ここで横浜といっているのは、あくまで横浜駅を中心とした半径100m程度のことを指しているので最初にそのことだけお断りしておきます。というのはこれから少しの間だけ横浜という町に対して苦言を述べようとしているからです。でもこの一文を書いただけでもう十分過ぎるくらいにこの辺りが嫌いであることが伝わったように思われるのでやめておくことにします。当初の構想ーなんて知的な操作は一切行なってなどいないのですがーでは、落とすだけ落としておいて最後に、でもこの町には素敵な呑み屋街があるのだぞと締め括るつもりであったのです。ところがきた東口だったか、東きた口だったかなんともヘンテコリンな名称の駅出口から出てみるとどうも見知った風景とは違って見えるのです。これは勘違いであろうか。確かに横浜駅周辺にはさほど強くはないので勘違いということもあり得るのでしょうが、それにしてもこれから向かおうとする酒場は、呑み屋街の路地の中心にあったような気がする。こんなにも駅の階段を上がりきって全貌を見渡せるようなことはなかったはずです。
目指すのは狸小路で長く焼鳥屋を続けてこられた「焼鳥 お加代」だったのですが、店の佇まいは古いままなのでぼくの勘違いでしかないのでしょうか。あまり足を運ばぬとはいえ半年ばかり前に来ているはずだし、たかだかその位の期間で記憶が霧散したと考えるよりは、周辺の呑み屋が解体されたと考えるほうがしっくりときます。今では半年など待たずとも町の景色が一変してしまうことなど少しも珍しいことではありませんから。しかしいつまでも愕然として留まっている暇はありません。急がないと店に入れないかもしれません。初めての店にたじろいだり不安を覚えるなんてことはついぞなくなりなしたが、今でも迷うことがあります。それは引き戸の店の場合に限られるのですが、どの戸を開けるのが正しいのか瞬時に見極める判断力に欠けるらしい。これひとつで常連がそうでないかが店の中に控える人には一目瞭然であるのです。二枚戸の場合は左右の二択ということになり暖簾や泥除けで判断できる場合も多いし、それがなくとも店内からの光の放射加減で予測できたりします。それでも間違ったら開き直ればいいだけのこと。でも戸が二枚でなく四枚だったりすると開く戸が何枚かあったりして、その開けた場所によって気分良く過ごせるか否かが決まったりするものだから選択は嫌でも慎重にならざるを得ないのです。でも気がせいているぼくにはそんなゆとりもなく、ガラリ開けた戸の内側は一番端っこの窮屈な席なのでした。まあこれはこれで店全体が見渡せて悪くないかな。焼物にはニシンの蒲焼やイモと呼ばれる蒸したジャガイモの串焼きなんかもあってそれがなかなか楽しいし、ちょっと珍しくてついつい頼んでしまいます。狭いカウンターの中では若い店主が老舗を背負うだけあって、如才なく応接をこなしながらも調理の手は怠らないのです。そうそうバイトの可愛い女の子がその店主から渡されたうわっぱりを羽織ってから厨房の背後にある猫の通用口みたいな扉から戻ると袖を何重にもめくり上げていて、それが男性用だと知らされたときに浮かべた表情は愉快で可愛かったなあ。