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カテゴリ:多国合作映画
大きなメッセージ性とテーマを持っているオムニバスです。 各国の名立たる監督や新鋭を迎えて描く、7つのストーリー。それぞれの国で過酷な生を生きる子供たちの物語は、外面こそ様々だけれど問題は社会全体にあるもの。全体としては力強さが印象的。それは監督から子供たちへのエール。 主人公たちは皆、ほとんどが素人の子どもたちでした。演技はたしかに未熟、けれどもその分、瞳の輝きや屈折は本物。素直に受け入れたい7話となっていました。 「タンザ」 監督 メディ・カレフ(ルワンダ) アルジェリア生まれの小説家・演出家であるカレフ監督が描くのは、ルワンダのゲリラ部隊の少年たち。 機関銃を持ち「自由」を求めて戦う彼らは、その日生きながらえた命を明日へ繋ぐだけ。 ある夜、仲間の一人タンザは、時限爆弾を仕掛けろと命令され、標的になる建物に入って行くのですが、そこは憧れの学校。すっかり動揺した彼がとった行動とはーーー。 仲間が殺られ、一人欠けた4人で爆撃の標的となる村へと向う道すがら。タンザがある廃屋に入り、ふと壁のレンガを外したシーンが印象的。そこには子供たちが隠したのであろう沢山の宝物がありました。きっとここはタンザの家だった場所なのでしょう。 しんみりと憩う一瞬の心の安息は切ないものでした。学校で涙を流した彼の望みは、普通に学校に通えること、ただそれだけなのです。 「ブルー・ジプシー」 監督 エミール・クストリッツァ(セルビア・モンテネグロ) 大好きなクストリッツァ。彼の作品では御馴染みのノースモーキング・オーケストラの楽曲にのせて、過酷すぎる少年とその家族の物語を辛辣なユーモアで綴ります。 映画と音楽の切れない関係は、ジャームッシュ作品と似ています。映画に流れる音楽が最高に心地良い!それがハッピーばかりじゃなくっても。 窃盗団の一家に生まれた15歳のマルヤンは、少年院に収容されている模範生で、間もなく出所を控えていた。塀の中の面々は、近々開かれる送別会の歌の練習に余念がない。 本番を迎えた式の最中、盗んだ品物を手土産に、マルヤンにも賑やかな迎えがやってくる。無事家族に引き取られたマルヤンだったが、それは彼に暴力を振るう非情な父との再会と、窃盗を繰り返す日々がやってくることを意味していたーーー。 同じ過ちの繰り返しでも、そこに人生の悲喜交々があると、いとおしさを感じてしまう。たとえ悲劇を描いても、クストリッツァ作品にはユーモアと人間らしさがあります。マルヤンが残す苦笑いは、すべてを物語る。 マッチを擦っては天井に投げてくっつける悪戯が面白いですね~。この辺ではよくやる悪戯なのかしら。違う映画でもこんなシーン観たような気がしますが、思い出せません。 「アメリカのイエスの子ら」 監督 スパイク・リー(アメリカ) ブルックリンに住むブランカは、愛情たっぷりの母と、兵役で負傷し飲んだくれとなった父と三人で暮らしている。そんな彼女の両親は実はHIV感染者で、麻薬常習者、そして自身もHIVに感染していた。 最悪の状況にある家族、悩めるブランカ。彼女は、ある保護機関の門を叩くーーー。 リー監督作品は、いつも気持ちが向かず、ほとんど観ていません。 本作は良かったです。エイズと真摯に向き合う姿勢が。 有名監督になってもまだブルックリンに住んでいるというスパイク・リーは、様々なアメリカの底辺にある暮らしを知っているのでしょう。その上で伝えたいことが、ストレートに描かれています。 大きな社会問題となっているエイズ、その父母から生まれたエイズ・ベイビーと呼ばれ、いじめられる子どもたち・・・。 計り知れない苦悩と、死の恐怖を、深刻に受け止めた作品でした。 演技経験ありというブランカ役のハンナ・ホドソンが、難しい役を好演しています。 「ビルーとジョアン」 監督 カティア・ルンド(ブラジル) 『シティ・オブ・ゴッド』のカティア・ルンドによる、貧困街の子供たちの生活。力強く爽快。 急速な近代化が進むブラジルの裏側を知っても、湧くのは同情ではありません。逞しさのなかにある無限の可能性。 ただその先には、監督が言うように、彼らの生きる手段を駆使しても、成長した社会に参加する手段はないと気づいた時に、彼らはどうなるのだろう・・・そんな真剣な危惧がありました。 ビル群が迫り来る貧困街で、どんなに足掻いても、彼らの未来は変わらないのだとしたら。希望や夢はいつか持てなくなってしまうのだろうか。 イラン映画などでもそうですが、兄弟姉妹たちが互いに支えあう仲のよさには驚かされます。身につまされる思い。 あまりに逞しく、生き生き働く立派な彼らから目が離せませんでした。 「ジョナサン」 監督 ジョーダン・スコット、リドリー・スコット(イギリス) リドリー・スコットと、その娘ジョーダンによる共同監督作品。 フォトジャーナリストのジョナサンは、戦地に赴いた際に受けたショックで幻覚にうなされ、人生にも仕事にも希望を持てずにいた。 ある日、森の中から突然子供たちの声が聞こえてきて、その声を追いかけていくうち、自らも少年の姿に戻っていく。到着したのは戦場と化した森。そこで生きる子供たちと過ごすうち、やがて傷が癒され自ら現実世界へと還っていくーーー。 とてもわかりにくく、伝わらない部分が多い。7作の中では一番拍子抜けでした。 デヴィッド・シューリスの存在の魅力だけが残って、幻想の世界でいかに救われたのかを感じ取ることができませんでした。 経済的にも恵まれた国イギリスの、フォトジャーナリストである主人公から、いったい何を伝えたかったのだろうか。ジャーナリズムの必要性?それだけなら好感は持てない作品でした。 「チロ」 監督 ステファノ・ヴィネルッソ(イタリア) 金持ちから高級品を盗んで窃盗団に売って暮らしているチロ。家族に愛されず、日々は荒んで、彼の心は虚無感でいっぱいだーーー。 冷めきったはずの少年が、遊園地で戯れる幼さ。使い古されてきたオーソドックスな表現方法だけれど、過去の名作へのオマージュだったのかもしれません。イタリアにもまたある暗部。 遊園地に灯る電光が、日の沈んで薄暗くなった情景に美しい。真っ暗闇よりも、それは綺麗に映えていました。影と戯れるチロなど、映像がとてもいい。 「桑桑(ソンソン)と子猫(シャオマオ)」 監督 ジョン・ウー(中国) 裕福だが、不仲の両親を持つ寂しい桑桑は、母親に怒られお気に入りのフランス人形を車の窓から捨ててしまう。そこに偶然通りかかった貧しい老人が、一緒に暮らす孤児の小猫のためにその人形を持ち帰った。 対照的な二人の少女が、人形をきっかけに運命的な出会いをする物語。 すっかりハリウッド監督となったジョン・ウー。7作あるうちで、一番あざとさが見えるのが本作でしたが、それもらしさなのでしょう。 ふたりの少女の全く違う苦悩を、光と影のように対比して描く構成は素晴らしいです。短い時間にも、物語の背景がしっかり描きこまれる。貧富の差が激しい中国の問題がそのまま浮き彫りとなっています。 経済的に恵まれた桑桑だけれど、より人になにかを与えるのは子猫の方。この構図、かなり深いと思う。与えて幸せになっていく子猫と、余るほど持っていても足りないものがある桑桑。ふたりの少女を越えて、私たちに投げかけられる問いも大きかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>経済的にも恵まれた国イギリスの、
>フォトジャーナリストである主人公から、 >いったい何を伝えたかったのだろうか。 いったい何だったのでしょうね?。 ちょっと興味がわきます。全くの駄作かも知れないけど。 こう言ったら顰蹙を買うかも知れませんが、 「あ る 意 味」他の6編の「子 供 の 不 幸」への視点には、 新しい何ものもないわけで、それが映画の意味を減ずるわけではないけれど。 そういう意味でイギリス編に何か独自の視点があれば、 興味深いと思います。 実は近々上映される『プルミエール 私たちの出産』という映画の 予告編を映画館で3回ほど見せられているのですが、 それとこれを2本立で続けて見せたら面白い企画かも知れない。 『プルミエール』の方は、基本的内容に何の文句もないのだけれど、 製作がディズニーというのもあって、背景にどうしても何らかの 胡散臭いものを予想しないではいられない、ひねくれた自分です。 世界各国の様々な母の出産を追ったドキュメンタリーなんですが、 ある意味ではみんな幸せな方に属する子供たちだと思う。 その感動的な出産と、『それでも生きる子供たちへ』の 子供の不幸を並列するのは面白いと思います。 (2008.06.30 20:57:39)
racquoさんにおすすめできない感じの作品でした。
クストリッツァ目当てで、あざといだろうことを覚悟しての鑑賞です。 途中眠くなって断念したのが「ジョナサン」。 もしかしたら、もっと‘何か’があったのでしょうか。 回らない頭で見てちゃいけなかったかも。 >「子 供 の 不 幸」への視点には、新しい何ものもない その通りだと思います。『プルミエール』との対比は興味湧きますね。 ディズニーに対する目線は、最近私もracquoさんに同じくなので(笑)若干感じる胡散臭さ、わかります。 そういう私は今100円で買った『ファンタジア』を観ていたりするわけですが・・ (1001本入りしている作品なのでした) (2008.07.01 00:10:31) |