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カテゴリ:浅野祥雲
コンクリート像作家、浅野祥雲。
祥雲の神髄に迫りたいなら、ぜひご覧戴きたい作品があります。 その作品は、愛知県知多郡南知多町の岩屋寺の傍の大慈山 中之院にあります。 それは、他で見る祥雲の作品とは一線を画す軍人像です。 昭和12年、上海上陸作戦が行われ、日本軍は中国軍の大群の眼前に出る愚行を犯しました。 上陸したのは、名古屋第3師団歩兵第6連隊の兵士。 大軍を前に、わずか8日間で150名の兵士が全滅しました。 それは一方的な虐殺出会ったと言われます。 石像は全92体。 このうち、浅野祥雲が81体のコンクリート像を、11体の石像を4人と石職人が作製したと言われます。 昭和12~18年に、兵士の写真を参考にして作られました。 犬を連れた兵士もいます。 一人は服を着ています。 この像は、当初は名古屋市千種区の覚王山の霊園北側にありました。 第2次世界大戦後にG.H.Qにより廃棄されそうになりましたが守られました。 しかし近年の土地問題から廃棄されそうになりました。 そこで、平成7年に中之院に移設されることになりました。 一部、名古屋市に残る像もあります。 浅野祥雲が作る仏像は、仏像らしくないと言われます。 人間味のある仏像は、愛らしくユニークです。 仏像を人らしく、そして人も人らしく作る作家。 浅野祥雲は、そういう作家なのです。 【 風化しつつある日中戦争 】 ※中之院の兵士像の日記、次回も続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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( ゜▽゜)/コンバンハ。
こういう風に残しているから、未来の人にとっては、日本の歴史の散策の時に調べて楽しむ事が出来るのに、ね。 廃棄されなくてε-(´∀`*)ホッ (2020.09.21 17:45:36)
1枚目のお写真の兵隊さんの像ですが
まるで本物の人がこちらを見ているみたいです。 この様な石像が92体も..。 それも実際の写真を見ながら彫られたのなら なんかそれぞれに魂がこもっている様に思えて その場に立ったならきっと何かを感じてしまいそうです。 (2020.09.21 18:32:14)
こんばんは
盧溝橋事件に端を発した上海事変ですね。 土地の問題だけでなく、いまだに軍関係をよろしく思ってない団体からの抗議があったのかもしれませんね。 (2020.09.21 18:34:50)
そういう歴史がったことも初めて知りました。
お一人お一人の軍人像に残された顔は、何を語ろうとしているのでしょう。 しかし、こうして現代まで像が残されているということは何よりの供養になると私は思います。 (2020.09.21 19:05:05)
人物像はこれ一点なのでしょうか?一点とは言わないでしょうけれど。
5人以上で取り組んで大半を1人で作り上げたという、それはやはり思い入れなのでしょうか? 軍人を顕彰するのはどうもという考えもあるでしょうし、正しい時もあるでしょうが、なんでも一律の判断というのでは時に誤りますよね。 残されてよかったです。 (2020.09.21 20:42:55)
軍人らしからぬ優しい顔立ちですね。
(2020.09.22 02:04:58)
おはようございます
岩谷寺さん 時折参拝に 行きますが 見たこと無いです 今度探してみます 惨殺に近い状態での 戦死でしたか でも 初めて見ました 浅野祥雲さんの 人間味のある像を (2020.09.22 07:08:46)
おはようございます〜♪
いつもお世話になりありがとうございます。 夕方から朝方まで気温下がり過ごしやすく練ってきました。 今日も良い一日でありますように…。 ☀️ (2020.09.23 12:00:59)
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