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綾瀬には、お父さんとおふくろさんがいます。いや、お父さんは今はもういなくなってしまったので、今ではおふくろさんがいるだけです。と書いてもこのお父さんだったりおふくろさんがぼくの実の両親であるとは思われないのでしょう。ぼくの両親は今でも健在で少し反応など鈍くはなってきたけれど、まだ元気なので酒場なんかで父親のような人だったり母親のような人だったりを頼るという意思は微塵もないのです。今のように交通機関の発達してしまっては、かつてそうやすやすとは帰省できなかった時代に親替わりという存在もその存在意義は失われつつあるのかもしれません。それこそコロナ禍になってリモートで帰省した気になるのが普及してからは、親との付き合い方も今後は変化を被らざるを得なくなっているんじゃなかろうか。亡くして分かる親の有難さだったり愛情だったりかけがえのなさを説く人がいるけれど、それはもう実際に経験してみないと分からないことです。ぼくが両親に思うのは当人たちが生きていたいという間は生きていさせてあげたいけれど、その気力がなくなったならできれば揃って眠るように亡くなるといいなあと思うだけです。それはまあぼく自身にも言えることでありますが、そう思うがままにならぬのが生きづらさの根源なんだと思います。とまあ人によっては薄情とも感じられるかもしれぬような人たちが増えたからかどうかは分からないけれど、近頃は代理父、代理母の名を冠した酒場がめっきり減ったように思います。つまり「オヤジの店」とか「ママのいる店」なんてのが少なくなった気がします。
それはともかくとして、この夜目指したのは実は「泓源酒場 驚安」という安さがウリの中華系酒場だったのですが、余りの客の入りの悪さ(ってか端的に一人も客がいない)を表から見て、情けなくも萎縮してしまったのですね。張り出されたメニューを眺める限りはかなりの安価さである、にも拘わらずこの状況はいかにもおっかなく思えたのです。安酒場のメッカである綾瀬にあってもここはかなりの安さであるように思われ、安けりゃ混むというお土地柄ながら閑古鳥が鳴くのには何某かの理由があると思った訳です。そういやこの側には「お父さんの店」があったはずだと足を向けますが、どうも見つからない。なのでそのすぐ近くの「おふくろの店 若松」にお邪魔することにしたのです。戸に手を掛けた瞬間、かつて訪れているというデジャヴが去来したのであります。実際にはデジャヴでもなんでもなくて以前大衆割烹を冠していた頃にお邪魔していたようです。ちなみにこの夜は日頃物静かというか無口で喋ってもぶっきらぼうな印象のA氏が珍しくも熱くなって激論を交わすことになるのでした。お相手は、唯一のお客さんであったマンション・不動産業の経営者というご婦人でありますがその話は思い出しても鬱陶しいので割愛します。実際、ぼくは彼女らの応酬には近寄らず、もっぱら女将さん(というかおふくろさん?)とのんびりとお喋りしたのです。おふくろさんは彼女らのギスギスしたムードにもおっとりと構えておられていたからとても頼もしいのです。料理はアスパラベーコンなど家庭料理ながら食材が新鮮なのかそれとも扱いが丁寧だからなのかとても美味しかったです。うちの母親は料理がへたっぴだったから料理に関してはこちらのおふくろさんに軍配を挙げたくなります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/07/06 08:30:09 AM
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