|
カテゴリ:神奈川県
杉谷の記憶はつい先だって来たことの記憶しかありません。いまでも状況はそうは変わらないのですが、財布の中は相変わらずオケラのままで、でも知らぬ町を歩くことで存分に旅情を感じられた一頃があったのです。初めての町で一人、心地良い孤独感に浸りながら歩く町はいつでも快くぼくの存在を無視してくれて鬱々とした気分を一刻忘れさせてくれるのです。杉田にはそんな青臭い時代に来ているはずです。はずですと言うのは何とも曖昧なことよ。確かなのは静岡に住んでいた頃、東京までのJRの乗車券、もしくはその逆の切符で途中下車を繰り返したから、当然杉田駅にも下車しているはずというだけのこと。だから浜松までの東海道線や京浜東北線の全駅に対してここまでの感傷的な文章は有効であり、ことさら杉田駅に当てはめることもなかったのです。一つあるとすれば実際の杉田はなかなか面白い町なのに、先般何年ぶりだかて訪れた時にまるで見覚えのない町に思われたのです。その理由について立ち呑みながら考察してみたのですが、その取りあえずの解答は割愛してしまうのです。
さて、またも目当ての酒場に空振りたぼくは「立飲 立喰 むつや」に吸い込まれたのです。かつてはまるで畑違いの商売をしていたらしい事は、女将さんに伺ったことは覚えているのですが、その詳細はまたもや割愛してしまうのです。というか割愛せざるを得ない位に何にも覚えていないのです。酒も入ってない時に聞いたことをこれほどあっさりと忘れてしまうなんて、杉田のことを初めて訪れたかのように感じるのも結局はこれが理由なのかもしれない。カウンターにせいぜいが5人程度で定員一杯となりそうな狭いお店は、知りもしないこの町に不思議にしっくりするななどと思いつつドクダミ茶割なんかを頂いてみた事だけは妙に記憶に鮮明です。ドクダミ茶の名前のドギツサからは程遠い爽やかな風味を想起した途端にこの商店街の歴史や向かいの金物屋が古いことを伺ったことなどが一挙に呼び起こされてくる当たり、マドレーヌではないけれど香りというものの記憶への働きかけは思いがけぬほどに強烈なようです。ともかく古いことは古いけれどさほど個性があるわけじゃないので、わざわざ出向く必要はありませんが、杉田に行った折にはふらりと立ち寄って町の昔話に耳を傾けてみるのも良いかもしれません。 京急の駅に繋がる商店街の裏手にもいろいろと鄙びた酒場などか潜んでいるかと思われますが、ざっと歩き回ってみた限りではそれらしい路地はなさそうです。ひとつもうほとんど廃れてしまってはいますが、飲食街というより歓楽街の妖しさを残滓のように留めた通りがありました。アーチにはかつて営業していた店舗名がずらりと記されていました。そのほとんどは撤退したようです。でもここから京急の駅前を北に折れて進んでいくと先ほど目にした「食堂 喜楽」と同じ屋号の店があるではないですか。夕方になるかならぬかの時間ですが開いてました、というか腰を据えて呑んでるおっちゃんもいますね。自宅の茶の間代わりに日がな一日をここで過ごされているように見えます。女将さんとテレビを眺めながら他愛のない会話をどくらい語ってきたのか、実の夫婦よりもずっと長い時間をここで過ごしてきたのでしょう。そこに突然の闖入者が現れたもんだから怪訝に思うのも無理からぬこと。ですが、警戒心より好奇心が勝ったようです。こちらがこのお店って以前何とか言う―店名は覚えているくせに飲食街の名は忘れてしまったのであります―飲食店街でやってたことあると尋ねると、あら地元の方かしらと驚かれるのでした。この質問をきっかけに俄然元気になったおっちゃんは、とめどもないお喋りを始めるのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/04/16 08:54:35 AM
コメント(0) | コメントを書く
[神奈川県] カテゴリの最新記事
|