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テーマ:★信州大好き★(733)
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5月末の善光寺御開帳の時には、快適な旦那の車に乗り 高速道路です~~っとの快適ドライブが、わずか一ヶ月で 軽自動車での一般道をのろのろ町で信号待ち、田舎道を くねくねと、そして峠越え~~~!? ガソリンの毎週の価格上昇で、ドライブだって経費削減 嗚呼! これじゃあ~、いつものドライブと変わりがない まぁ、こうやってドライブに出かけられるだけでも良しと 思わなきゃばちも当たる そんな訳で、6月末の小諸へのドライブは行き帰り共に 一般道を利用をしたのだが、諏訪からは和田峠を越えて 「中山道の旅情」気分も浸る事となった 最近はリニアの長野県内のルートが話題になっているけど 江戸時代には中山道は佐久方面にまで北上し、今は山深き 信濃国の上田や小諸は、実は交通の要所であったのだなぁ~と 実感をする 中山道を旅した有名人として、まず名前が挙がるのが 幕末の激動の日本で、公武合体の象徴として将軍家に 嫁いだ皇女和宮(かずのみや)であるだろう 文久元(1861)年に、中山道和田宿は大火によって 本陣までもが焼失をしながら、 皇女和宮の御降嫁では 宿泊の予定であった為に、 幕府の拝借金を得て宿場の 復興が行われたそうである その中心として再建されたのが、現在の和田宿本陣の 建物で、明治維新後には一部改築がされ役場や農協の 事務所として使用をされ、村の庁舎新築移転に伴って 平成2年に本陣に復元、国の史跡にも指定をされている 冬には積雪も多く、中山道最大の難所とも言われていた 和田峠の手前にあり、参勤交代の大名も必ず宿泊をした 宿場であったそうだ 峠の途中には、旅人の為に避難所や茶屋が設けられており 西餅屋、東餅屋、接待などと呼ばれ、今も地名が残されて いるそうだ そして勤皇の志高き水戸藩では、幕府から安政の大獄で 弾圧を受けた事に反発をした一部の志士らが、過激化し 元治元(1864)年、筑波山に集結し遂に挙兵をした その名も天狗党である。各地から続々と浪士や、町民 農民ら約千人が集結し、京都に上って一橋慶喜を通じて 朝廷へ尊皇攘夷の志を訴えるべく、武田耕雲斎を総大将に 天勇隊、虎勇隊、竜勇隊、正武隊、義勇隊、奇兵隊を編成 京都に向かって下野、上野、信濃、美濃と、主として 中山道を通って進軍を続け、元治元年11月16日には 上州下仁田で追撃をして来た高崎藩兵と交戦し、19日 には、和田峠で高島藩と松本藩連合軍と交戦。天狗党 連合軍ともに10名前後の死者を出したが、天狗党が勝利 戦没者の浪士塚が残されている その後、天狗党は遂に越前新保(福井県敦賀市)で幕府の 追討軍に包囲され、これ以上の進軍は無意味と判断し投降 武装解除して乱は完全に鎮圧され、同情論や過激派による 更なる挙兵を防ぎたい幕府により、武田耕雲斎ら353名が 斬首され、他の者も遠島、追放との処分が全員に科された 武田耕雲斎の妻子など、乱に加担をした者の家族も処罰され 保守派により完全な佐幕派となった水戸藩は、尊皇攘夷派との 内部抗争も相次ぎ、藩士ばかりでなく農民、町民の間でも凄惨な 報復やリンチが繰り広げられ、才覚のある人物もいない状態と なり果て、明治新政府には1人の要人すらも出す事もなかった 幕府を守ろうとした新撰組の一行もまた、この中山道を西へ 京都へ向かった。幕末に仇花のように語られる尊王攘夷の 天狗党や、佐幕の新撰組に、そして公武合体の和宮御降嫁と 立場は違えども、どうしようもない日本国の現状をなんとか 良くしようと思う気持ちを胸に秘め、中山道を旅した事だろう ここまでの3枚は長久保宿の写真。宿場の発展と共に横丁の 先に町が広がり、カギ型に曲がった珍しい形の宿場町だ 慶長7(1602)年に、幕府が小諸藩に赤松753本を 下付して、芦田宿のはずれから笠取峠の頂上まで、風よけ 日除けの為に植えられた松並木は長野県の天然記念物に 指定をされ、現在は遊歩公園になっている 何やら奥様達の車でにぎわうカワイイお店を発見。きっと 美味しいものがあるに違いない!と、立ち寄ってみる 佐久市浅科のブラウンエッグファーム(玉子やさん)直営の 「ちゃたまや」で、長野県知事賞を受賞した唯一のたまごの 「浅間小町」と、浅間小町をたっぷり使った洋菓子を販売を しているそうだ 娘、早速にもジェラードを賞味~。写真がぶれて使い物にも ならず~ 千曲川には、たくさんの釣り人 和田峠は、細いくねくね山道の旧道も使えるみたいだが 有料のトンネルを利用をして越えて、小諸にやってきた 訳だが、軽自動車500円の通行料金すら惜しくなって 帰りは~~ 蓼科高原から、茅野に出るルートになった。どこまで ケチなんや。おかげで、まわりは白樺林の高原リゾート 茅野に下りて農産物の直売所ものぞいて見ると、何やら 「鹿食免(かじきめん)」という言葉が目に入ってきた 諏訪大社には「殺生は、獣類を救って浄土に成仏させる 為の方便である」という御託宣「諏訪の勘文」がある そうで、武士や狩猟民らの殺生への罪悪感を薄めて 信仰を集めてきた。狩猟の免罪符「鹿食免」を発行し 同時に発行する「鹿食箸」という肉を食する箸を授かった ものは、獣の肉を食する事が出来るという許可をして きたそうだ 諏訪商工会議所では、県の地域産業活性化基金の助成を 受けて、鹿食免と鹿食箸の伝統を活用し、鹿肉の需要を 増やす活動をしているみたいだ 甲州の武田信玄が、北信濃の村上氏攻略や上杉謙信との 川中島の合戦の為に「風林火山」の旗印を押し立てた 武田騎馬軍団が進んだ道沿いには、信玄が北信濃攻略の 途次に、水を汲んでお茶を飲んだというお茶清水 平成21年6月27日に信州で撮影 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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