常々、立呑み屋が似合う町と似合わない町があるのではないかと思っています。常々などと書くと、ぼくがさも四六時中立呑みのことばかりを考えているという風に捉えかねられないけれどまあ差し当たり個人的なことなのでどう捉えられようとさして支障はなかろうということにしておきます。とにかく常々でも時々でも構わぬけれど、例えばこの日訪れた金町はどちらかといえば立呑みという業態がしっくりとこない町であるように感じられるのです。似合わぬ町の理由を考えるより、しっくりきている町のことを考えた方が回答に近付けそうだから、まずは立呑み屋の多い町を挙げてみることにします。まず思い浮かぶのは、オフィス街であります。新橋、神田、田町などが典型でしょうか。京成立石、秋津、赤羽、亀戸、小岩、新小岩、北千住、桜木町なんかの酒場のメッカも当然立呑みも多くなるようです。新宿、渋谷、池袋、恵比寿なんかのちょっと下品な巨大な町にも多いですね。上野、御徒町、中野、三軒茶屋、溝の口、大井町、大山、蒲田、町田なんかになるとごちゃごちゃとした闇市感が増すというものです。と大概の町に立呑みは似つかわしいイメージですが、例えば綾瀬、亀有、金町辺りになると立呑み屋はあるにはあるし、実に風情のある店もあるけれど、ちょっと他店とは異質な存在を放つように思うのです。この例えばの3つの町に共通するのは、言ってみれば都会の片隅の田舎臭い町という印象があるところです。ないと言われてもぼくにはそう感じられるから仕方がないのです。田舎臭い町にはどうやら立呑みは違和感があるというのがぼくの現時点における結論であります。でもまあこれは東京におけるイメージであって、北九州や関西の町外れにある立呑みというか角打ちは、田舎臭い場末が似つかわしい気がするし、激しく惹かれもするのです。
といった次第でむしろ都内の町の方が特殊なのかもしれぬと思いつつあるけれど、金町にも実は立呑み屋があって腑に落ちるエリアがわずかながら存在するのであります。駅北口は現在再開発で町の様相を一変させられましたが、それに抗うかのようにしぶとく根を張りつつ商売を続ける商店や飲食店が残されています。その幾筋かの路地には立呑み屋が似合っています。かつては、名酒場、名喫茶もありましたが、すでに記憶の中でしか訪れる事が叶わなくなってしまいました。でも「立ち飲み居酒屋 ドラム缶 金町店」がありました。この地を見つけて選んだオーナーはセンスが良いと偉そうに感心したものです。でそこには一度訪れましたが、この系列店の持ち味である徹底した安さへの拘りを発揮してとても納得感のあるお店でした。それはとりあえず置いておくこととして、「立ち呑み Waraku」がオープンしたことをセンベロおねえさんのページで拝見してならばと出向いたのでした。今は跡形もなき「ゑびす」や近頃休みがちという噂の「大力酒蔵」を横目にさらに進むとやはりすでに店舗跡すら留めぬ「純喫茶 テンダリー」のある通りに至ります。さすがにこの辺でここに「ドラム缶」があったことを思い出しても不思議ではないはずで、むしろ思い出さなかったのが不思議な位なのです。つまりは「ドラム缶」が「立ち呑み Waraku」に化けたのであります。店内は既視感に満たされていますが、少し違っています。その違いは間違い探しという意味ではあまりにもわかりやすい差異だったので、早々に答えを書いてしまいますが、店内の止まり木替わりのドラム缶が樽に置き換えられていたのでした。これはちょっとユニークに思われました。つまりはドラム缶系列であるという色彩を排除するために恐らくはドラム缶に樽状の装飾を加えたんだと思われます。廃品利用ですね。ドラム缶の傘下にいると余計なライセンス料等が生じるのでありましょう。さて、ここまで書いてしまうともうこれ以上書くべきことも残されておらぬのでありまして、こうした激安酒場というのはそれ自体が持ち味で存在価値の大きな理由となりえていますが、どうしてもどこかに通ったムードで大差なく感じられる訳でありまして、安いことは正義ではあるけれど、正義は得てして退屈という誠に申し上げにくい結論に至るのでありました。一つだけつい犯してしまった勘違いについて告白しておくことにします。それはぼくが店名を「立ち呑み Waraku」ではなく「立ち呑み Wataru」、つまり"taru"="樽"を含むものと今日まで信じて疑わなかったことです。まあどうでもいいことですが。