みなさんこんにちは。
根室振興局地域政策課「あつし」です。
突然ですが、
自然豊かな野付半島の先端には、
江戸時代末期、
武家屋敷や遊郭が並ぶ「キラク」という歓楽街があり、
夜の灯りが消えることがないほど賑わっていたが、
その町はある日忽然と姿を消した
という伝説があるのをご存知でしょうか
果たして、野付半島の先端には何があったのか
4月23日、別海町郷土資料館と根室振興局の主催で、当時の遺跡を訪ねる「2017北方領土遺産ツアー」が開かれたので、参加してきました
野付半島ネイチャーセンターで学芸員の方の説明を受けた後、普段は関係者以外立ち入ることのできない場所へと足を踏み入れます
いきなり、沼のようになった湿地の洗礼を受けます
遠くにシカやタンチョウを見ながらしばらく歩くと、
江戸時代の(かもしれない)皿の破片や錆びた鉄器が
野付半島の先端には、国後島へ渡るための要所として、江戸幕府により1799年に「野付通行屋」が設置され、大きな建物がありました
通行屋の近くには、畑があり、野菜や麦、米などの栽培に取り組んでいたそうです。
お墓もありました。
また、60軒ほどの番屋が建ち並び、春から秋にかけて人々がニシン漁を営んでいたとのこと
歓楽街の記録は当時の文献には残っておらず、伝説でしかありませんが、確かにここには、江戸時代末期に人々の営みがありました
船旅が今よりも遥かに危険だった当時、国後島から16kmしか離れていない野付半島は、交通の要所としては絶好の場所だったのでしょう
残念ながら当日は国後島を望むことはできませんでしたが、
根室振興局北方領土対策課では、こうした北方領土にゆかりのある遺構や、建築物、文書、エピソードなどを、「北方領土遺産」として収集する事業を行っており、
このツアーもその一環として開催されたものです。
また、野付通行屋の支配人 加賀伝蔵の文書は、別海町内の加賀家文書館で展示されています。
ぜひ、皆様も歴史のロマンに触れてみてはいかがでしょうか