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カテゴリ:葛飾区
この数カ月に亘って金町の酒場を巡ってきました。これまでも書いたことですが、金町に対するぼくの見解は明らかに消極的で一方的な決め付けと偏見にまみれていました。それがたった数百メートルの距離を歩いてみたことで、そして一軒の酒場と出会う事でその偏狭な視野が拡大し、これまで視界から排除してしまっていた様々な風景をもたらしてくれたのです。町は情報に踊らされることで確実にその豊かさを削がれているのではなかろうか。情報は人を駆り立てるための仕掛けとして有用な場合もあるけれど、それに頼る事で自らがその脚を駆使することにより己の視野を狭める結果も招くのであります。まさにぼくがその典型で、日頃自身の勘と経験を持ってとにかく動く事を推奨してみせてはいるけれど、現実には未だに情報に翻弄されたままです。だからといってそれを理解したところでどうにかできるものではない。いや、例えば路地を見たら必ず足を踏み入れるとかそうしたルールを己に課するとか手の打ちようは幾らもあるけれど、わずかしか与えられぬ自由な時間を義務に縛られるのは溜まったものではない。だから今回の金町における一見の酒場との遭遇、そしてそこを契機とした芋づる式の酒場の連鎖という幸運は、己の努力や探索力などではなく、単なる幸運でしかないのです。
さて、芋づる式とはいえそのつるに成る芋なり果実なりにも限度があります。そのつるに成る最後の一軒は、「居酒屋 又来家」というお店でした。この界隈の酒場の中ではかなり平凡な外観を晒しているため後回ししてしまいました。店名の捻り過ぎなところもどうも気勢を削ぐ効果のみ強調されるようです。そういう先入観でこれまでも優良酒場の多くを見過ごしてきたことも紛れもない事実としてあるのだけれど、酒場を日夜飽かずに訪れる理由の少なからぬ割合がそこにこそあるのだから、やはりそこは安易とは譲れぬところなのです。それはともかくとして、店に入ってみると周りの店にも負けず劣らずのなかなかに良い雰囲気ではありませんか。捻りや衒いのない実直などストライクの王道路線の内装です。ひと頃は世のムーブメントに流されるが如くにコの字のカウンターがどうのと祭り上げてしまいましたし、無論今でも好きだけれど、数多く見てくるとそれにも食傷気味になるのです。他とは違う際立った個性は楽しいけれど、今時の潮流に乗っかってみましたというような新しい酒場には、どこかの真似っこはせず己の理想の酒場の形を追い求めて貰いたいものです。所詮モノマネからスタートした店に愛着や執着の気持ちを切らさぬのは難儀な事のはずです。さてさて、一般論はいい加減にしておくこととして、コチラのお店、主人は年齢不詳ではあるけれど50代位であろうか、店の枯れたムードからすると2代目だったりするのか。その際に店名をいじったと推測してみたりするが、なかなかに自分の仕事に厳しいタイプのようでお聞きする暇はなさそうです。でも手が空くと常連さんにも硬いながら笑顔を見せ好みであります。変な意味ではなく。料理というか肴も手堅いなあ。手が込んでるとかいうモノではないのだけれど、摘んでいて飽きがこない。蒸し鶏など簡単な調理でできるのに何故か家で食べるよりずっと美味いのです。調味料を駆使して味変出来るのが独り酒の楽しみであります。それにしてももう少し駅から近ければたまに通いたくなるのになあ、いやちょっとだけ不便だから荒らされずに続けていられるのだろうなあ。またいつかお邪魔したいなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/02/19 08:30:07 AM
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