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テーマ:哲学・思想(190)
カテゴリ:学びまとめ
今回は、二つのある言葉について考えていきたいと思います。その言葉とは、「万物は流転する」「我思う、ゆえに我あり」という二つです。
万物は流転する「万物は流転する」とは、古代の哲学者ヘラクレイトスの考えです。これは「川も人も物も、この世界は絶えず変化している」ということです。
万物には「変化」というメカニズムがあります。昨日入った川と、今日入った川は違います。「人は同じ川に2度入ることはできない」と、ヘラクレイトスは言うのです。
「昨日の川と今日の川は違う」ということは、川に実体はありません。川というのは、「その流れゆく状態」ということなのです。
たとえば、川をすくってみても、水をすくっているだけであり、川をすくっているとはなりません。つまり、川は「実体」としてあるのではなく、「状態」としてあるのです。
「『私』は、道そのものにいる」
人間も川と同じで、常に流れています。ようするに、人間は実体ではなく、状態です。昨日のあなたと、今日のあなたは違います。
人間は、「体」「精神」「エネルギー(命)」の3つが連携しています。その連携した状態を人間と呼んでいるのです。そして、この3つが連携しているところに、「私」という機能・感覚が浮かび上がっているのです。
我思うゆえに我あり「我思うゆえに我あり」
これは哲学者のデカルトが表現したものです。たとえ世界の真理を解明したとしても、「そんなこと言ったって、すべては夢かもしれないじゃないか、マトリックスみたいに」と言われてしまったら、言い返す言葉がありません。
なので、デカルトさんは、「これだけは絶対に確かといえる原理を探そう!」と思いました。そして、見つけたのが「我思うゆえに我あり」です。
まず意図的に疑います。「この世は夢かもしれない、あのマトリックスみたいにアダプターみたいなのが繋がっていて……」と疑っていくと、すべてが疑わしくなります。
しかし、ただ一つ疑うことができないものが残ります。それは、「疑っている自分」、この自分の意識の存在です。「夢かもしれない」と疑ってみても、最後まで自分の意識は残るのです。
デカルトは、「意識の存在」は疑いようがないことを発見します。それはもう400年前の出来事です。(デカルトは、1596年~1650年を生きた17世紀のフランスの哲学者です)
・万物には変化というメカニズムがあること ・意識の存在は疑いようがないこと
この2つが「絶対にある」と言えることだと思います。それが私たちの地球や宇宙のルールということなのでしょう。
それでは読んでいただき、ありがとうございました。
【参考文献】 ・雲黒斎の『うんちャンネル』・哲学用語図鑑 [ 田中正人(グラフィックデザイナー) ] ・“それ”は在る ある御方と探求者の対話 [ ヘルメス・J・シャンブ ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023/03/06 07:30:06 AM
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