独居老人のコラム・京都ラーメン物語…1話 「ラーメン横綱」…「たかばしのラーメン」・小説「麺なし、肉なしラーメンの秘密」
★…ラーメン横綱、吉祥院、本店
昭和47年創業というから私が24歳のころだが、このころはラーメンといえば屋台が主流になる。景気がいい頃で働いていたら誰でも中古だが自家用車が買えた。その車で深夜のドライブ、そしてその〆にはラーメン屋台になる。
私はこういうブログ記事ではたいがい辛口だが、このラーメン横綱だけは例外で誉めている。
まず「安くて旨い」…650円(税込み)…ラーメン50円引き券、餃子無料券などもある。
そして「ネギ入れ放題」…中には信じられないほどネギを入れる人もいるが…
さらに「定員の接客サービスがいい」…接客教育がいいのか?時給がいいのか?
こんなことは商売をしていれば当たり前だが、これがなかなかできない。商売をしている人で「儲からない、儲からないと嘆いている人」は、一度、ラーメン横綱の吉祥院本店をスパイしてはいかがでしょうか? きっと何かを感じます。たぶん
★…京料理といえば「薄味でアッサリ」で昆布や魚介類の出汁だが、この京ラーメンだけは魚介類の出汁はまったく使わず黒い醤油味が主流になります。
昭和35年前後の高度成長時代には街中の交差点近く、はたまた工場街や国道にはラーメンの屋台が数多くあった。当時の労働は過酷で深夜までの残業や徹夜労働は当たり前だったが、栄養状態はそれについていけず栄養失調の労働者も多かった。
そんな折、豚の脂が溶け込んだスープ、焼豚という肉、それに九条ネギ入れ放題は庶民の心をガッチリ掴んだ。京都のラーメンは肉体労働者の血と肉になり、そのパワーが戦後の京都を作ったのです。
★~小説…「麺抜き、肉なしラーメンの秘密」
正月の朝は静かで走りやすいが客足は遅い。伏見稲荷から宇治まで空車で流していると、初老の男性が乗車された。
「運転手さん、たかばしのラーメンまでお願いします」
たかばしのラーメンとは京都駅近くの線路を跨ぐ橋を北に渡ったところにある。宇治からだと3000円以上になるからラッキーと喜んでいると、
「運転手さん、朝からラーメンは食べられます?」
「はい、普通のラーメンならダメですが、あそこのなら~」
「それなら運転手さんも一緒に!そしてまた宇治まで送ってほしい」
「お客さん、わざわざ京都までラーメンを食べに!」
「そう、毎年正月にはこうして…」
店は早朝から客が並んでいる。狭いテーブルに相席だが誰も不満は言わない。そのラーメンを食べて帰路につく車内ではラーメン談義が、
「私は昭和35年ごろ、青森からの出稼ぎで京都の新幹線工事の現場で働いていた。そのころは家がかなりの貧乏で給料のほとんどを仕送りしてきた。残った金で米を買い毎日の弁当は飯と梅干だけ。それでその弁当を持ってさっきのラーメン屋で、肉抜き麺抜きを注文する。つまりスープだけでそれに無料の九条ネギをいっぱい入れて弁当を食べていた。店主はそれでもいやな顔を見せずに歓迎してくれた」
「そうでしたか、私もあの店には青春の思い出がいっぱいあります」
「あのころは国民のすべてが夢と希望を持っていた。俺も今では宇治では中堅の建設会社を経営しているが、あのころの貧乏と人の情けを忘れないために、こうして正月には初詣代わりにラーメンを食べに来る」
「あの店は、グルメブームで雑誌に紹介されていますが、本当のファンは苦しかった時代と共に歩んできた店そのものに愛着があるのですね」
「そうだ、さっきもベンツを乗り付けてラーメンを食っていた奴は、俺と同じ飯場でスープしか注文を出来なかった奴だ!」
B級グルメの代表のラーメンだが、このラーメンのスープのパワーで新幹線が走っていると思うとー。
★~ワーキングプアや派遣労働者の増加で国民の暮らしは格差社会に突入しました。たしかに生活は苦しいが、この小説にある昭和30年代の生活の苦しさは今の苦しさよりははるかに悲惨なものでした。しかし、働けば車も家も買える、結婚もできるという夢がありました。そしてそれが高度成長の起爆剤になり日本は一流の国の仲間入りをしました。
★~当時は残業なんてものは当たり前で、日曜出勤に徹夜なんてものも平気で働きやがて60歳になれば年金が入ると将来設計を立てていたが貰える少し前に法律を変えられて65歳になってしまいました。これは国民と国家との約束を反故されたのと同じになります。もちろん政府に対しての不満はこれだけではないが、若い人たちが国民年金を納めない、選挙にいかない、政治不信というのはこの約束をいとも簡単に反故することが一番の原因だと私は思っています。
おかげさまで、この「伏見稲荷大社の物語」が大ヒット中で連日100ほどのアクセスで読まれています。さらに100話まで書く予定です。