その翌年に描かれたのが傑作「東海道五十三次」です。 広重が火消し同心を続けた理由はわかりません。 ただ、広重の第2の人生の選択がなければ、傑作は生まれませんでした。 一方で、火消し同心を続ければ、安定した生活は保障されたことでしょう。 広重が、画業に専念して26年。 61歳で広重は、多くの傑作を残して亡くなります。 死因はコレラでした。 人生の選択肢、そのどれが正解かは、誰にも知ることはできません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[***** 伝記 *****] カテゴリの最新記事
火消しを23年も続けていたなんて全然知らなかったです。
(2017.02.11 22:01:17)
こんばんは
広重が 火消し役同心 とは 知りませんでした 23年間も 二足わらじ を 同心を続けたのは 息子の為 と 木造で 火災が多く 正義感も あったかもと 思ってしまいました (2017.02.11 22:26:41)
え?火消さんだったの?知りませんでした。
(2017.02.12 04:39:19)
昨年の12月に福島県立美術館で
前期、後期の2回に分けて広重展が開催されました。 1枚の作品を作るのに、あれほど手がかかるとは 思いもしなかっただけに、よくあれだけの数多くの作品を 描かれたかと感心してしまいました。 どの作品もとても素晴らしかったです。 (2017.02.12 06:36:54)
こんばんは~
広重が火消しだったというのは、仕事で知っていました。 でも23年も2足の草鞋だとは知りませんでした。 偉大な版画家広重。人生の選択は間違っていないですね。 (2017.02.12 19:22:05)
さだまさしの歌が浮かびました
関白宣言でしたっけ? いい人生だったと必ず言うから・・・ 必ず言うから・・・ お金や名誉だけじゃ測れない幸せってのを大切にしたいです (2017.02.12 21:28:09)
こんばんは!
お久しぶりです。 一時はどうなるかと思いましたが、健康のありがたさを感じるとともに、ようやくブログに復帰しました。 ところで、広重の人生の背景については、全く知らなかったので、驚きの様なものを感じました。 今後ともよろしくお願いいたします。 (2017.02.12 21:52:05)
こんばんは
広重は元々火消しとは知りませんでした。 (2017.02.12 22:48:04)
おはようございます(#^.^#)
火消しを続けながら、忙しい毎日だったことでしょうね。 人生の選択肢、選んでみなければわからない。せめて他人に左右されることなく、自分の意思で進みたいものです。 猫の東海道五十三次も面白いですね。 (2017.02.13 06:18:54)
人生の選択は難しいです。
私は自分の経験からそう思います。 今、振り返ると偶然から生まれた所産が多かったようにも思いますが、まあ悔いのない選択をしたと思っています。万歳! (2017.02.17 10:32:51) |