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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:台湾映画
台北の街、昼下がりの公園。お腹を下したらしい年配の女性(ルー・イーチン)がトイレから出てくると、3歳になる孫の姿が見当たらない。女性は台北の街中を必死になって捜して回る。 一方、同じ街の片隅では、祖父が作ってくれた弁当には手も付けず、ファーストフードで食事をすませる少年がいた。一日中インターネットカフェに入り浸り、祖父のことなど気にも留めずゲームに夢中になっていた少年だったが・・・。 なにも知らずに観れば、監督はツァイ・ミンリャンだと見間違う人もいるのじゃないだろうか。 それくらいに良く似ているミンリャン節の、リー・カンション初監督作。 欠かせない長回し、ロングショット、摂食排泄の描写。 一見、祖母が迷子になった孫を泣きながら探し回るだけのストーリーに見えるが、裏でもうひとつ、祖父と暮す現代っ子の少年の日常が動いている。 預かりものの大切な孫がいなくなり、尋常ではないほど動揺する祖母の姿は痛々しい。 パニックに陥り、泣き叫び、なりふり構わず半日中街を探し回るのだ。 かたや少年は、祖父の用意してくれた弁当を公園に置き去り、ネットカフェでゲームとチャットに夢中になっている。 時に街角ですれ違いながら、一日の終わり、夜の公園でふたりは偶然出会う。 ふたりは気づかないけれど、敷地の外には、迷子の孫と少年の祖父が、手を繋いで歩いている。 年代も生活もかけ離れた二人が、親しい言葉を掛け合うでもなく吸い寄せられるように佇む、都会の夜の風景がちょっといい。 時は奇しくも、新型肺炎SARSの脅威が台湾に迫ってるころ。 新聞には見出しが躍り、少年の友人はSARSらしきの症状で行き倒れ、不穏な空気だ。 子どもたちは不健康なネットカフェに入り浸り、老人たちは孤独。そんなたくさんのモチーフがさりげなく入り混じる。 長回しで平坦な絵面を構成する、ある種退屈なミンリャン風の撮り方そのままに、確固たるものが浮き彫りにされないのはちょっとツライ。 作品にのめり込ませる力が足りないのは、初監督ということで、これからに期待しよう。 それにしても、ここまで作風が似てしまうのは・・どうだろう。 本作についてリー・カンションが語った言葉を読むと、少し見えてくるものがある。 彼の父親が亡くなって二年後に、母親に初孫ができたのだそうだ。母は孫を父の生まれ変わりだと信じて大きな愛情を寄せると同時に、孫になにかあったらという不安に苛まれ始めた。 その姿から浮かんだ構想だという。 本編は父に捧げられている。 そういえばミンリャンの『ふたつの時、ふたりの時間』でも、祖母を演じた主演のルー・イーチンは、夫を亡くした喪失から立直れない母親を演じていたっけ。 実生活と微妙にシンクロさせて映画を撮るのも、ミンリャン組み風といえるのかもしれない。 それにしても現代の台湾と日本は、似てる。 監督・脚本 リー・カンション 製作 ツァイ・ミンリャン 撮影 リャオ・ペンロン 出演 ルー・イーチン ミャオ・ティエン チャン・チェア (カラー/88分) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.14 22:06:54
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