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カテゴリ:葛飾区
京成電鉄の沿線は、ひと頃大いに気に入って日を置かずせっせと通ったものですが、さすがに一年もそれを続けると飽きが来るのも仕方のない事であります。いくら好きだからといってそれにのめり込み過ぎるのは、得策とは言えぬのだろうという事はさすがに中年となった今ではよく弁えているのです。弁えているとはいえ、それをうまく御せるかというとそれはまた別な話になるのであります。京成高砂にだって何度となく通ったものですが、例えば立石がそうであるように数え切れぬ程の酒場が立ち並ぶかというとそんな事は少しもなくて、むしろ2回とか3回も通ってしまえば目ぼしい酒場などほとんど回りきれているのでありまして、そこから先にある町への介入的な深追いは、各駅への愛情無くしては成し得ないのです。残念な事に例えば堀切菖蒲園駅に感じるような愛着が京成高砂駅には抱けなかったという事です。その思いに囚われるとその殻を打ち破るのは至難となるのでありまして、そういう事でひと頃の熱狂、京成高砂駅というよりは京成電鉄全線に対する狂熱が一挙に冷めやられてしまい、京成高砂駅への興味も一気に喪失してしまったのでした。なので以前も同じ事を書きましたが、例えば酒場放浪記のような番組が先般のように京成高砂駅の酒場を行ってくれるというのは、町を一旦冷めた視線で見直す良いきっかけになります。
まあ、それですぐにテレビで放映された酒場に赴くかというと今回はそうはしません。放映前に番組のHPを参考に行くならまだしも、時既に放映後だったからそちらについては客の入りの程度を見極めてからお邪魔することにしたい。という訳でこれは以前からその存在は知っていた「太洋軒」にお邪魔することにしました。中華飯店で呑む事は以前から少なからずしていたけれど、今みたいにはそれに積極的ではありませんでしたから、いい機会です。さて、いい加減に年季を感じさせる店舗は健在のようです。店舗の古さを語ろうとする時にどうも適当な表現を見出せずにいるけれど、仮に控えるべき表現としての擬人化を用いるとすれば、ここは定年前で見てくれはヨレヨレだけれどまだ定年までの短い時間に情熱を捧げる寡黙な中間管理職といったところだろうか。いやいや、少しも適当ではない気もするけれど粘ったところで今はどう知恵を絞ってもこの程度のアイデアしか出てきそうもない。さて、席に着いて早速に餃子とビールを頂きます。数年前まではラーメン程度を腹に入れて呑み出すというのも有りだったかもしれぬけれど、今はもうリスクを伴うのです。先にいた隠居の夫婦が食事を済ませると店は独りきりになります。テレビでも眺めるのが良策ですが生憎とテレビを眺めるには180度も首を捻らねばなりません。しかし、表の通りを眺めるときの店内の少しも落ち着いた色彩ではないのにでも確かにリラックスしてしまうのは不思議なものです。しっかりと見づまりのいい、だけれど変に重たくない餃子はぼくの好みです。餃子というのは不思議なもので、ほんの僅かな差異であるはずなのにその小さな違いが好みを左右するようです。首を210度くらいに捻ってみると、何と紹興酒が驚きの安価で出されています。店のは夫婦の娘さんだろうか、とても元気で明るいお姉さんがそれだと小さいグラスになりますが大きいとどちらになさいますと聞かれると大きい方にいかねばなるまい。あゝ、近くにあれば週末の昼下がりをゆるゆると過ごすのになあ。 さて、もう一軒、今度は居酒屋らしい居酒屋で呑みたいなあと住宅街に立ち入るとやがて、商店街の筋に出てそこに至って穏当な構えの「大衆酒場 山ろく」がありました。面倒なのでここに決めよう。店内はまっすぐと伸びたカウンター席と奥にちょっと広いスペースがありそうです。無論カウンター席に腰掛けて、物凄いレパートリーの品書きを眺めます。よくよく見ると数は多いけれど一品を上手くアレンジして品数を増やしているそうです。今回頼んでみた紅生姜玉はニラ玉から派生させた品だろうけれど、こうした大袈裟でない工夫が好きなのです。簡単な料理であってもご夫婦二人だけですべてをこなすのは相当なハードワークであることは、日頃簡単な自分用の食事を作るのさえ面倒に感じるぼくには驚異的なことに思えるのです。そこにはプロならではの合理的な調理法があるし、大いに察しの付くところではありますが、そうしたプロの技はシロートがあっさりと暴いて良いものとは思えぬからただ感心するに留めたいのであります。まだまだ店としては若いこちらではありますが、居酒屋の合理精神と安価に済ませようという客に対する心意気は大いに買えるなかなか良いお店でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/04/26 08:30:09 AM
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