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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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映画「元町映画館」でお昼寝

2020.11.27
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​​​オム・ユナ「マルモイ」元町映画館​


​ 2020年の秋、だから今年の秋ですが、辞書を作る映画を2本みました。1本目は「博士と狂人」というイギリス映画で、オクスフォード英語辞典Oxford English Dictionary、通称OEDの誕生秘話とでもいう映画でした。​
 登場人物や、映画としての物語についてはここでは触れませんが、辞書を作っている人の「ことば」の集め方が、「失楽園」とか「聖書」とか、書物での使用法の引用をメインにしていたことが印象的な映画でした。
​​​​ 2本目がこの映画「マルモイ」でした。
 チラシの副題には「ことばあつめ」と記されています。「マル」は朝鮮語で「言葉」「モイ」「集める」という意味だそうです。「言葉+集める」で、朝鮮語では「辞書」という意味になるそうですが、この映画は、文字通り半島全土で使用されている日常語を「集める」様子を描いた映画でした。​​​​

​​ 文盲で「置き引き」や「すり」を働いて二人の子どもを育てている、刑務所帰りのキム・パンスという男と、留学帰りで、朝鮮語学会を率いるエリート、リュ・ジョサンという、インテリ青年の出会いから映画は始まりました。​​
​​ キム・パンスを演じる、ユ・ヘジンという役者さんが我が家では人気で、実は、この日も同伴鑑賞でしたが、期待にたがわぬ大活躍でした。
 辞書を作ろうかという真面目な人たちや、なぜか、京城中学というエリート学校に通う中学生の息子や、小学校に上がる前のかわいくて利発な娘にかこまれて、「フーテンのトラ」の、渥美清もかくやという大活躍でした。​​

 脚本の力でもあるのでしょうが、本来、抵抗映画として重くなるほかはない映画全体を、彼の存在が明るく、勢いづける原動力となっていて、大したものだと思いました。

 映画を見終わって、チッチキ夫人が、ぼそりといいました。
「映画の中のいろんなことが、ああなったのって、日本人がやった事でしょ。映画の中で、頑張っている人に、そうだ、そうだと思いながら、なんだか悲しくなってきたわよ。」
「うん、あの、オニーさんの方が留学から帰国したソウルの駅前で、子どもたちが言うたやろ、日本語で。ぼく、朝鮮語できません、って。それから、小学校に上がる娘が言ううやん。キム・スンヒのままがいい、って。」
「あの子ら、今、80越えてはんねんな。うちのオカーチャンとかと一緒くらいやろ。台湾でもそうやろ。」
​ そのまま話がとぎれて、帰宅しましたが、気にかかったことがありました。唐突ですが、朝鮮語で「国語」といういい方はあるのだろうかということです。
 日本の学校では、今でも、日本語のことを「国語」と言います。でも、この言葉を、直訳で英訳すれば「National language」であって、「Japanese」ではありません。
 韓国語では「ウリマル」といういい方があるそうです。「ウリ」「私たちの」「マル」「言葉」「私たちの言葉」という意味になるそうですが、「ハングル」を指すそうです。日本語の「国語」とは少し違いますね。
 で、数年前に読んだ本を思い出しました。「国語という思想」(岩波書店)という、イ・ヨンスクという、一橋大学の学者さんがお書きになった本です。
 その本で彼女は、日本語を「国語」と固有名詞化した、近代日本のイデオロギー、政治的意図について詳細に論じていて、スリリングな本ですが、この映画を見て、イ・ヨンスクさんが、なぜ「国語」を研究対象にしたのか、彼女が言う「近代日本のイデオロギー」の正体とは何だったのかが腑に落ちた気がしました。

 「国語」「帝国臣民」を押し付け、「言葉」「名前」を奪った統治政策の「悪質さ」は、まだ十分に検証されてはいないのではないでしょうか。ヨーロッパの帝国主義諸国も同じことをしたいう人もありますが、果たしてそうでしょうか。「同じこと」とは、実は言えないのではないでしょうか。
 ぼくは「国語辞典」を愛用していますが、なぜ、この「国語」という言い方に疑問を持たなかったのでのでしょう。そんなことを考え始める映画でした。
監督 オム・ユナ
製作 パク・ウンギョン
脚本 オム・ユナ
撮影 チェ・ヨンファン
編集 キム・サンボム
キャスト
ユ・ヘジン(キム・パンス)
チョ・ヒョンド(キム・ドクジン:中学生の息子)
パク・イェナ(キム・スンヒ:幼い娘)
ユン・ゲサン(リュ・ジョンファン)
キム・ホンパ(チョ・ガプイン先生)
ウ・ヒョン(イム・ドンイク)
キム・テフン(パク・フン)
キム・ソニョン(ユ・ジャヨン)
ミン・ジヌン(ミン・ウチョル)

2019年・135分・韓国
原題:「Malmoe」 The Secret Mission
2020・11・13元町映画館
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最終更新日  2020.11.27 00:02:07
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2020.11.17
​​ミッジ・コスティン「ようこそ映画音響の世界へ」元町映画館


​ 今日は「映画学講義 音響編」ということで、さすがに泣くことはないだろうと思ってやって来ました。昨年「すばらしき映画音楽たち」を見て以来、「映画」にとって「音響」が、いかに大切かということに気付き始めてはいたのですが、納得しましたねえ。​
 「映画」という表現が、「映像」の詐術であることは何となく理解していますが、「効果音」や「映画音楽」が、そこでどんな働きをしているのか、実はよくわかっているわけではありませんでした。この映画も、せいぜい「映像」の印象をフォロー・アップする程度の働きについての話で終るのだろうとたかをくくってやって来ました。
​ で、びっくり仰天(まあ、ちょっと大げさですが)しました。「音」はもう一つの詐術そのものでした。​
​​ 普段、劇場でぼくが耳にする「音」は、デジタルな作りものではなく、実際の演奏であったり、人間の本物の声であったり、風や波であったり、現実に耳している、本物の「音」から作りだされ、重ね合わされることで、映画の現実を「本物のように」ではなく、創造された「本物」としてつくられるということです。​​
​​​​​ たとえば、「スター・ウォーズ」という映画で、若き日のハリソン・フォードの相方だったチュー・バッカという愉快な宇宙人がいます。
 都市伝説にもなったらしい彼の声の中には動物園にいるさまざな動物の声が重ね込まれていて、音を集める職人たちが、日がな一日、あるいは、来る日も来る日も、ライオンやシロクマの檻の前でマイクを構え、集めてきた現実の「音」によって作り出されていくプロセスを目の当たりにすると、「映画」という総合芸術の分厚さを実感するわけです。その上で、チュー・バッカの、あの懐かしい叫び声が響きわたったりすると、思わず涙ぐむ始末で、困ったものです。​​​​​

​ 映画という表現の「音」の作られ方が、きちんと振り返られていて、実に「ベンキョー」になったのですが、現場で工夫に工夫を凝らす職人たちが「映画」を作り、育ててきたことを、改めて感じさせてくれたことにこそ、拍手したいドキュメンタリーでした。​
​ それにしても、「地獄の黙示録」の夢のシーンや、「スター・ウォーズ」の巨大な宇宙船が現れるシーンを見ながら、何だか涙が出てしまったぼくは、ヤッパリ、老人なのでしょうね。​
 トホホホ・・・・。

監督 ミッジ・コスティン
脚本 ボベット・バスター
撮影 サンドラ・チャンドラー
編集 デビッド・J・ターナー
音楽 アリソン・ニューマン
キャスト
ウォルター・マーチ
ベン・バート
ゲイリー・ライドストローム
ジョージ・ルーカス
スティーブン・スピルバーグ
ロバート・レッドフォード
バーブラ・ストライサンド
ライアン・クーグラー
デビッド・リンチ
アン・リー
ソフィア・コッポラ
ピーター・ウィアー
エリク・アーダール
イオアン・アレン
リチャード・アンダーソン
カレン・ベイカー・ランダーズ
ボビー・バンクス
リチャード・ベッグス
アンナ・ベルマー
マーク・バーガー
2019年・94分・アメリカ
原題「Making Waves  The Art of Cinematic Sound」
2020・11・17元町映画館
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最終更新日  2020.11.21 14:16:31
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2020.11.07
​​フェデリコ・フェリーニ「魂のジュリエッタ」元町映画館          ​映画.com​​​
 フェリーニ映画祭の企画の1本です。今回の企画で、初めて見たフェリーニの作品でした。フェリーニとしては、傑作「道」から​​​
10​​年たって撮った作品で、主役のジュリエッタ役を監督自身の「妻」である​ジュリエッタ・マシーナ​が演じている作品でした。
​​
 映画館はかなり込み合っていましたが、まあ、人のことはいえませんが、いつもの通り「前期高齢者の集い」でした。中々見ることができない作品なので、皆さん狙っていらっしゃった雰囲気です。
 映画は不思議といえば不思議な話で、まず、映し出される映像が不思議でした。夫の浮気を疑う、中年にさしかかった妻の苦悩の胸中を描いた映画ですから、まあ、そうなるのであろうか、とも思うのですが、「ファンタジック」とも言えないし、「おどろおどろしい」わけでもない世界が繰り広げられるのですが、案外、退屈はしませんでした。
​ ジュリエッタの、いわば深層心理が、荒唐無稽ともいえるシーンの重ね合わせで描かれています。
 現実の場では霊媒師のような役割だったと思うのですが、深層心理の中で、天使なのか悪魔の使いなのかわからない役を演じるのが、上の写真の右側の女性で、
​​​サンドラ・ミーロという女優さんです。左に立っているのが主人公のジュリエッタ役のジュリエッタ・マッシーナですね。
​​​
​​ この二人の、顔立ちやスタイルはもちろんのことですが、メーキャップといい、衣装といい、実に対照的な姿が、妙に印象に残りました。わけのわからない世界の中を、ただ一人だけ「現実」の意識を具象化したかのような、おばさん然としたジュリエッタが歩きまわるのといった印象です。彼女の苦悩の「哀れさ」はそこに現れていると思いました。
 作り手のフェリーニが、そこに何か意図をこめているのか、いないのか、そのあたりはわかりませんが、もし、今、この作品が新作として劇場にかかれば、物議をかもすことは間違いないでしょうね。
 率直に言えば、「ええ、この夫婦ヤバいんじゃないの?」ということになるでしょうか。まあ、そういう意味でも不思議な映画でした。​
​​
​​​​ ああ、それから、この映画で主役だったジュリエッタ・マシーナは、あの「道」ジェルソミーナですね。「道」から​​​​10年後の映画なのですが、それにしても、あの年齢不詳の、少女なのか、大人なのかわからなかった女優の変貌ぶりでした。
 映画の途中でうすうす気付いたのですが、目を疑いましたね。

監督 フェデリコ・フェリーニ
製作 アンジェロ・リッツォーリ
原案 フェデリコ・フェリーニ  トゥリオ・ピネッリ
脚本 フェデリコ・フェリーニ  トゥリオ・ピネッリ  
   エンニオ・フライアーノ  ブルネッロ・ロンディ

撮影 ジャンニ・ディ・ベナンツォ
衣装 ピエロ・ゲラルディ
音楽 ニーノ・ロータ
キャスト
   ジュリエッタ・マシーナ(ジュリエッタ・ボルドリーニ)
   サンドラ・ミーロ(スージー/イリス/ファニー)
   マリオ・ピス(ジュリエッタの夫)
   シルバ・コシナ(シルバ)
1964年・144分・イタリア・フランス合作
原題「Giulietta degli spiriti」 日本初公開:1966年11月19日
2020・10・27・元町映画館


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最終更新日  2020.11.08 00:55:25
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2020.11.03
​​​​フェデリコ・フェリーニ「アマルコルド」元町映画館

           ​映画.com
​​ フェリーニ映画祭のプログラムの1本です。何故か「フェリーニのアマルコルド」と呼ばれがちですが、題名は「アマルコルド」です。あの淀川長治さんが愛した映画の1本としても有名な映画だと思います。ぼくは20代で見ましたが、今回は久しぶりの再会でした。​​
 綿毛が雪のように降ってきて、街の真ん中に薪やがらくたの大きな山が作られて、山のてっぺんには女神の人形が座らされ、盛大に燃え上がる焚火が冬の女神を焼きつくしていきます。人々は喜びに満ち溢れています。イタリアの田舎町に「春」がやって来たのです。
​ 「アマルコルド」という、変てこな題名は、この町の方言で、「わたしは覚えている」という意味だそうですが、映画は、そろそろ「春」がやって来たらしい少年チッタの「思い出」の日常がコラージュされている趣で描かれています。​
 格別な筋立てがあるわけではありませんが、印象的なシーンが重ねられていきます。
 燃え上がる火柱、盲目のアコーディオン弾き、気がふれた娼婦、中学生のいたずらに叫ぶ女性教員、霧に浮かびあがる豪華客船、ファシストの行進、拷問される父親、そして母親の死。
​ しかし、何よりも町一番の美女クラディスカをめぐる、笑うに笑えないエピソードや、女性たちの肉感的な姿態をクローズアップした数々のショットに少年の日の忘れられない「思い出」が詰まっているようでした。​
 街が埋もれてしまうほどの大雪の冬がやって来て、やがて綿毛の舞う春を映し出しながら映画は終わりました。
 15歳だった少年の思い出の一年が、これほどまでに「分厚く」描かれていたことに、20代のぼくは気付くことができませんでした。当時、笑うしかなかった少年たちの「愚かしさ」こそが、実は、人間にとって「生きている」ことそのものの経験だったのではないかと感じるほどに、ぼくも年を取ったというわけなのでしょうか。
 ただ、映画を見終わって、この所、困ったことがぼく自身の意識の中に起こっています。町を歩いていて女性のお尻が気になって仕方がないのです。
 理由ははっきりしています。この映画のカメラは、なぜだかやたらに女性の「おしり」を追いかけるのです。
​まあ、ぼくがそういうふうに見ただけのことかもしれませんが、劇場では、女性たちに気を惹かれるというわけでもなく、ただ、ボンヤリ見ていたのですが、映画館を出て、街を歩きはじめてすぐにわかりました。
 頭の中では、「アマルコルド」という題名の意味を思い出そうと、結構、まじめに考えこんでいたのですが、目は、そのあたりを歩いている女性たちのお尻を追いかけている具合なのです。​

​ なんなんでしょうね。チッタの「思い出」を見ることで、ぼくの「若かりし日」の深層心理が動き出したのでしょうかね。まあ、そういう意味でも「少年」の心を見事に描いた映画でした。拍手!​
監督 フェデリコ・フェリーニ
製作 フランコ・クリスタルディ
原案 フェデリコ・フェリーニ  トニーノ・グエッラ
脚本 フェデリコ・フェリーニ  トニーノ・グエッラ
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
美術 ダニロ・ドナティ
衣装 ダニロ・ドナティ
編集 ルッジェーロ・マストロヤンニ
音楽 ニーノ・ロータ
キャスト
ブルーノ・ザニン(チッタ)
マガリ・ノエル(グラディスカ)
プペラ・マッジョ(チッタの母)
アルマンド・ブランチャ(チッタの父)
チッチョ・イングラシア
1974年・124分・イタリア・フランス合作
原題「Amarcord」
日本初公開:1974年11月16日
2020・10・26元町映画館

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最終更新日  2020.11.08 00:54:34
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2020.11.01
フェデリコ・フェリーニ「青春群像」元町映画館​​

​ なんといっても「青春群像」と邦題が付けられているくらいですから。5人の、まあ、今考えれば「青春」というには、少々薹が立っている男たちが登場します。
 1953年につくられた映画で、登場人物たちは20代の半ばを超えています。​
彼らが10代の後半から20代にかけて、何を経験したのか、映画には一切描かれないのですが、5人ともが、揃いもそろって定職につくわけでもなく、海辺の田舎町で、フラフラ、ウロウロしているのを、日本で言えば、昭和20年代の終わりということになる、当時の観客たちが「リアル」だと思って見たとすれば、おおむね予想がつくというものでしょう。
 こうやって、写真を見ると、いかにも「ラテン系」の青年たちの顔なのですが、ぼくには、全く見分けがつきません。みんなマフィアの子分にしか見えないのです。
 ところが、なかなか、どうして、映画の中では個性的なんです。
​​​​一人一人の特徴を挙げれば、色男のファウスト空想家のアルベルト​劇作家志望のレオポルド​美声のリッカルド最年少のモラルドの5人です。​​​​
​​ 写真の正面にいるのがファウストで、その陰に小さく映っているのがモラルドだと思うのですが、ちょっと確かではありません。​​
​​​​​​​​​​​ あとで調べてみると原題は「I Vitelloni」で、「雄牛」という意味だそうです。映画は、まさに、さかりのついた「雄牛」そのものというべき「色男」ファウストが、モラルドの妹サンドラにちょっかいを出し、妊娠させた挙句、逃げだそうとするのですが、父親にとっちめられて結婚するというシーンから始まりました。


 幸せなサンドラと問題児ファウストの結婚シーンです。そのあとの展開は、ファウストの、「播州弁」でいう所の「焼いても治らん」好色一代男話で、あんまりな結末に、サンドラの兄である悩めるナイーブ青年モラルドが汽車に乗って街を去るところで終わります。​​​​​​​​​​​

​​ ファウストの場所も、年齢も、社会的関係も、まあ、その他、制約になりそうなあらゆる障害をものともしない、女性に対する不埒で無節操な行動力は一見に値します。
 ちょっとエルビス・プレスリーに似た顔立ちで、口説けば必ずなんとかなると考えているようで、見ていて笑うしかありません。可哀そうなのは、そんな男の子供産んで妻になっているサンドラなのですが、それが、どうも、そうでもないようなのです。​​
​​ モラルドが街を去るのも、必ずしも、妹サンドラの不幸と、友人たちの無軌道に嫌気がさしたというより、どうなるかわからない、もう一つの青春を映し出していて、見ているこっち側が、ああ、あの頃から40年たったという感慨に浸ることになってしまうのでした。​​
​ なんだか、とてもバカバカしい映画であるにもかかわらず、妙に、胸に残る映画でした。
 やっぱり、フェリーニはいいですね。
監督 フェデリコ・フェリーニ
原案 フェデリコ・フェリーニ エンニオ・フライアーノ トゥリオ・ピネッリ
脚本 フェデリコ・フェリーニ エンニオ・フライアーノ
撮影 オテッロ・マルテッリ
音楽 ニーノ・ロータ
フランコ・インテルレンギ(モラルド)
アルベルト・ソルディ(アルベルト)
フランコ・ファブリーツィ(ファウスト)
リカルド・フェリーニ(フェリーニの弟:リッカルド)
レオポルド・トリエステ(レオポルド)
レオノーラ・ルフォ(サンドラ:モラルドの妹・ファウストの妻)
ジャン・ブロシャール(ファウストの父)
クロード・ファレル(オルガ:アルベルトの姉)
カルロ・ロマーノ(ミケーレ:雇い主)
エンリコ・ビアリシオ(モラルドの父)
パオラ・ボルドーニ(モラルドの母)
1953年・107分・イタリア・フランス合作
原題「I Vitelloni」(雄牛)
2020・10・26元町映画館


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最終更新日  2020.11.01 03:39:20
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2020.10.29
​​​​​フェデリコ・フェリーニ「道」元町映画館



​​​ 元町映画館でやっている「フェデリコ・フェリーニ映画祭」に通っています。今日は「道」「魂のジュリエッタ」を見ました。​​​
​​ 「魂のジュリエッタ」は初めてですが、「道」は何回か見ているはずです。もっとも。最後に観たのがいつだったかの記憶はありません。映画館で見たのは40年以上前だったような記憶はあります。​​
 「阪急文化」「ビッグ映劇」か、はたまた、今の「元町映画館」ではなくて、2丁目にあった「元映」だったか。レンタルビデオでも見たはずです。
​​ で、今回は「道のテーマ」「ジェルソミーナ!」の叫び声が聞きたくてやって来ました。​​
 映画のあらすじとか、どこがどうだったとか、あまりにも有名なこの映画には必要ありませんね。            ​映画.com​​​​​
 で、以前は気付かなかった、まあ、関心もなかったのでしょうが、「ジェルソミーナ」役のジュリエッタ・マシーナという少女がフェリーニの奥さんで、同時に観た「魂のジュリエッタ」のヒロインのオバさんだったことに気付いて、何というか、「アワワワ!?」という気分になりました。当たり前の話ですが、映画「道」の中で死んでしまったわけじゃなかったんですね。​​​​​

​​​​ もう一つ、面白い(?)体験がありました。ぼくはこの映画のクライマックスは旅芸人ザンパノジェルソミーナを棄てたことを後悔する最後シーンにあると思っていました。
 ぼくの激しい思い込みの記憶によれば、そのシーンでザンパノが叫ぶ「ジェルソミーナ―!」の哀しい響きが劇場にこだますなかでエンド・ロールということになっていたのです。​​​​
​​​ というわけで、映画が終盤に入り、「道」のテーマが洗濯を干している女性の歌声で聞こえてくるあたりから、もう、ラストシーンが浮かんできて、涙まで流れ始めました。ところがどうしたことでしょう、結局、ザンパノジェルソミーナの名を叫びませんでした。​​​
​ 砂浜でのたうちながら、いつまでも叫ばないザンパノの姿が映り、暗い波が打ち寄せるシーンで映画が終わるのを、文字通り「ボー然」と眺めながら、いったい誰が、ザンパノに叫ばせたのかという困惑の闇の中に座り込むことになってしまったのでした。​
「やれやれ・・・」
 何にため息をついたのか、まあ、よくわかりませんが、ともかく、立ち上がって映画館を出ると、お芝居をやっている若い友人がカップルで立っていました。同じ映画を見ていたようです。
​​「最後に、ザンパノは叫ばなかったね、ジェルソミーナ―って。」​​
「えっ?」
「いや、ははは。じゃあ、またね。」


 お昼過ぎにやって来た商店街は夕暮れでした。ここの所、元町商店街もにぎやかさが戻ってきました。裏通りに「道」をかえて、歩きたばこで帰ってきました。ちょっと、一人で、考え込んでしまったようですね。
監督 フェデリコ・フェリーニ
製作 カルロ・ポンティ  ディノ・デ・ラウレンティス
原案 フェデリコ・フェリーニ  トゥリオ・ピネッリ
脚本 フェデリコ・フェリーニ  トゥリオ・ピネッリ  エンニオ・フライアーノ
撮影 オテッロ・マルテッリ
編集 レオ・カットッツォ
音楽 ニーノ・ロータ
キャスト
ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ)
アンソニー・クイン(ザンパノ)
リチャード・ベースハート
1954年・108分・イタリア
原題「La strada」
配給:コピアポア・フィルム 日本初公開:1957年5月25日
2020・10・27・元町映画館

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最終更新日  2020.10.29 00:16:10
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2020.10.14
​​ジャック・ドゥミ「ロバと王女」元町映画館


​​ ミッシェル・ルグランの特集映画シリーズの中の一本、ジャック・ドゥミ「ロバと王女」元町映画館でみました。1970年、今から50年前の映画です。​​
​​​​​​​​​​​​​ まあ、何といってもカトリーヌ・ドヌーブです。お母さんの王妃カトリーヌ・ドヌーブより美しい、お母さんがなくなると、お父さんの大さまから求婚される娘の、王女カトリーヌ・ドヌーブがいます。


 この方ですね。物語がシャルル・ペローの童話なので、「青の国」の家来たちが顔を青く塗っているとか、「父が娘に求婚する」とかいう話しの展開の理不尽に呆れても仕方がないのですが、一人二役の母より美しいむすめというのが、同じ女優の、同じ顔という所に、「カトリ―ヌ・ドヌーブ」という女優さんが、1970年当時、少なくともフランスで、どういう存在だったのかが、あらわれているとは思いますが、ちょっと、想像が及ばないですね。
 その上、この映画は「コケタ」わけではなくて、当時の大ヒット作なんだそうです。スゴイもんですねえ。
 さて、その王女様ですが、「リラの妖精」の力を借りて、金貨とか宝石を生む、超お宝の「ロバ」の皮を被り、お城を逃げ出して、頬っぺたに泥を塗った「ロバの皮」の娘カトリーヌ・ドヌーブになって「赤の国」で暮らすことになりますが、それが最初の写真です。
 そこから、今度は「赤の国」の王子様に求婚されて、復活したのがこの写真です。


 で、どれが一番「美しい」のでしょうというのが、この映画が突き付けた「問い」ですね。答えは、当然ひとつで、「どれも同じである。」です。(笑)​​
 まあ、泥を塗っても少しも容色が衰えない最初に載せた「ロバの皮」の姿が、ぼくは好きなのですが、皆さんはいかがだったでしょう。​
 で、このおとぎ話、仕込みはそれだけじゃないんですよね。遊び心というかなんというか、とどのつまりには、王子との結婚式に駆け付けた、王様と新しいお后「リラの妖精」は、なんと「ヘリコプター」で登場してチャン!チャン!なのです。
 笑わせにかかった、フランス映画って、ホント、際限を知らないということなのでしょうね。英語なら「ウィット」、フランス語なら「エスプリ」というのでしょうか。​​笑うよりしようがないですね。​​​

  ​監督 ジャック・ドゥミ
  製作 マグ・ボダー
  原作 シャルル・ペロー
  脚本 ジャック・ドゥミ
  撮影 ギスラン・クロケ
  音楽 ミシェル・ルグラン
  キャスト
     カトリーヌ・ドヌーブ(青の国の王妃・王女・ロバの皮)
     ジャック・ペラン(赤の国の王子)
     ジャン・マレー(青の国の王様)
     デルフィーヌ・セイリグ(リラの妖精)

     ミシュリーヌ・プレール(赤の国の王妃)
     フェルナン・ルドゥー(赤の国の王様)
  1970年・89分・フランス 原題「Peau d'ane(ロバの皮)
  日本初公開:197187
  20201006元町映画館・写真は​「映画.com」​から。

​​追記2020・10・15
​​この映画から、50年後のカトリーヌ・ドヌーヴ是枝裕和が撮った​「真実」​の感想はこちらからどうぞ。​​​​

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最終更新日  2020.10.15 09:04:31
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2020.10.07
​​​​​​ビー・ガン「凱里ブルース」元町映画館

​​​ ビー・ガンという監督の作品は、これで2本目です。1本目は「ロングデイズ・ジャーニー」という作品で完敗しました。
 世の「映画好き」の心を奪った作品だったようですが、ぼくは「意識」を奪われてしまいました。負け惜しみのような感想をくどくどと書いた覚えがありますが、そのビー・ガンのデビュー作を元町映画館でやっているというのです。「仇討ち」というか、「意趣返し」というか、見ないわけにはいかないじゃないですか。​​​
​ 気分は「虎視眈々」というか、「眼光炯々」というか、気合十分でやって来た元町映画館でした。作品は「凱里ブルース」です。​
 で、どうだったかって?
 見事に返り討ちでした。
 映画が始まって
5​分、異様な眠気が襲ってきました。別に疲労困憊とか、睡眠不足とかいう理由があるわけではないのですから、ビー・ガンの「たくらみ」にその理由があるとしか思えないのですが、意識朦朧では「たくらみ」を暴くことはできません。​
 ただ、今回、不思議だったのは、30分ほど経過したところで、その襲いかかってくる眠気がピタリと止んだことです。
 そこからはエンドロールまで約1時間、何の眠気もなしに見続けることができたのですが、見終えた結果、「これはすごい!」という納得がやって来たかというと、そういうわけにはいきませんでした。
 今、チラシを見直してみても、大きく映っている女性が誰だったのかさえわからないのですから、まあ、「返り討ち」にあったことは間違いないようです。
 しかし、このチラシをよくご覧ください。背景に空と山と高層ビルが映っていて、間に大きな女性の肖像があります。そして、手前の道路を二人乗りした人物とバイクが走っているという合成写真のようなのですが、これが、バイクの後ろに載っている男性の「夢」の世界なのです。
 映画には、こんなシーンはありません。バイクに乗った二人は後ろから追いかけるカメラで写し続けられる世界から、やがて、時間も空間も迷路化している印象の映像へと変化していきますが、「だから、何なんだ?」と問うてしまうと、答えはなさそうです。
 「たくらみ」を解く鍵になるのは「帰ってきた」ということのようですが、目の前の映像が映し出す世界を意味づけるはずの「帰ってきた」ということが、映像を見ている頭の中で、うまくシンクロしてくれません。


 「ポエティックな彷徨」とかチラシに書かれていることも、一寸、癪にさわります。「もう一度見たら、ひょっとして。」とも思いましたが、まあ、いつか、どこかでの宿題ですね。

 完敗!


  監督 ビー・ガン

  脚本 ビー・ガン
  撮影 ワン・ティアンシン
  美術 ズー・ユン
  編集 クィン・ヤナン
  音楽 リン・チャン
  キャスト
     チェン・ヨンゾン
     ヅァオ・ダクィン
     ルオ・フェイヤン
     シエ・リクサン
     ゼン・シュアイ
     クィン・グァンクィアン
     ユ・シシュ
     グゥオ・ユエ
     リュ・リンヤン
     ヤン・ヅォファ
  2015年・110分・中国  原題「路邊野餐 Kaili Blues」
  2020・10・05元町映画館
追記2020・10・06
「ロングデイズ・ジャーニー」​の感想はこちらからどうぞ。「完敗」の繰り言です。

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最終更新日  2020.10.07 00:07:55
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2020.10.01
アニエス・バルダ「5時から7時までのクレオ」元町映画館


 60年前、フランスのヌーベルバーグの先頭に立っていた一人アニエス・バルダ5時から7時までのクレオ」を見ました。映画音楽では忘れることのできない「ミシェル・ルグラン特集」で取り上げられた一作です。​​​
 カード占いのシーンから始まります。全編でこのシーンだけがカラーで、あとは白黒ですが、その組み合わせが印象的でした。
​​ コリンヌ・マルシャンという女優さんが演じるシャンソン歌手のクレオのある日の午後が、時刻のクレジットをスクリーンに刻みながら入れながら進んでいきます。


 この方が「死」の妄想に憑りつかれた女性ですが、彼女の、今日の、今この時が映像になって進行します。出来事に妙な空白感があるのは、かえってリアルですが、どこかで、見ている観客をからかっているような、ちぐはぐとした滑稽感も漂っています。
 たぶん「死」をめぐる無意識が、意図的に映像化されているのだろうと思いますが、そこに漂う
​ちぐはぐ感が面白さだと思いました。
 この文章の書き出しで、アニエス・バルダの映画であることを書きましたが、実は、彼女の映画だと気づいたのはそのあたりのムードでした。​
​ 占い師の手、顔、秘書だかマネージャーだかの顔、もちろん、クレオの手と顔もですが、写真のようなアップの繰り返しです。アップされた、手つきとか、顏つきが突如迫ってきて、声には出しませんが、笑えるのです。そして鏡。何故、妙におかしいのか、この​60年前のフランス映画が何を写しだそうとしていたのか、奇妙な不思議さは印象に残りました。


 いろいろな批評がある映画なのだろうと思いましたが、例えば、映像の中の「街並み」や「ジュークボックス」が古いのではなくて、ここで映し出されている人間の有様が古いと感じたのはなぜなのか、とても気がかりな「問い」を残した映画でした。

  監督 アニエス・バルダ
  製作 ジョルジュ・ド・ボールガール  カルロ・ポンティ
  脚本 アニエス・バルダ
  撮影 ジャン・ラビエ ポール・ボニ アラン・ルバン
  美術 ベルナール・エバン
  音楽 ミシェル・ルグラン
  キャスト
     コリンヌ・マルシャン
     アントワーヌ・ブルセイユ
     アンナ・カリーナ
     ジャン=クロード・ブリアリ
     エディ・コンスタンティーヌ
     サミー・フレイ
     ミシェル・ルグラン
     ダニエル・ドロルム
     セルジュ・コルベール
  1961年・90分・フランス・イタリア合作  原題「Cleo de 5 a 7
  日本初公開:1963524
  20200928・元町映画館

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最終更新日  2020.10.04 00:31:16
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2020.09.15
​​​キム・ボラ「はちどり」元町映画館

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 休日は満席が続いていると聞いて、月曜日にやって来ました。キム・ボラ監督「ハチドリ」です。
 当てが外れました。元町映画館は今日も満席でした。とはいえ、一つ飛ばしの着席です、余裕ですね。で、映画が始まりました。
​​
 チラシの顔の少女がドアの前で繰り返しチャイムを押しています。ドアを素手で叩いて母を呼び始めました。902号室、高層アパートの9階にあるこの部屋は、彼女の自宅のようですが、彼女は家族から締め出されているようです。
 1994年、中学2年生、14歳のウニは「餅屋」を営んでいる両親と姉、兄の5人家族の末っ子です。
 映画は中学生ウニの日常生活を写し続けます。冬のシーンがありませんから夏から秋にかけての、半年ほどの生活です。​​
 家庭では、期待過剰な受験勉強の欲求不満を抱える兄の暴力のターゲットです。父親の男尊女卑の暴言は日常的で、姉は男友達を部屋に引き込む「不良少女」です。
 学校の勉強には何の関心も湧きません。授業中も寝ているか、そうでなければ漫画を描くことに熱中していますが、クラスメイトはあざけりのことばを平気で投げつけていきます。ファースト・キスを試みる異性の友達はいましたが、ただのマザコン少年でした。    
 慕ってきた下級生の少女に告白された「愛」を、ちょっと真面目に信じていましたが、しばらく音信不通が続き、再会したときには先学期のことだと、軽くふられてしまいます。
 いっしょに書道塾に通っている友達と文房具屋で万引きをします。なんことはない、友達に裏切られ、住所をバラされ、さらし者にされたのはウニだけでした。​
 たった一人、わかってくれるかもしれないと期待した、塾のヨンジ先生は大橋の崩落事故に巻き込まれて死んでしまいました。​
 なにしろ、中学2年生です。何にもなさそうですが、あれこれ、ろくでもないことに次々と遭遇します。哀しいだけです。どうしてそうなるのか、他の人たちがどうしてそんなことをするのか、中学生のウニにはわかりません。​
 映画の中で羽ばたき続ける14歳のHummingbirdに、安らぎの小枝は最後までなかったように思います。
 映画のタイトルロールで、わざわざ1994という字幕が入ります。中学生ウニの生活のところどころに、北朝鮮の国家主席、金日成の死、サッカーのワールドカップ、アメリカ大会、そしてソウルの漢江に架かっていた聖水大橋崩落事故のテレビ・ニュースが挿入されます。みんな1994年のことです。​​
 それぞれ、ほとんど、唐突な印象のシーンなのですが、この監督が、この映画にこめた意図が、そこにあると思いました。
 隣りの島国より、十年遅れて到来した高度経済成長という資本主義が追い求めるアブナイ社会で​中学2年生のウニ​は暮らしています。
 彼女が毎日通る道筋に、「地上げ」に抵抗し、バラックの小屋に住む人たちの横断幕があります。彼女はその横断幕が気がかりでたまりませんが、やがて破り捨てられてしまいます。
 友達とはポケベルで連絡し合います。懐かしいアイテムですね。公衆電話を使って、暗号のような連絡を取った、あれです。しかし、ポケベルでは心は届きませんでした。
 修学旅行でしょうか、どこかへの旅の始まりの日に広場から空を見上げているウニのくっきりとした眼差しをカメラが上から撮ったシーンで映画は終わります。


 なんだか満たされない気持ちで映画館を出て、人通りの増えた商店街を歩きながら、ふと、思いました。
 14歳だったHummingbirdはあの日から25年の年月、ドアから締め出され続け、羽ばたき続けてきたのではないでしょうか。
 「地上げ」された空き地には高層ビルが建ったのでしょうか。住居から締め出された人たちはどうしているのでしょう。
 「ポケベル」「スマホ」「ライン」に進化しましたが、普通の気持も伝えらるようになったのでしょうか。
 今、羽ばたき続ける中学生ウニの姿を映画に撮った監督キム・ボラが、あれから、ずっと羽ばたき続けてきたウニであることは間違いなさそうです。​​​​​


  監督 キム・ボラ
  製作 キム・ボラ
  撮影 カン・グクヒョン
  脚本 キム・ボラ
  キャスト
     パク・ジフ(主人公ウニ:中学2年生)
     キム・セビョク(ヨンジ:塾の講師)
     チョン・インギ(ウニの父)
     イ・スンヨン(ウニの母)
     パク・スヨン(ウニの姉スヒ)
     ソン・サンヨン(デフン:ウニの兄)
     キル・ヘヨン(ヨンジの母)
  2018年・138分・PG12・韓国・アメリカ合作
  原題「House of Hummingbird
  20200914元町映画館

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最終更新日  2020.10.02 15:15:55
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